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私の部屋と、買い忘れた夕食。


「……何で床で寝てるんですか」


 朝。


 目を覚ました私が最初に見たものは、見慣れない天井でも、窓から差し込む朝日でもなかった。


 床だった。


 正確には。


 床に座り、私のベッドに上半身を預けたまま眠っている、一人の女性だった。


「師匠」


「…………」


「朝ですよ」


「…………」


「起きてください」


「…………あと五分」


「自分の部屋で寝てください!」


 肩を揺すると、師匠――レヴィア・クローデル様は、鬱陶しそうに眉を寄せた。


 戦禍の魔姫、ヴァルマギア。


 世界に八人しか存在しないオクトマギアの一人にして、最強とも呼ばれる魔法使い。


 その本人が今。


 私のベッドに頬を押しつけ、黒い髪をぐしゃぐしゃにして寝ている。


「師匠」


「聞こえている」


「なら起きてください」


「断る」


「どうしてですか」


「眠い」


「知ってます!」


 昨夜。


 私は幻夢の魔姫――ミラマギアと出会った。


 いや。


 本当に会ったのかどうかさえ、よく分からない。


 メイヴ・ルクス。


 夢と幻を操る、掴みどころのない魔女。


 彼女は私に、


『また会いましょう。次は、夢の中で』


 そう言い残して消えた。


 そのせいで少しだけ怖くなった私は、師匠に眠るまで近くにいてほしいと頼んだ。


 そして師匠は、本当に私が眠るまでいてくれたらしい。


 ただ。


「どうして床で寝てるんですか?」


「……途中で眠くなった」


「自分の部屋に戻ればよかったじゃないですか」


「面倒だった」


「歩いて十秒ですよね?」


「十秒もかかる」


「それくらい歩いてください!」


 師匠が薄く目を開ける。


 紅色の瞳が私を見た。


「それに」


「はい?」


「お前が袖を離さなかった」


「…………え?」


 自分の手を見る。


 師匠の黒いローブの袖を、しっかり握っていた。


「…………」


「…………」


 慌てて離す。


「これは違います!」


「何がだ?」


「寝てたからです!」


「ああ」


「無意識です!」


「分かっている」


「だから、その顔やめてください!」


「どんな顔だ?」


「嬉しそうな顔です!」


「気のせいだ」


 絶対に違う。


「……ほら、朝食にしますよ」


「作ってくれるのか?」


「昨日も作りました」


「いい弟子を持った」


「師匠も何かしてください」


「食べる」


「それは私もします!」


「なら一緒だな」


「全然違います!」


 こうして。


 私と戦禍の魔姫の一日は、いつも通り騒がしく始まった。


     ◇


「師匠」


「なんだ」


「私の卵を見ないでください」


「見ていない」


「見てます」


「観察しているだけだ」


「昨日も同じこと言いましたよね?」


「そうだったか?」


「そうです」


 朝食の席。


 向かい側に座る師匠は、自分の皿を綺麗に空にしたあと、当然のように私の皿を見ていた。


「今日はあげませんよ」


「まだ何も言っていない」


「顔に書いてあります」


「どこに?」


「全部です」


「私の顔に卵をくれと?」


「はい」


「器用な顔だな」


「感心しないでください」


 私は卵を一口で食べた。


「…………」


「何ですか」


「いや」


「何です?」


「酷い弟子だと思ってな」


「自分の分、食べたでしょう!」


「弟子の優しさを試しただけだ」


「毎朝試さないでください」


 師匠はパンを齧る。


 私はスープを飲んだ。


 窓の外では、朝日に照らされた草原が風に揺れている。


 この家で暮らし始めて、まだ数日。


 それなのに。


 こうして師匠と向かい合って朝食を取ることが、少しずつ当たり前になり始めていた。


「ところで」


 師匠が言った。


「お前の部屋、殺風景すぎないか?」


「……急ですね」


「ああ」


「今、卵の話をしてましたよね?」


「終わっただろう」


「師匠の中ではそうでしょうけど」


「昨日、床で寝ながら思った」


「人の部屋で寝ながら何を考えてるんですか」


「何もないな、と」


「ありますよ」


「何が?」


「ベッドと机と椅子」


「それだけだろう」


「十分です」


「本棚は?」


「ありません」


「鏡は?」


「小さいものなら」


「絨毯は?」


「ありません」


「クッションは?」


「いりません」


「必要だ」


「どうしてです?」


「私が使う」


「私の部屋ですよね!?」


 師匠が腕を組む。


「駄目だな」


「何がです?」


「あれでは部屋ではない。ただ寝るための箱だ」


「そこまで言わなくても……」


「私の弟子が、あんな部屋で生活していると知られたらどうする」


「誰に知られるんです?」


「ミネル」


 師匠の表情が真剣になった。


「絶対に説教される」


「師匠がですか?」


「ああ」


「なら仕方ないですね」


「お前、他人事だな」


「私、困ってませんし」


「駄目だ」


 師匠は立ち上がった。


「今日は街へ行くぞ」


「え?」


「家具と雑貨を買う」


「今からですか?」


「ああ」


「修行は?」


「買い物も修行だ」


「何のです?」


「いい物を見抜く目を養う」


「絶対に今考えましたよね?」


「行くぞ」


「話を聞いてください!」


 こうして。


 私の部屋を作るという名目で。


 急遽、街へ買い物に行くことになった。


     ◇


「……師匠」


「なんだ」


「多くないですか?」


「何が?」


「全部です」


 街へ到着して。


 一時間。


 私たちの後ろには、大量の荷物が浮いていた。


 魔法だ。


 師匠が指一本動かすことなく、買った家具や雑貨を宙に浮かせている。


 本棚。


 小さな棚。


 ランプ。


 絨毯。


 クッション。


 花瓶。


 カーテン。


 小物入れ。


 何に使うのか分からない謎の木彫りの鳥。


「この鳥、いります?」


「可愛いだろう」


「そうですか?」


「ああ」


「師匠が欲しいだけでは?」


「そうとも言う」


「じゃあ自分の部屋に置いてください」


「嫌だ」


「どうして?」


「お前の部屋に置きたい」


「私の意見は?」


「聞いている」


「採用は?」


「しない」


「聞いてる意味ないじゃないですか!」


 師匠は楽しそうだった。


 私よりも。


 明らかに。


 私の部屋作りを楽しんでいる。


「あ」


 師匠が足を止めた。


「どうしました?」


「服屋だ」


「そうですね」


「行くぞ」


「どうしてです?」


「服を見る」


「師匠のですか?」


「お前のだ」


「いりません」


「まだ見ていないだろう」


「嫌な予感がします」


「いいから来い」


「ちょっと、師匠!」


 腕を掴まれた。


 そのまま店へ連行される。


 店内には、色とりどりの服が並んでいた。


 普段着。


 ドレス。


 外套。


 帽子。


 私には縁のなかった、少し高そうな服まである。


「リリア」


「はい」


「これを着ろ」


 師匠が一着の服を差し出した。


「嫌です」


「早いな」


「何ですか、その服」


「服だ」


「見れば分かります」


 黒を基調とした服。


 白い襟。


 赤いリボン。


 可愛い。


 確かに可愛いけど。


「師匠の趣味ですよね?」


「ああ」


「認めましたね」


「似合うと思うぞ」


「恥ずかしいです」


「着ろ」


「嫌です」


「師匠命令だ」


「そういうときだけ師匠の権力を使わないでください!」


「試着だけだ」


「絶対ですか?」


「ああ」


「買いませんよ?」


「分かった」


「本当に?」


「早く行け」


「……分かりましたよ」


 服を受け取る。


 試着室へ入る。


 着替えて。


 鏡を見る。


「…………」


 似合わない。


 いや。


 そこまで酷くはない。


 でも。


 何というか。


 普段の自分とは違いすぎて落ち着かない。


「まだか?」


「今行きます!」


 カーテンを開ける。


「…………」


 師匠が黙った。


「ほら」


「…………」


「やっぱり似合わないじゃないですか」


「いや」


「じゃあ何で黙るんです?」


「……私の弟子は可愛いなと思って」


「着替えてきます」


「待て」


「返します」


「なぜだ!?」


「恥ずかしいからです!」


「似合っているぞ」


「だからです!」


「買おう」


「買いません!」


「もう払った」


「いつ!?」


「さっき」


「私が着替えてる間に!?」


「ああ」


「返品してください!」


「嫌だ」


「師匠!」


 結局。


 服は買われた。


 それだけではない。


 二着目。


 三着目。


「師匠」


「これも似合いそうだな」


「聞いてください」


「次はこっちか」


「師匠!」


「なんだ?」


「買いすぎです!」


「そうか?」


「そうです!」


 師匠は私の服を抱えている。


「でもな」


「はい?」


「今まで、お前は自分のために何かを選ぶことが少なかったんじゃないか?」


「…………」


 言葉に詰まった。


 師匠は。


 たまに。


 こういうことを言う。


 いつものふざけた顔で。


 まるで何でもないことのように。


「好きなものを選べ」


「でも」


「金ならある」


「そういう問題じゃ」


「遠慮するな」


 師匠が笑う。


「私は、お前に使いたいから使っている」


「…………」


「だから好きなものを選べ」


 私は。


 少しだけ店内を見渡した。


 そして。


 淡い色の、小さな髪飾りを見つけた。


「……あれ」


「ん?」


「あれが、いいです」


 師匠が見る。


「それだけか?」


「はい」


「もっと選べ」


「いいんです」


「遠慮してないか?」


「してません」


「本当に?」


「本当です」


 私は笑った。


「自分で選んだので」


 師匠は少しだけ目を細めた。


「そうか」


「はい」


「なら、それも買おう」


「それも?」


「ああ」


 嫌な予感がした。


「服も全部買う」


「やっぱり!」


     ◇


 街を出た頃には。


 空が橙色に染まり始めていた。


「疲れました……」


「楽しかったな」


「師匠はでしょうね」


「お前も楽しんでいただろう」


「…………」


「図星か?」


「違います」


「そうか」


「少しだけです」


「素直でよろしい」


「子供扱いしないでください」


 私たちの後ろには、大量の荷物。


 それを師匠が魔法で浮かせている。


 家具。


 雑貨。


 服。


 その他、師匠が勝手に買った謎の物。


 ふと。


 私は思った。


「師匠」


「なんだ」


「今日の夕食、何にします?」


「肉」


「またですか」


「ああ」


「野菜も食べてください」


「肉は野菜を食べる」


「だから自分も野菜を食べていることになる、みたいな理屈はやめてくださいね」


「…………」


「師匠?」


「…………」


 師匠が止まった。


 私も止まる。


「どうしました?」


「リリア」


「はい」


「大事なことを思い出した」


「何です?」


「食材を買っていない」


「…………」


「…………」


 風が吹いた。


 私たちの間を。


 静かに。


「師匠」


「なんだ」


「今日、何をしに街へ行ったんでしたっけ?」


「お前の部屋を作るためだ」


「そうですね」


「だから目的は達成した」


「夕食は?」


「…………」


「師匠?」


「リリア」


「はい」


「森へ行くぞ」


「誤魔化しましたね?」


「今日の夕食は現地調達だ」


「格好よく言っても買い忘れただけです!」


     ◇


 帰り道から少し外れたところに。


 大きな森がある。


 木々の間から差し込む夕日。


 湿った土の匂い。


 風が葉を揺らす音。


 遠くから。


 何かの鳴き声が聞こえる。


「師匠」


「なんだ」


「暗くなる前に帰りたいです」


「安心しろ」


「何を根拠に?」


「私がいる」


「その言葉、便利に使ってません?」


「事実だ」


 師匠が森の奥を見る。


「それに」


「はい?」


「せっかくだ。昨日の修行の続きをするぞ」


「食材探しじゃなかったんですか?」


「修行しながら探せば一石二鳥だ」


「絶対、買い忘れたのを誤魔化してますよね?」


「細かいことは気にするな」


「気にします!」


「昨日やった身体強化。覚えているな?」


「はい」


「今日は足だけじゃない」


「というと?」


「目と耳だ」


 師匠が、自分の目を指差す。


「魔力を流せ」


「目に?」


「ああ。だが慎重にな」


「どうしてです?」


「流しすぎると、見えすぎる」


「見えすぎる?」


「やってみろ」


「また説明不足です!」


「大丈夫だ」


「師匠の大丈夫は信用できません」


「酷いな」


 言われた通り。


 私は目を閉じる。


 魔力を感じる。


 胸の奥から。


 ゆっくり。


 慎重に。


 顔へ。


 そして。


 目へ。


「急ぐな」


 師匠の声。


「少しずつだ」


「はい」


「そうだ」


 目を開ける。


「――っ!?」


 世界が。


 変わった。


 葉の一枚一枚が見える。


 木の幹を這う、小さな虫。


 遠くで揺れる草。


 鳥の羽。


「すごい……」


「だろう?」


「こんなに見えるんですか?」


「お前だからだ」


「私?」


「ああ」


 師匠が笑う。


「普通はそこまで変わらん」


「また私の体質ですか?」


「そうだ」


 私は自分の手を見る。


 指紋まで。


 はっきり見える。


「……ちょっと気持ち悪いです」


「慣れろ」


「簡単に言いますね」


「次は耳だ」


「同時に?」


「ああ」


「怖いんですけど」


「私がいる」


「やっぱり便利に使ってますよね!?」


 それでも。


 やってみる。


 耳へ魔力を流す。


 その瞬間。


「うるさっ!?」


 鳥。


 虫。


 風。


 葉。


 遠くの水。


 全部が。


 一気に耳へ入ってきた。


「師匠!」


「声が大きい」


「誰のせいですか!」


「魔力を減らせ」


「先に言ってください!」


「言おうと思っていた」


「嘘です!」


 少しずつ。


 魔力を抑える。


 音が遠ざかる。


 ちょうどいいところで止める。


「どうだ?」


「……すごいです」


 今まで聞こえなかった音が聞こえる。


 見えなかったものが見える。


 魔法。


 ずっと。


 私には使えないものだと思っていた。


 でも。


「楽しいか?」


 師匠が尋ねた。


「……はい」


 私は答えた。


「すごく」


「そうか」


 師匠が。


 嬉しそうに笑った。


「なら、探せ」


「何を?」


「夕食だ」


「そこに戻るんですね」


「腹が減った」


「自業自得です!」


 私はため息をついた。


 でも。


 少し笑っていた。


     ◇


 しばらくして。


 私たちは食べられる野草と、木の実を見つけた。


「師匠」


「なんだ」


「肉がありません」


「探せ」


「やっぱり肉は諦めてないんですね」


「当然だ」


「今日は野菜だけにしません?」


「嫌だ」


「子供ですか?」


「戦禍の魔姫だ」


「関係ありません」


 そのとき。


 音がした。


 草が。


 揺れた。


「……師匠」


「ああ」


 何かいる。


 私は耳へ意識を集中する。


 足音。


 一つ。


 いや。


 二つ?


 違う。


「三つ」


「正解だ」


 師匠が言う。


「何ですか?」


「自分で見ろ」


「教えてください」


「修行だ」


「こういうときだけ!」


 茂みが揺れる。


 現れたのは。


 灰色の毛。


 低い身体。


 鋭い牙。


「……魔物」


「ああ」


 三匹。


 狼に似ている。


「グレイファングだ」


「知ってます」


「なら話が早い」


「師匠」


「なんだ」


「倒してください」


「嫌だ」


「即答!?」


「お前がやれ」


「無理です!」


「昨日の修行を思い出せ」


「まだ一日しかやってません!」


「十分だ」


「何がですか!」


 グレイファングが。


 こちらを睨んでいる。


「師匠!」


「大丈夫だ」


「またそれですか!」


「お前ならできる」


「根拠は!?」


 師匠が笑った。


「私の弟子だからだ」


「雑すぎます!」


 一匹が。


 地面を蹴った。


「――っ!」


 私は咄嗟に。


 足へ魔力を流した。


 地面を蹴る。


 身体が飛ぶ。


 牙が。


 さっきまで私がいた場所を通り過ぎた。


「避けた……!」


「前を見ろ」


「え?」


 二匹目。


「きゃあっ!?」


 転がるように避ける。


「師匠!」


「見ている」


「助けてください!」


「まだ必要ない」


「あります!」


 三匹目。


 足。


 目。


 耳。


 全部へ。


 魔力を流す。


 見える。


 聞こえる。


 足音。


 呼吸。


 筋肉の動き。


 来る。


 右。


 私は左へ跳んだ。


 避ける。


「……できた」


「止まるな」


 師匠の声。


 次。


 後ろ。


 振り返らず。


 前へ飛ぶ。


 牙が空を切る。


「そうだ」


 師匠の声が聞こえる。


「お前は魔法が使えないんじゃない」


 また一匹。


「誰よりも自分に魔法をかけられる」


 避ける。


「だったら」


 私は走る。


「誰よりも速く」


 木を蹴る。


「誰よりも強く」


 空中で身体を捻る。


「自分自身を、武器にしろ」


 着地する。


 グレイファングたちが。


 こちらを見る。


 私は。


 息を整えた。


「師匠」


「なんだ」


「どうやって倒すんです?」


「殴れ」


「嫌です!」


「では蹴れ」


「もっと嫌です!」


「我儘だな」


「武器をください!」


「そのうちな」


「今ください!」


 一匹が飛びかかる。


 私は。


 足へ魔力を集中した。


「――っ!」


 横へ避ける。


 そして。


 思い切り。


 蹴った。


 グレイファングの身体が。


 飛んだ。


「…………」


 木にぶつかる。


 倒れる。


 動かない。


「…………」


「…………」


 私と。


 残り二匹のグレイファングが。


 同時に、それを見た。


「……師匠」


「なんだ」


「やりすぎました」


「そうだな」


「どうしましょう」


「夕食にするか?」


「食べるんですか!?」


「冗談だ」


「今言うことですか!?」


 残りの二匹が逃げていった。


「……逃げました」


「ああ」


「勝ったんですか?」


「そうだな」


 師匠が歩いてくる。


「初勝利だ」


「…………」


 私は。


 自分の手を見る。


「私が」


「ああ」


「魔物に勝った」


「ああ」


 信じられなかった。


 魔法学校では。


 落ちこぼれだった。


 何をやっても。


 できなかった。


 でも。


「よくやったな」


 師匠の手が。


 頭に置かれる。


「リリア」


 その瞬間。


 胸の奥が。


 熱くなった。


「……師匠」


「なんだ」


「ありがとうございます」


「どうした、急に」


「何でもありません」


「そうか?」


「はい」


 師匠が。


 少しだけ笑った。


「では帰るか」


「はい」


「腹が減った」


「野草しかありませんよ」


「…………」


「何です?」


「リリア」


「はい」


「さっきの魔物」


「食べませんよ!?」


     ◇


 家へ帰る頃には。


 すっかり夜になっていた。


 夕食は。


 野草と木の実。


 それと。


 家に残っていたパン。


「肉がない」


「師匠が買い忘れたんです」


「育ち盛りには肉が必要だ」


「師匠の方が食べたいだけですよね?」


「否定はしない」


 夕食を終えたあと。


 二人で。


 私の部屋を作った。


 新しい本棚。


 新しいカーテン。


 新しいランプ。


 新しい絨毯。


 そして。


 ベッドの上には。


 師匠が勝手に選んだ、大きなクッション。


「……どうだ?」


 師匠が言った。


「前よりは、ずっといいだろう」


「はい」


 私は。


 部屋を見渡した。


 数日前。


 ここには。


 何もなかった。


 ベッドと。


 机と。


 椅子だけ。


 知らない家の。


 知らない部屋。


 ただ。


 寝るためだけの場所。


 でも。


 今は違う。


 師匠と一緒に選んだカーテン。


 師匠が勝手に選んだクッション。


 私が選んだ髪飾り。


 それから。


「…………」


 机の上。


 あの。


 謎の木彫りの鳥。


「師匠」


「なんだ」


「これ、やっぱりいりません」


「必要だ」


「何に?」


「見守ってくれる」


「誰を?」


「お前を」


「怖いです!」


 師匠が笑った。


 私は。


 もう一度。


 部屋を見る。


 そして。


 思った。


 少しだけ。


 本当に。


 ほんの少しだけ。


 ここが。


 私の居場所になった気がした。


「……ありがとうございます、師匠」


「ん?」


「何でもありません」


「聞こえたぞ」


「忘れてください」


「嫌だ」


「どうしてですか!」


「嬉しいからだ」


「…………」


 師匠は。


 時々。


 ずるい。


 そんなことを。


 真っ直ぐ言うから。


「顔が赤いぞ」


「ランプのせいです」


「昨日は朝日だったな」


「うるさいです」


「師匠に向かって?」


「うるさい師匠です」


 レヴィアは楽しそうに笑った。


「ところでリリア」


「何ですか?」


「そのクッション、私が使ってもいいか?」


「駄目です」


「即答か」


「私の部屋のために買ったんですよね?」


「私が買った」


「私のために!」


「少しくらいいいだろう」


「自分の部屋に帰ってください!」


「嫌だ」


「どうしてです?」


「この部屋の方が落ち着く」


「…………」


「なんだ?」


「いえ」


 それ以上。


 何も言えなくなった。


 この人は。


 寂しがり屋だから。


 もしかすると。


 一人でいるより。


 誰かのいる部屋の方が。


 本当に。


 落ち着くのかもしれない。


「……少しだけですよ」


「何が?」


「クッションです」


「いいのか?」


「少しだけです」


「そうか」


 師匠は嬉しそうにクッションへ座った。


「…………」


「師匠」


「なんだ?」


「それ、少しだけですか?」


「少しだ」


「完全に寝る体勢ですよね?」


「気のせいだ」


「目を閉じないでください!」


「五分だけ」


「昨日も聞きました!」


「なら十分」


「増やさないでください!」


 結局。


 その夜も。


 師匠を自分の部屋へ追い返すまで。


 随分と時間がかかった。


 魔法学校では落ちこぼれだった私が。


 戦禍の魔姫の弟子になって。


 初めて魔法を楽しいと思って。


 初めて魔物に勝って。


 そして。


 少しずつ。


 自分の居場所を見つけ始めている。


 まだ。


 師匠のようにはなれない。


 きっと。


 これからも。


 何度も失敗する。


 でも。


 今なら。


 少しくらい。


 自分を信じてみてもいいのかもしれない。


 そう思いながら。


 私は新しい部屋で。


 ゆっくりと目を閉じた。


「…………」


「…………」


「師匠」


「なんだ?」


「どうしてまだいるんですか?」


「寝たと思った」


「起きてます!」


「惜しかったな」


「何がです!?」


「おやすみ」


「自分の部屋で寝てください!」


 やっぱり。


 静かな夜は。


 まだまだ遠そうだった。

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