第二話「砂糖菓子の悪夢」2
第二章 顔のない客
「いらっしゃいませ、ご主人様♡」
どこからか、少女の声が降ってきた。スピーカーを通したような、ノイズ混じりの甲高い声。 それは紛れもなく天羽祈の声だったが、彼女が普段私たちに見せる控えめな音色とは決定的に異なっていた。 媚び、へつらい、自身の存在を安売りすることでしか他者と繋がれない、哀れな「商品」としての声。
その声が合図だった。
ズズズ……。
マシュマロのような地面が波打ち、路地裏の暗がりから、あるいはマンホールの蓋の隙間から、どす黒い影が湧き出し始めた。それは、ヘドロのようであり、タールのようでもあった。 影は急速に凝固し、人の形を成していく。
「……何だ、あれは」
鉄鏡花が、義眼の解析モードを最大にする。 現れたのは、一見するとただの人間たちだった。 くたびれたスーツを着た中年サラリーマン。学校の制服を着た男子学生。 派手なブランド物を身につけたホスト風の男。
傾奇町ではありふれた、有象無象の群衆。だが、彼らには決定的に欠けているものがあった。
「顔」がない。
目も、鼻も、口もない。 ただのっぺりとした肌色の曲面が、首の上に載っているだけだ。 彼らは「個」ではない。祈がこれまでの人生で接し、機嫌を伺い、愛想笑いを振りまいてきた「その他大勢」の概念集合体。
『可愛いね』
顔のない学生が言った。口がないのに、声が脳内に直接響く。
『でも、目が変だね』
『色が違うよ』
『気持ち悪い』
「……ッ!?」
融合人格『クリス』が、頬に鋭い痛みを感じて手をやった。指先に、赤い血が付着する。何も触れていないはずの頬が、カミソリで切られたように裂けていた。
「物理ダメージ……? 言葉が、刃になっているのか」
鏡花が呻く。 ここは精神世界。 言葉は音波ではなく「意味」として伝達され、その意味が持つ「悪意」が、ここでは物理的な質量を持って対象を傷つける凶器となる。
『汚い』
『半端者』
『代わりなんて、いくらでもいるよ』
サラリーマンが、ホストが、学生が、一歩ずつ距離を詰めてくる。彼らの一挙手一投足、発する言葉のすべてが、祈を傷つけてきた記憶の再現だ。 悪意はないのかもしれない。「ただの感想」「何気ない一言」。 だが、言われた側にとっては、心臓を抉るナイフに他ならない。
「……イラつくわね」
クリスの口から、白雪美流愛の冷徹な声色が漏れた。 彼女の右目――白雪亞莉愛の黄金の瞳が、怒りに燃え上がる。
「お姉様の高潔な精神に、土足で踏み込む雑菌ども」
左目――白雪華琉愛の深紅の瞳が、嗜虐的に細められる。
「掃除の時間だよ、お姉様。……ミンチにして、肥料にしてあげよう」
クリスは、両手に持ったククリナイフを逆手に持ち替えた。その背中から、実体のない「幻影の翼」のようなオーラが立ち昇る。
「……うるさいわね、雑音が」
クリスが、一歩踏み出した。マシュマロの地面を蹴り、重力を無視した加速。 その動きは、美流愛が持つ洗練された舞踏のステップに、双子の持つ野生的な獣のバネが融合した、予測不能の軌道を描く。
「私の愛は……こんな薄っぺらい言葉じゃ傷つかないのよ!」
シュッ!!
一閃。 先頭にいたサラリーマンの首が、物理的に刎ね飛んだ。 だが、切り口から噴き出したのは鮮血ではない。 インクのような、どす黒い液体。 それが周囲のピンク色の世界に飛び散り、汚濁の模様を描く。
『痛い』『酷い』『なんで笑ってくれないの』
顔のない客たちが、不快なノイズを撒き散らしながら殺到する。 彼らの腕が伸び、クリスの手足を掴もうとする。 それは「束縛」への欲求。 「お前は俺たちの思い通りになれ」という、無言の圧力。
「触るなッ!!」
クリスは、空中で独楽のように回転した。改造ペンライトから伸びる光刃が、円を描いて周囲の敵を薙ぎ払う。 切断された腕が宙を舞い、黒い雨となって降り注ぐ。
「鏡花! 解析はどうなってるの!?」
クリスが叫びながら、バックステップで距離を取る。 ワイヤーを展開し、迫りくる学生服の集団を絡め取り、壁に叩きつける。
「現在、空間構造の歪みを検索中だ。……だが、ノイズが多すぎる!」
鏡花は、自身の義手からケーブルを伸ばし、地面に直結させていた。 この世界の構成データを読み解こうとしているのだが、客たちの吐き出す暴言が、ハッキングの妨げになっている。
「この敵……。倒しても倒しても、キリがないぞ」
鏡花の指摘通りだった。 クリスが十体を斬り伏せると、その血溜まりから新たに二十体が湧き出してくる。 分裂し、増殖し、質量を増していく。
『僕を見て』
『私を愛して』
『一人にしないで』
彼らの言葉が変わっていく。 罵倒から、懇願へ。 それは、祈自身の心の叫びでもあった。 彼女は、客たちに自分を見てほしかった。認めてほしかった。 「嫌われたくない」「必要とされたい」という渇望が、この怪物たちを生み出し、無限に再生させているのだ。
「……厄介な迷宮だ」
クリスは、額の汗を拭った。 精神体のため物理的なスタミナは無限に近い。 だが、精神的な摩耗が激しい。罵倒を浴び続けるストレス。そして、祈の悲痛な叫びを直接脳内に流し込まれる不快感。
「お姉様……。この空間、息が詰まります」
「不快指数、限界突破。……全部壊しちゃダメなの?」
双子の人格が悲鳴を上げる。 美流愛の人格が、それを必死に統合し、制御する。
「ダメよ。……ここで私たちが折れたら、あの子は一生このヘドロの中で溺れ死ぬわ」
クリスは、ドレスの裾を破り捨てた。 黒いインクで汚れた純白の布が、地面に落ちる。 彼女は、ナイフを構え直した。 その瞳には、揺るぎない「愛」の光が宿っている。 それは、祈に向けられたものであり、同時に、かつての自分自身に向けられたものでもあった。
誰かに認められなければ生きられない弱さ。 仮面を被らなければ息ができない苦しさ。それは、美流愛も、アリアも、カルアも、痛いほどに知っている痛みだからだ。
「……アンタの弱さごと、愛してあげるわよ。祈」
クリスが、再び敵の群れへと突っ込んだ。 今度は、防御を捨てた特攻。 肉を切らせて骨を断つ。 罵倒を浴び、肌を切り裂かれながら、それでも彼女は舞い続ける。 その姿は、血と泥にまみれた、最も美しく、そして狂気的なアイドルそのものだった。
だが、敵の増殖は止まらない。 黒い波が、二人を飲み込もうと迫り上がってくる。 この悪夢の根源を断たなければ、脱出は不可能だ。
「……見つけた」
その時、鏡花が顔を上げた。 義眼が、一点を捉える。
「座標特定。……このエリアの『核』は、あそこだ」
鏡花が指差した先。 「愛して」という文字で埋め尽くされた看板の向こう側。歪んだ路地の最奥に、一際巨大な、鏡張りの建物がそびえ立っていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




