寂しさと、大事な友達。
朝食の席で、師匠が私を見ていた。
「…………」
じっと。
「…………」
ものすごく、じっと。
「……何ですか?」
「いや」
「じゃあ見ないでください」
「見ているだけだ」
「だから、その理由を聞いてるんです」
「怪我は?」
「もう治りました」
「痛みは?」
「ありません」
「違和感は?」
「ありません」
「本当に?」
「本当です」
「嘘じゃないな?」
「…………」
私は黙ってパンを置いた。
それから、向かいに座る師匠を見つめ返す。
「何だ?」
「いえ。昨日から同じ質問を十回くらいされてるなと思いまして」
「そんなにしていない」
「じゃあ何回です?」
「七回だ」
「数えてるじゃないですか」
師匠は何食わぬ顔でスープを飲んだ。
昨日。
私は、前日のグレイファングとの戦いで負った怪我を師匠に見つけられた。
大した傷ではなかった。
少し脇腹を切っただけ。
血も止まっていたし、痛みだって我慢できる程度だった。
けれど、それを知った師匠は、世界最高峰の治癒術師であるノエル様をわざわざ家に呼んだ。
結果。
傷は綺麗に治った。
跡すら残っていない。
代わりに、私のクッションが危うく奪われそうになった。
「……そういえば」
「何だ?」
「昨日のクッション、ちゃんと私の部屋にありますよね?」
「ある」
「本当に?」
「ああ」
「夜中に持ち出してません?」
「失礼な奴だな」
「じゃあ、何で目を逸らしたんですか?」
「朝日が眩しかった」
「師匠の後ろに窓ありますけど」
「…………」
「…………」
「細かいことは気にするな」
「分かりました。あとで確認します」
「信用がないな」
「自分の胸に聞いてください」
私が卵を一口食べると、師匠は少し不満そうな顔をした。
「何です?」
「いや」
「卵はあげませんよ」
「まだ何も言っていない」
「顔に書いてあります」
「最近、お前は私の扱いが雑になっていないか?」
「誰のせいでしょうね」
「…………」
師匠は腕を組んだ。
「成長したな」
「そこですか?」
「ああ。弟子の成長は喜ばしい」
「絶対に誤魔化してますよね」
「そんなことはない」
「じゃあ野菜食べてください」
「話が変わったな」
「変えてません」
「…………」
師匠は皿の上の野菜を見た。
それから私を見る。
「リリア」
「嫌です」
「まだ何も言っていないぞ」
「食べませんよ」
「…………」
「私のお皿に移そうとしないでください」
「ちっ」
「今、舌打ちしました?」
「気のせいだ」
朝からいつも通りだった。
昨日、ノエル様から私の特殊体質について少し気になる話をされた。
自分自身に異常なほど強く作用する私の魔法。
それは、私に初めて見つかった才能だった。
けれど、魔法による強化に、身体そのものが追いつかない可能性がある。
使い方を間違えれば、自分自身を傷つけるかもしれない。
昨日の夜。
少しだけ怖くなった。
でも。
師匠は言った。
『急ぐ必要はない』
身体が追いつかないなら、追いつくまで待てばいい。
私が無茶をしたら、自分が止める。
だから、一人で抱えるな。
そう言ってくれた。
「というわけで」
師匠が言った。
「今日は修行禁止だ」
「…………」
私はパンを食べる手を止めた。
「今、何て?」
「修行は禁止だ」
「聞こえてました」
「なら聞き返すな」
「確認です」
「そうか」
「いつまでですか?」
「今日は一日」
「一日……」
「不満か?」
「別に」
「顔に書いてあるぞ」
「どこに?」
「全部だ」
前に私が師匠へ言った言葉だった。
「……仕返しですか?」
「何のことだ?」
「何でもありません」
「とにかく、今日は休め」
「でも、傷はもう治ってます」
「知っている」
「痛みもありません」
「知っている」
「なら――」
「リリア」
師匠が私を見る。
「ノエルに言われただろう。急ぐなと」
「…………」
「休むのも修行だ」
「それ、便利な言葉ですね」
「便利だからな」
「認めるんですね」
「使えるものは使う主義だ」
「知ってます」
ため息をつく。
納得できないわけじゃない。
ノエル様の言葉も理解している。
師匠が心配してくれていることも。
ただ。
ようやく。
やっと。
私にも魔法でできることがあると分かったばかりなのだ。
学校では、何をやっても失敗した。
火球は出ない。
風は起こせない。
水の一滴すら、まともに作れない。
それが今は。
身体を強化できる。
速く走れる。
遠くのものが見える。
小さな音が聞こえる。
初めて魔物にも勝った。
もっと知りたい。
もっとできるようになりたい。
そう思ってしまう。
「そんな顔をするな」
「どんな顔です?」
「玩具を取り上げられた子供みたいな顔だ」
「してません」
「している」
「師匠こそ、肉がないと毎朝そんな顔してるじゃないですか」
「…………」
「…………」
「リリア」
「何です?」
「最近、本当に生意気になったな」
「誰の弟子でしょうね」
「…………」
師匠が黙った。
私はスープを飲む。
少しして。
「まあ、私だな」
「はい」
「なら仕方ない」
「何がですか」
師匠は笑った。
私も。
少しだけ笑った。
◇
朝食を終えた頃。
師匠は自分の部屋から黒い外套を持ってきた。
「出かけるんですか?」
「ああ」
「どこへ?」
「少し用事ができた」
「少しって?」
「少しは少しだ」
「また説明が雑ですね」
「夕方までには戻る」
師匠は外套を羽織った。
長い黒髪が、その背中を流れる。
こうして見ると。
やっぱり、この人は格好いい。
普段。
肉がないと文句を言ったり。
私の卵を狙ったり。
クッションを勝手に使おうとしたり。
床で寝たり。
そんな姿ばかり見ているから、つい忘れそうになるけど。
この人は。
本当に。
世界でも指折りの魔法使いなのだ。
「何だ?」
「え?」
「見惚れたか?」
「違います」
「即答だな」
「早く行ってください」
「随分と追い出したがるな」
「そういう意味じゃありません」
「寂しくなっても泣くなよ」
「泣きません」
「本当か?」
「子供じゃないんですから」
「そうか」
師匠が扉へ向かう。
そして。
止まった。
「リリア」
「はい?」
「修行するなよ」
「分かってます」
「身体強化も禁止だ」
「分かってますって」
「感覚強化もだ」
「はい」
「森へ行くな」
「行きません」
「魔物と戦うな」
「一人で戦いに行くと思ってるんですか?」
「お前ならやりかねん」
「どんな弟子だと思ってるんです?」
「私の弟子だ」
「それ、師匠自身の信用がないだけでは?」
「…………」
師匠が私を見る。
「やはり生意気になったな」
「早く行ってください」
「ああ」
扉を開く。
外から、朝の風が入ってきた。
「行ってくる」
「はい」
私は。
少しだけ間を置いてから。
「いってらっしゃい、師匠」
「ああ」
師匠は笑った。
そして。
家を出ていった。
◇
「…………」
静かだった。
驚くほど。
静かだった。
「…………」
私は椅子に座っている。
目の前には空になった二人分の食器。
「……静か」
当たり前だ。
師匠がいない。
ただ、それだけ。
この家で暮らし始めて。
まだ数日しか経っていない。
それなのに。
「こんなに静かだったっけ」
自分の声が。
妙に大きく聞こえた。
私は食器を片付けた。
洗って。
棚へ戻す。
それから。
部屋へ行く。
「…………」
何をしよう。
修行は禁止。
身体強化も駄目。
森にも行くなと言われた。
魔物と戦う予定なんて、そもそもない。
「……本でも読もうかな」
本棚を見る。
昨日。
師匠と一緒に買ったものだ。
まだ。
ほとんど本は入っていない。
学校から持ってきた教科書と。
師匠の家にあった何冊かの本。
その中から一冊取る。
ベッドへ座る。
読む。
「…………」
一ページ。
二ページ。
三ページ。
「…………」
閉じた。
「集中できない」
立ち上がる。
窓を開ける。
外を見る。
草原。
森。
青い空。
いつもと同じ景色。
「……師匠、今頃何してるんだろう」
呟いて。
すぐに。
「…………」
私は窓を閉めた。
「別に」
誰に言うでもなく。
「気になっただけだし」
何を言い訳しているんだろう。
私は。
もう一度ベッドへ座った。
そして。
クッションを見る。
「…………」
師匠が気に入っているクッション。
ノエル様も気に入ったクッション。
私のクッション。
「……平和」
誰も奪いに来ない。
そう。
今日は。
とても平和だ。
静かで。
邪魔されない。
卵も取られない。
肉がないと文句を言う人もいない。
勝手に部屋へ入ってくる人もいない。
「…………」
私は。
クッションを抱きしめた。
「……平和すぎる」
何だか。
落ち着かない。
◇
昼。
私は台所に立っていた。
「何にしようかな」
食材を見る。
昨日買い忘れたせいで。
まだ少ない。
今日。
師匠が帰ってきたら。
また買い物に行かないと。
「師匠、お昼どうします――」
そこまで言って。
止まった。
「…………」
振り返る。
当然。
誰もいない。
「……何してるんだろ、私」
一人なのだから。
師匠の昼食を考える必要なんてない。
自分の分だけ。
適当に作ればいい。
「…………」
でも。
つい。
二人分の皿を出していた。
「…………」
一枚を戻す。
「まだ数日なのに」
師匠と暮らし始めて。
本当に。
まだ数日しか経っていない。
なのに。
一人分の食事を作ることが。
少しだけ。
変な感じがした。
そのとき。
コンコン。
「……?」
音がした。
玄関から。
誰かが扉を叩いている。
「誰だろう」
師匠ではない。
師匠なら。
たぶんノックなんてしない。
普通に入ってくる。
もう一度。
コンコン。
「はーい」
私は玄関へ向かった。
扉の前で。
少しだけ警戒する。
この家を訪ねてくる人。
誰だろう。
セレナ様?
メイヴ様?
まさか。
ノエル様がクッションを奪いに来た?
「……まさかね」
扉を開く。
「はい、どちらさ――」
言葉が。
止まった。
「…………」
扉の向こうに。
一人の女の子が立っていた。
赤みがかった栗色の髪。
肩に触れるくらいの長さで。
毛先が少しだけ外にはねている。
明るい琥珀色の瞳。
学校の制服。
少し曲がったリボン。
そして。
驚いたように。
私を見ている。
「……リリア?」
「…………」
「リリアだよね?」
「……エマ?」
エマ・フィオレ。
学校で。
唯一。
友達と呼べた女の子だった。
「やっぱりリリアだ!」
「どうして、ここに……」
「どうしてじゃない!」
「え?」
エマの表情が。
変わった。
眉を寄せる。
頬を膨らませる。
そして。
「ばか!」
「えっ」
「何で何も言わずにいなくなってんの!」
「いや、それは……」
「心配したんだからね!?」
「ご、ごめん」
「先生に聞いても、最初は詳しく教えてくれないし! クラスでは変な噂ばっかり流れるし!」
「噂?」
「オクトマギアに攫われたとか!」
「攫われてないよ!?」
「知ってる! 今分かった!」
「じゃあ何で怒ってるの!?」
「何も言わずにいなくなったから!」
「…………」
エマは。
怒っていた。
本気で。
「ごめん」
「…………」
「本当に」
「……ばか」
「うん」
「リリアのばか」
「二回言わなくても」
「三回でも言える」
「ごめんって」
「……ほんとに」
エマの声が。
少しだけ小さくなる。
「心配したんだから」
「…………」
私は。
何も言えなかった。
「でも」
「何?」
「私がいなくなっても」
「うん」
「別に……誰も困らないと思ってたから」
「…………」
エマが。
私を見る。
「は?」
「え?」
「何それ」
「いや」
「私が困るんだけど」
「…………」
「勝手にいなくなって、勝手に誰も困らないとか決めないでよ」
「エマ」
「私は友達じゃなかったの?」
「違う!」
思わず。
大きな声が出た。
「違う、そうじゃなくて」
「じゃあ何?」
「…………」
上手く。
言葉が出てこない。
私は。
ずっと。
学校で。
落ちこぼれだった。
何をしても失敗して。
笑われて。
呆れられて。
先生にさえ。
心配されて。
だから。
いつの間にか。
自分なんて。
いなくなっても。
誰も困らないと思っていた。
「……ごめん」
それしか。
言えなかった。
すると。
エマは。
深く。
ため息をついた。
「もういい」
「怒ってる?」
「怒ってる」
「……ごめん」
「でも」
エマが。
少し笑った。
その口元から。
小さな八重歯が見えた。
「見つけたから、もういい」
「…………」
「元気そうだし」
「うん」
「……前より」
「え?」
「何でもない」
「何?」
「後で言う」
「気になるんだけど」
「後で」
「エマ」
「それより」
エマが。
私の後ろを見る。
「ここ、誰の家?」
「師匠の家」
「師匠?」
「うん」
「誰?」
「レヴィア・クローデル様」
「…………」
「…………」
「今、何て?」
「レヴィア・クローデル様」
「…………」
「エマ?」
「いやいやいやいや!」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ!」
エマが。
私の肩を掴む。
「レヴィア・クローデルって、あの!?」
「どの?」
「どのって!」
エマが口を開ける。
八重歯が見える。
「戦禍の魔姫ヴァルマギアでしょ!?」
「うん」
「うん、じゃないよ!」
「え?」
「何でそんな普通なの!?」
「最近慣れたから」
「慣れるものなの!?」
「たぶん」
「たぶん!?」
エマが。
頭を抱えた。
「とりあえず、中に入る?」
「入っていいの?」
「うん」
「本当に?」
「大丈夫」
「レヴィア様に殺されたりしない?」
「しないよ」
「本当に?」
「たぶん」
「さっきから何で全部たぶんなの!?」
久しぶりに聞く。
エマの声。
久しぶりに見る。
ころころ変わる表情。
そして。
笑ったときに見える。
小さな八重歯。
「何?」
「え?」
「今、笑った?」
「笑ってない」
「笑ったでしょ」
「気のせい」
「……まあ、いいけど」
私は。
扉を大きく開けた。
「入って」
「うん」
エマが。
家へ入る。
その瞬間。
何だか。
少しだけ。
静かすぎた家に。
色が戻ったような気がした。
◇
「えっ、本当に弟子になったの!?」
「うん」
「レヴィア様の!?」
「うん」
「本当に!?」
「さっきから何回聞くの?」
「だって信じられないんだもん!」
テーブルを挟んで。
私とエマは向かい合っていた。
お茶。
簡単な昼食。
そして。
質問。
大量の質問。
「何で?」
「何でって」
「どういう経緯で?」
「学校に師匠が来たときに」
「それは知ってる」
「私の魔法を見て」
「うん」
「弟子にならないかって」
「…………」
「エマ?」
「何で?」
「何が?」
「何でリリア?」
「…………」
悪意はない。
分かっている。
エマは。
昔から。
こういう子だ。
思ったことを。
そのまま言う。
「やっぱり、そう思うよね」
「え?」
「私なんかが、って」
「違う違う違う!」
エマが。
慌てて手を振った。
「そうじゃなくて!」
「じゃあ何?」
「レヴィア様が、リリアの何を見つけたのかなって」
「…………」
「だって私、ずっとリリアと一緒にいたのに」
エマが。
少しだけ。
寂しそうな顔をした。
「気づかなかったから」
「エマ」
「だから知りたいだけ」
「…………」
私は。
自分の手を見る。
「自分自身にかける魔法」
「え?」
「私、それだけは得意みたい」
「自分に?」
「うん」
「身体強化とか?」
「そう」
「でも、学校では」
「試したことなかった」
「あ」
エマが。
目を見開く。
「そっか」
「うん」
「学校では、外に魔法を出すことばっかりだったもんね」
「そうみたい」
「じゃあ」
エマが。
笑った。
「落ちこぼれじゃなかったんじゃん」
「…………」
「得意なことを、誰も見つけられなかっただけで」
「……師匠にも似たようなこと言われた」
「そっか」
「うん」
「なら」
エマが。
笑う。
小さな八重歯。
「やっぱり、すごい人なんだね。レヴィア様」
「うん」
「どんな人?」
「え?」
「普段」
「…………」
私は。
少し考えた。
「肉が好き」
「うん」
「野菜が嫌い」
「……うん?」
「私の卵を狙う」
「待って」
「クッションを勝手に使う」
「ちょっと待って」
「寂しがり屋」
「本当に待って!」
「何?」
「それ、本当にレヴィア様の話!?」
「うん」
「世界最強って呼ばれてる人だよね!?」
「たぶん」
「何でそこはたぶんなの!?」
「師匠が自分で言ってるだけだから」
「本人が言ってるの!?」
エマが。
机に突っ伏した。
「私、何か分からなくなってきた」
「慣れるよ」
「リリアが慣れすぎなんじゃない?」
「そうかな」
「絶対そう」
私は。
少し笑った。
「やっぱり」
エマが言った。
「何?」
「リリア、変わったね」
「…………」
「学校にいたときより、よく笑う」
「そう?」
「うん」
「そんなことないと思うけど」
「ある」
「…………」
「前はさ」
エマが。
少しだけ。
視線を落とす。
「いつも謝ってた」
「え?」
「魔法に失敗して、ごめんなさい。授業止めて、ごめんなさい。ペア組んでもらって、ごめんなさい」
「…………」
「私にも」
「エマにも?」
「うん。何回も」
覚えていない。
いや。
きっと。
それくらい。
当たり前に言っていたんだ。
「でも今は」
エマが私を見る。
「師匠の悪口言って笑ってる」
「悪口じゃないよ!?」
「肉が好きで、野菜嫌いで、卵狙ってくるんでしょ?」
「全部事実」
「じゃあ悪口じゃないね」
「うん」
「…………」
「…………」
二人で。
少しだけ笑った。
「よかった」
エマが言った。
「何が?」
「リリアが楽しそうで」
「…………」
その言葉に。
胸の奥が。
少しだけ。
暖かくなった。
「……ありがとう」
「うん」
「心配してくれて」
「うん」
「探しに来てくれて」
「うん」
「…………」
「何?」
「それだけ」
「そっか」
エマが笑った。
八重歯が見えた。
やっぱり。
少しだけ。
懐かしかった。
◇
それから。
私たちは学校の話をした。
「クラス、どう?」
「変わんないよ」
「そっか」
「でも、リリアのことで結構騒ぎになった」
「やっぱり?」
「そりゃそうでしょ。突然いなくなって、オクトマギアの弟子になったんだから」
「……そんなに?」
「そんなに」
「私、もう学校行けないかも」
「何で?」
「恥ずかしい」
「今さら?」
「今さらって何!?」
「いや、前から失敗して爆発とかしてたし」
「忘れて!」
「無理」
「エマ!」
「懐かしいなぁ。火球出そうとして、自分の髪焦がしたやつ」
「忘れてってば!」
「あと、水魔法で自分だけ濡れたやつ」
「それも忘れて!」
「風魔法でスカート――」
「エマ!」
「あははっ!」
エマが笑う。
私も。
恥ずかしいけど。
少し笑った。
「でも」
エマが言う。
「みんな驚いてたよ」
「私が弟子になったから?」
「うん」
「……笑ってた?」
「何で?」
「だって」
「リリア」
エマが。
少しだけ。
真剣な顔になる。
「もう、それやめなよ」
「え?」
「何かあるたびに、自分が笑われてるって思うの」
「…………」
「まあ、笑ってた奴もいたけど」
「いたんだ」
「そいつらは私が睨んどいた」
「何してるの!?」
「別に」
「別にじゃないよ」
「でも、ほとんどは驚いてただけ」
「そっか」
「あと、羨ましがってた」
「私を?」
「うん」
「…………」
変な感じだった。
学校では。
ずっと。
できない側だった。
羨ましいなんて。
言われたことはない。
「変なの」
「何が?」
「私を羨ましがるなんて」
「そう?」
「うん」
「私は前から、ちょっと羨ましかったけど」
「え?」
「…………」
エマが。
一瞬。
何かを言いかけた。
でも。
「何でもない」
「何?」
「言わない」
「気になる」
「そのうちね」
「またそれ?」
「うん」
エマは笑った。
私は少し気になったけど。
それ以上は聞かなかった。
いつか。
話してくれる気がしたから。
◇
気づけば。
窓の外が。
少しだけ橙色に染まり始めていた。
「もうこんな時間」
エマが言った。
「本当だ」
「そろそろ帰ろうかな」
「もう?」
「何、その顔」
「別に」
「寂しい?」
「違う」
「本当?」
「うん」
「ふーん」
エマが。
ニヤニヤしている。
「何?」
「いやぁ」
「何?」
「リリアがそんな顔するようになったんだなぁって」
「どんな顔?」
「寂しそうな顔」
「してない」
「してる」
「してない」
「じゃあ、また来てもいい?」
「…………」
「どうしたの?」
「うん」
「え?」
「来て」
エマが。
少し驚いた顔をした。
「また来てほしい」
「…………」
「何?」
「いや」
エマが。
笑う。
「もちろん」
その瞬間。
玄関の扉が開いた。
「ただいま、リリア」
「おかえりなさい、師匠」
自然に。
言葉が出た。
そして。
少しして。
私は気づく。
エマが。
固まっている。
「エマ?」
「…………」
「どうしたの?」
「…………リリア」
「何?」
「あれ」
「師匠だけど」
「本物?」
「何が?」
「レヴィア様」
「本物だよ」
「…………」
師匠が。
部屋へ入ってくる。
黒い外套を脱ぎ。
私を見る。
そして。
エマを見る。
「客か?」
「あ、はい」
私は。
エマを見た。
「学校の友達です」
「…………」
エマの目が。
少しだけ。
大きくなった。
私は。
それに気づかなかった。
「エマ・フィオレです」
「エマか」
師匠が。
エマを見る。
「リリアが世話になったようだな」
「えっ」
エマが固まる。
「い、いえ! そんな! 私なんて!」
「そう緊張するな」
「無理です!」
「そうか」
「はい!」
「師匠」
「なんだ」
「エマが困ってます」
「何もしていないぞ」
「存在が強すぎるんです」
「どうしろと?」
「少し弱くなってください」
「無茶を言うな」
師匠が。
いつもの席に座る。
「腹が減った」
「帰ってきて最初がそれですか?」
「朝から何も食べていない」
「何でですか!」
「お前がいなかったからな」
「私のせいにしないでください!」
「食事を作る弟子が家にいたから」
「自分でも作ってください!」
「面倒だ」
「子供ですか!」
「戦禍の魔姫だ」
「それ便利に使うのやめてください!」
「…………」
静かだった。
エマが。
ものすごく静かだった。
「エマ?」
「…………」
「どうしたの?」
「リリア」
「うん?」
「この人、本当にレヴィア様?」
「だからそうだよ」
「……思ってたのと違う」
「失礼だな」
「す、すみません!」
「師匠、怖がらせないでください」
「怖がらせていない」
「今の言い方は怖いです」
「そうか?」
「そうです」
エマが。
私と師匠を交互に見る。
「…………」
「何?」
「いや」
「何?」
「仲いいんだなぁって」
「誰と?」
「レヴィア様と」
「…………」
「…………」
私は。
師匠を見た。
師匠も。
私を見る。
「どこが?」
「そうだぞ。私たちは仲がいい」
「師匠は黙っててください!」
「ほら」
「何が『ほら』なの!?」
エマが笑った。
八重歯が見える。
「やっぱり仲いいじゃん」
「違うって!」
「何が違うんだ?」
「師匠まで!」
「私は事実を言っただけだ」
「そういうところです!」
「何がだ?」
「もういいです!」
私は。
ため息をついた。
エマは。
まだ笑っている。
「リリア」
「何?」
「よかったね」
「何が?」
「いい師匠に会えて」
「…………」
私は。
少しだけ。
師匠を見た。
師匠も。
私を見る。
「まあ」
「何だ?」
「悪くはないかな」
「ほう」
「何です?」
「随分と偉そうな弟子だな」
「師匠に似たんです」
「…………」
「…………」
「やはり生意気になったな」
「誰のせいでしょうね」
エマが。
また笑った。
◇
夕暮れ。
エマは帰ることになった。
「じゃあね、リリア」
「うん」
「今度はちゃんと学校にも顔出してよ」
「……考えとく」
「絶対来て」
「はいはい」
「返事が軽い」
「行くよ」
「本当?」
「うん」
「約束」
「約束」
エマが。
笑った。
「じゃあ、またね」
「うん。また」
少し歩いて。
エマが振り返る。
「リリア!」
「何?」
「今度、修行見せて!」
「え?」
「身体強化!」
「まだ全然できないよ!」
「いいから!」
「恥ずかしい!」
「じゃあね!」
「あ、ちょっと!」
エマは。
手を振って。
走っていった。
赤みがかった栗色の髪が揺れる。
夕日に照らされて。
少しだけ。
赤く見えた。
「いい友達だな」
隣から。
師匠の声。
「……はい」
「大事にしろよ」
「分かってます」
「本当か?」
「師匠に言われなくても」
「そうか」
エマの姿が。
見えなくなる。
私は。
少しだけ。
胸の奥が暖かくなるのを感じた。
学校では。
落ちこぼれだった。
ずっと。
自分なんて。
いなくなっても。
誰も困らないと思っていた。
でも。
違った。
私を探して。
ここまで来てくれた人がいた。
心配したと。
怒ってくれた人がいた。
友達だと。
言ってくれた人がいた。
「…………」
「どうした?」
「何でもありません」
「そうか」
「はい」
私たちは。
家へ戻った。
◇
夕食の後。
私は食器を片付けていた。
「リリア」
「何です?」
「今日」
「はい」
「寂しくなかったか?」
「…………」
私は。
師匠を見る。
師匠は。
何でもない顔をしている。
「別に」
「そうか」
「エマも来ましたし」
「そうだったな」
「だから全然」
「そうか」
「…………」
「…………」
私は。
食器を一枚。
棚へ戻した。
「師匠こそ」
「なんだ?」
「ずいぶん早かったですね」
「用事が早く終わった」
「本当に?」
「ああ」
「私がいなくて寂しかったんですか?」
「…………」
師匠が。
黙った。
「師匠?」
「リリア」
「はい?」
「お前」
「何です?」
「最近、少し生意気になったな」
「誰の弟子でしょうね」
「…………」
「…………」
「それは、私だな」
「はい」
私は。
少しだけ笑った。
師匠も。
笑った。
「でも」
「何だ?」
「私がいないと、ご飯も食べられないんですよね?」
「食べられる」
「今日食べてませんでしたよね?」
「忙しかっただけだ」
「本当に?」
「ああ」
「寂しかったんですか?」
「違う」
「じゃあ何でそんなに早く帰ってきたんです?」
「…………」
「師匠?」
「リリア」
「はい」
「明日は修行を二倍にする」
「横暴!」
「師匠だからな」
「便利に使わないでください!」
「それに」
師匠が。
少しだけ。
笑った。
「お前が元気そうで安心した」
「…………」
「どうした?」
「何でもありません」
「顔が赤いぞ」
「夕日のせいです」
「もう夜だぞ」
「…………」
「…………」
「うるさいです」
「何も言っていない」
「顔に書いてあります!」
師匠が。
楽しそうに笑った。
私も。
少しだけ笑った。
学校には。
私を探しに来てくれる友達がいた。
そして。
今は。
帰ってきて。
ただいまと言う人がいる。
私は。
ずっと。
自分には何もないと思っていた。
魔法も。
才能も。
居場所も。
でも。
もしかしたら。
気づいていなかっただけなのかもしれない。
最初から。
持っていたものも。
あったのかもしれない。
「師匠」
「なんだ?」
「おかえりなさい」
「…………」
師匠が。
少しだけ目を見開いた。
「急にどうした?」
「別に」
「そうか」
「はい」
少しだけ。
間があって。
師匠は笑った。
「ああ。ただいま、リリア」
その言葉が。
不思議なくらい。
暖かかった。
そして。
「ところでリリア」
「何です?」
「明日の朝は肉が食べたい」
「ありません」
「買いに行こう」
「今からですか?」
「ああ」
「もう夜ですよ!?」
「なら魔法で飛べば早い」
「嫌です!」
「なぜだ」
「普通に明日買いに行きます!」
「今食べたい」
「子供ですか!」
「戦禍の魔姫だ」
「それ、今日何回目ですか!?」
結局。
その日の夜も。
私たちの家は。
静かにはならなかった。
でも。
たぶん。
私は。
この騒がしさが。
思っていたよりずっと。
好きになっていた。




