↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰のレン ~転生医師に拾われた片腕片目の奴隷少女が、百年をかけて神になるまで~  作者: K3/KASANE
第六編 商人編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

109/135

第41話「駒じゃない。盤だ」


 駒を、いくつ、辿っても。


 その先に、また、駒が、あった。


 倉の主。


 金融の家。


 認証の家。


 黒い衣。


 みんな、駒だった。


 誰かがその駒を、列に並べていた。


 麦をここに置き、銀をそこに置き、信用をあそこに置く。


 人をここで飢えさせ、そこで生かす。


 駒をひとつずつ置いていく手が、ある。


 けれど、その手は、どの駒の中にもいなかった。


 私は、ようやく、分かった。


 断つべきは、駒では、なかった。


 倉の主を断っても、別の倉の主が立つ。


 金融の家を断っても、別の家が銀を回す。


 黒い衣を断っても――それさえできはしないが――別の影が出入りする。


 駒は、いくらでも替えがきく。


 一つ断てば、一つ立つ。


 私が商談で倉の主に勝っても、盤が動かなかったように。


 駒を弾いても、盤は動かない。


 私が、断ちたいのは。


 駒では、なかった。


 駒を並べている、その列だった。


 麦を、ここに、銀を、そこに、人を、あそこに、と置いていく、その掟。


 誰が生き、誰が飢え、誰が市から消えるかを、置いていく、その仕組みだった。


 駒じゃない。


 盤だ。


 断つべきは、目の前の駒ではなかった。


 この列を、この掟を、置いている盤そのものだった。


 盤の上で、駒はいくらでも替えがきく。


 けれど、盤がある限り、駒は、また並ぶ。


 麦は、また、握られる。


 人は、また、飢える。


 私が駒をいくつ弾いても、盤が、そこにある限り、飢えは終わらない。


 穴の底で、私はそれを半分、知っていた。


 穴を握っていたのは、看守ではなかった。


 看守は、駒だった。


 看守の上に、向こうの帳面があった。


 番号を書き込み、誰を生かし、誰を岩にするかを決める帳面。


 あの帳面が、盤だった。


 看守を一人倒しても、帳面がある限り、別の看守が立った。


 私は穴の底で、それを半分、感じていた。


 けれど、底からは、盤の全体は見えなかった。


 いま、商いの国の上流を辿って。


 私はその盤の輪郭に、初めて手を伸ばした。


 ◆  ◇


 けれど、手は、届かなかった。


 盤が、ある、とは分かった。


 駒の列の向こうに、それを置いている手が、ある、とは。


 けれど、その盤が何なのか、私には掴めなかった。


 黒い衣の向こうに、何があるのか。


 誰がこの盤を置いているのか。


 商館同盟なのか、それとも、もっと別の何かなのか。


 辿れる糸は、黒い衣で切れていた。


 崖のように。


 その崖の向こうは、夜だった。


 私は盤のふちに、たったひとつの手を伸ばした。


 けれど、なぞる端から、それは夜に溶けていった。


 ここに、ある、と分かるのに、形が掴めない。


 冷たい水の面を、すくおうとするようだった。


 手のひらに、すこし残るのに、すくい上げた途端、指の間からこぼれていく。


 掴めないものに、刃を向けてはならない。


 それも、カラスから手で覚えたことだった。


 見えない敵に踏み込めば、囲まれて、崩れる。


 断ちたい、と思った。


 麦を握り、人を飢えさせ、信用で人を消し、戦を回す、この盤を。


 けれど、見えないものは、断てない。


 人を判じることなら、私にもできた。


 値段を決めただけだ、と言った男を、私は心の中で、判じていた。


 誰も殺していない、と言った手の汚れていなさを。


 けれど、判じることと、断つことは、違う。


 人なら、判じられた。


 盤は、判じることさえできなかった。


 判じるには、まず、その正体が見えなければならない。


 盤は、見えない。


 ただ、そこに盤がある、と知る。


 それが、私にできるぎりぎりだった。


 負けた、と私は思った。


 値段を決めただけだ、の壁に、負けたとき、私は、何に負けたのか、分からなかった。


 いま、分かった。


 私は人に、負けたのではなかった。


 盤に、負けたのだ。


 掴めないものは、断てない。


 それが、この敗北の本当の形だった。


 ◆  ◇


 その報せが届いたのは、その夜だった。


 宿に、ナダが待っていた。


 古い船乗りの顔が、いつもより固かった。


 港で聞いてきた、という。


 海の向こうの本土の報せを。


「戦だ」


 ナダは、低く、言った。


「本土で、戦が、始まる。麦が、軍へ、流れる。値が、跳ねる」


 私はそれを聞いて、しばらく動かなかった。


 戦。


 麦が、軍へ、流れ、値が、跳ねる。


 飢えは、終わらないどころか、これから、もっとひどくなる。


 戦は、麦を、食う。


 人より先に、軍が麦を食う。


 値が跳ねれば、買えない者は、もっと買えなくなる。


 路地の飢えが、海を渡って、本土まで広がる。


 戦を誰が始めるのか。


 私は、ふと、そう思った。


 麦を握り、値を決め、人を飢えさせる、この盤。


 その盤が、戦さえ回しているのではないか。


 麦の値で人を飢えさせるように、戦で人を死なせる。


 同じ盤が、同じように駒を並べて。


 けれど、それも、掴めなかった。


 盤の正体が掴めない以上、それも確かめようがなかった。


 分かるのは、一つだけだった。


 飢えは、終わらない。


 盤が、ある限り。


 そして、戦がその盤の上で始まろうとしていた。


 私は樫の棒の握りの灰の字を、てのひらで確かめた。


 剣の届かない国のいちばん奥に、盤があった。


 掴めない盤が。


 ただ、そこに、ある、と知っただけだ。


 負けは、変わらなかった。


 けれど、負けたまま引き下がるのは、もう決めていなかった。


 盤が、見えないなら。


 まず、盤を読まなければならなかった。


 穴の底で、向こうの帳面を、私は読めなかった。


 番号を書き込み、人を岩にした帳面を。


 八百三十二番と書かれた帳面を。


 けれど、いまの私は、商いの国の帳簿を読めた。


 麦の値も、銀の流れも、読めた。


 盤の正体は、掴めない。


 けれど、盤が駒を並べた跡なら、数に残る。


 麦の値に、銀の流れに、戦に流れる物の量に。


 各地に散った七つが、それぞれの結節点から、数を寄越している。


 その数を、全部、並べれば。


 いつか、盤の輪郭が見えるかもしれなかった。


 いまは、見えない。


 掴めない。


 断てない。


 けれど、数は、嘘をつかない。


 盤が駒を動かせば、数が動く。


 その数を各地から集めて、並べて、読む。


 剣では、読めない。


 数なら、いつか、読める。


 それが、剣を持たない私のただひとつの戦い方だった。


 私は盤を、読みに行く。


 負けた盤を。


 掴めなかった盤を。


 麦を握り、人を飢えさせ、信用で人を消し、いま、戦さえ回そうとしている、その盤を。


 いますぐには、見えない。


 けれど、各地の数を繋いでいけば、いつか、その輪郭が紙の上に立ち上がる。


 その盤を、読みに、行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。