第三話「灰色の結婚式」3
第三章 赤ん坊の抱擁
祭壇の最上段。 そこは、炎の海における孤島だった。 周囲を舐め尽くす紅蓮の舌が、酸素を食らい尽くし、灼熱の空気を吐き出している。
その中心で、白い布に包まれた赤ん坊が泣き叫んでいた。
「オギャアアアアッ! オギャアアアアッ!!」
その泣き声は、単なる生理現象ではなかった。生まれた瞬間に世界から拒絶された、魂の悲鳴。 「痛い」「熱い」「寂しい」。 言語化される前の、原初の絶望が、物理的な振動となって空間を歪ませている。
融合人格『クリス』は、燃え盛る瓦礫を踏み越え、祭壇へと駆け上がった。 ドレスの裾が焦げ、肌がジリジリと焼ける。 だが、彼女は止まらない。
「……もう、大丈夫よ」
クリスは、両手に握りしめていた武器――改造ペンライトとククリナイフを、カランと床に放り捨てた。戦うための爪を捨て、守るための手を作る。
彼女は、炎の壁を突き破り、赤ん坊の元へ辿り着いた。躊躇なく、その小さな体を抱き上げる。
「あ……ぁ……」
赤ん坊が、クリスの胸の中で目を開けた。その瞳は、まだ色が定まっていない、混沌としたオッドアイ。 涙で潤んだその目は、目の前の存在が敵か味方か、あるいは自分を殺す死神なのかを測りかねて震えている。
「よしよし。……怖かったわね。痛かったわね」
クリスの口から、驚くほど優しい声が漏れた。それは、白雪美流愛の声であり、同時に亞莉愛と華琉愛の声でもあった。
組織で「番号」として育てられた彼女たちには、母親の記憶がない。ゆりかごの記憶も、子守唄の記憶もない。 あるのは、冷たい培養槽のガラスと、教官の怒号だけ。
だからこそ、彼女たちは知っていた。 この子が、今、一番求めているものを。 理屈でも、正論でも、同情でもない。ただ、肌と肌が触れ合う「体温」だけが、この孤独な夜を癒やせることを。
「パパとママは、もういないけど……」
クリスは、赤ん坊の煤けた頬に、自分の頬を寄せた。熱い。 火傷しそうなほどの熱を持った赤ん坊の体温が、クリスの冷たい肌に伝わってくる。
「今は、私たちがいるわ。……灯も、響も、鏡花も」
クリスの脳裏に、仲間たちの顔が浮かぶ。不器用で、乱暴で、傷だらけで、そして誰よりも温かい家族たち。血の繋がりなどない。ただ、同じ地獄を見て、同じ釜の飯、不味いコーヒーを啜っただけの関係。だが、それこそが、彼女たちが選び取った「絆」だ。
「うるさくて、乱暴で……最高の家族がいる」
『……あったかい』
赤ん坊の泣き声が、ふっと止まった。 言葉が通じたわけではない。 クリスの胸の鼓動――三つの魂が奏でる、力強く優しいリズムが、赤ん坊の心臓と共鳴したのだ。
「貴女は、いらない子じゃない」
クリスは、赤ん坊を強く抱きしめた。壊れないように、けれど、絶対に離さないように。
「私たちが……貴女を必要としてるの。……貴女がいなきゃ、あのアホな吸血鬼も、ポンコツ龍神も、みんなバラバラになっちゃうのよ」
クリス――美流愛、アリア、カルアの三人は、心の中で強く願った。 この子の孤独を癒やしたい。この子の涙を拭いたい。その純粋な「母性」にも似た愛情が、精神世界の法則を書き換えていく。
それは、かつて彼女たちが誰かにして欲しかったこと。 そして今、彼女たちが誰かにしてあげられる、唯一のこと。
「……いい子ね。おやすみ、祈」
クリスが子守唄のように囁くと、赤ん坊は安心しきった表情で、静かに目を閉じた。
フッ、と。 世界から音が消えた。
轟々と燃え盛っていた紅蓮の炎が、蜃気楼のように揺らぎ、そして霧散した。襲いかかってきていた断罪者の影たちも、黒い霧となって夜空へと溶けていく。
崩壊していた修道院の廃墟は、修復されるように姿を変えていった。 焼け落ちた天井は夜空へと変わり、砕けたステンドグラスは星々へと変わる。床には、柔らかな草花が芽吹き、瞬く間に一面の花園となった。
そこには、死の臭いも、焦げ臭さもない。 ただ、夜風に揺れる白い花々の、甘く切ない香りだけが漂っている。月光が、二人を優しく照らしていた。
「……ありがとう」
どこからか、成長した天羽祈の声が聞こえた気がした。クリスの腕の中で、赤ん坊の姿が光の粒子となって溶けていく。それは消滅ではない。 傷ついた記憶が癒やされ、本来あるべき深層意識へと統合されたのだ。「拒絶された過去」が、「愛された記憶」へと書き換えられた瞬間。
「……ふぅ。なんとかなったみたいね」
クリスが、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。 融合人格の維持限界が近い。 身体の輪郭がブレ始め、ノイズが走っている。三人の精神が、摩耗しきっていた。
「ああ。……『罪悪感』の階層は突破した」
瓦礫の陰から、鏡花が歩み寄ってきた。 彼女の白衣も焦げ、義手からは煙が上がっているが、その表情は安堵に緩んでいた。
「見事だったぞ、クリス。……論理では解けない解を、感情で導き出すとはな」
「……褒めても何も出ないわよ、鉄屑」
クリスは、力なく笑った。 そして、視線を前方へと向ける。
祭壇の奥。 かつて十字架が立っていた場所に、光の渦が生まれていた。 その中心に、純白の扉が出現している。装飾の一切ない、無機質で、冷徹なほどに白い扉。
「あれが、最後のゲートだ」
鏡花が、その扉を指差した。
「……一番奥、ってこと?」
「そうだ。……この先にあるのは、彼女の深層心理の最深部。……彼女が最も見たくないもの。あるいは、最も見たいと願ってしまった『甘い毒』だ」
鏡花の声が、緊張を帯びる。 これまでの階層は、恐怖やトラウマといった「負の感情」だった。 だが、最後の階層は違う。 もっと根深く、魂を絡め取る「依存」と「逃避」の世界。 そこから連れ戻すことは、怪物を倒すよりも困難かもしれない。
「……行くぞ。最後の仕上げだ」
鏡花は、クリスに手を差し伸べた。クリスは、その手を取って立ち上がる。ドレスの埃を払い、乱れた髪をかき上げる。 そのオッドアイには、もう迷いはない。
「ええ。……覚悟はできてるわ」
二人は、白き扉へと歩み出した。手を伸ばし、その冷たいノブに触れる。
ギィィ……。
扉が開く。溢れ出すのは、目も眩むような純白の光。光が彼女たちを包み込み、さらなる深淵――第3層へと誘う。
そこは、全てが白く、優しく、そして残酷なまでに静謐な「無菌室」の世界。 祈が夢見た、永遠の安らぎという名の棺桶。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




