第二話「砂糖菓子の悪夢」1
第一章 ピンク色のヘドロ
意識が覚醒した瞬間、網膜を焼いたのは、吐き気を催すほど鮮烈な「ショッキングピンク」だった。
鉄鏡花は、瞬きを繰り返し、視覚センサーのホワイトバランスを調整した。だが、世界の色は変わらない。空は、腐った桃の缶詰をぶちまけたような毒々しいピンク色。雲はなく、代わりに蛍光色のノイズがオーロラのように空を覆い、不快な電子音を奏でている。
「……最悪のカラーバランスだ。網膜が焼ける」
鏡花は身を起こそうとして、足元の違和感に気づいた。硬い感触がない。 アスファルトに見えるその地面は、踏み込むとズブズブと沈み込む、巨大なマシュマロのような弾力を持っていた。 甘ったるい、鼻腔にへばりつくような香料の匂い。 砂糖と、安っぽい香水と、そして奥底に隠されたヘドロのような汚物の臭気。
「ここは……」
鏡花は周囲を見渡した。 見覚えのある看板。見覚えのある路地の形状。ここは、東帝都の歓楽街・傾奇町だ。天羽祈が働いていたコンカフェ『しゅがーぽいずん』があった街。
だが、物理法則が狂っている。ビル群は熱で溶けた蝋細工のようにぐにゃりと歪み、ネオンサインはインクが垂れるようにアスファルトへと流れ落ちている。自動販売機からは得体の知れない色のジュースが溢れ出し、道端のゴミ袋は心臓のように脈打っている。
そして何より、看板の文字がおかしい。 『無料案内所』『キャバクラ』『居酒屋』といった文字であるはずの場所が、全て書き換えられている。
『愛して』 『私を見て』 『捨てないで』 『私はいらない子』 『ごめんなさい』 『誰か助けて』
強迫観念めいた言葉の羅列。 それが、明滅するネオンとなって街中を埋め尽くし、視覚的な暴力となって迫ってくる。
「……なるほど。これが天羽祈の心象風景か」
鏡花は、自身の義手を強く握りしめた。 ここは現実ではない。 祈が「自分の居場所」を求めて彷徨い、コンカフェ嬢という「仮面」を被って生き延びてきた記憶の投影。 甘い嘘で塗り固められた、自己嫌悪の迷宮だ。
「随分と……歪んでいるな」
「あら、私は嫌いじゃないわよ。……趣味は最悪だけど」
隣から、凛とした、しかしどこか重層的な響きを持つ声がした。そこに立っていたのは、一人の少女だった。
漆黒のロングヘアには、月光のような銀色のメッシュが入っている。顔立ちは白雪美流愛そのものだが、その瞳は異質だった。右目は、白雪亞莉愛と同じ黄金色。左目は、白雪華琉愛と同じ深紅。 そして中央には、美流愛の冷徹な知性が宿っている。
融合人格、『クリス』。
彼女は、マシュマロのような地面にヒールが沈むのを厭わず、優雅に髪をかき上げた。 その仕草一つにも、三人の個性が混ざり合っている。
「お姉様……いえ、私。身体の調子はどうですか?」
クリスの口から、恭しい口調が漏れる。アリアの人格だ。
「最高よ。……力が溢れてくる。三人分のアドレナリンが、血管の中でサンバを踊ってるみたい」
今度は、好戦的なカルアの人格が答える。彼女は空を蹴り上げるような動作をした。
「静かにしなさい。……頭の中で喋られると気が散るわ」
統括する美流愛の人格が、二人を諌める。 一人の人間の中で、三つの魂がシームレスに入れ替わり、混ざり合っている。 だが、そこには混乱はない。絶対的な信頼と、狂気的な愛で結ばれた「姉妹」だからこそ成せる、奇跡の融合。
「……安定しているようだな」
鏡花が問うと、クリスは不敵に微笑んだ。
「ええ。これなら、どんな悪夢だろうと切り刻めるわ」
クリスは、太腿のホルスターから改造ペンライトと、二本のククリナイフを取り出した。ジャキッ、と光刃が展開される。 その輝きだけが、この毒々しい世界の中で唯一、確かな「現実」の色をしていた。
「行くわよ、鏡花。……さっさとこの悪夢を終わらせて、あの子を叩き起こしてやるわ」
「同意する。……長居は無用だ。この空間にいるだけで、精神汚染レベルが上昇している」
鏡花が歩き出す。 足元の地面が、粘着質に靴底にまとわりつく。 この世界そのものが、侵入者を拒絶し、あるいは取り込もうとしているようだ。
「……ねえ、鏡花」
クリスが、不意に尋ねた。
「祈の精神って、こんなにも脆かったの?」
彼女は、歪んだ看板を見上げていた。『私を愛して』という文字が、血のように垂れている。
「いつも笑ってたじゃない。……『しゅがーぽいずん』でも、私たちの前でも」
「……笑顔は、防御反応だ」
鏡花は淡々と答えた。
「彼女は、自分が『異物』であることを誰よりも恐れていた。……だから、誰からも愛される『良い子』を演じ、自分自身を押し殺してきたのだ」
「……馬鹿な子」
クリス――美流愛の人格が、悔しげに呟いた。
「そんなの、私たちが一番よく知ってるのに。……私たちだって、似たようなもんじゃない」
「だからこそ、お前が来たのだろう?」
鏡花の言葉に、クリスはフンと鼻を鳴らした。
「勘違いしないで。……私は、あの子の泣き顔が見たいだけよ。勝手に絶望して、勝手に消えようとするなんて……許さないから」
二人は歩き出した。 『私を見て』と叫ぶ看板の下、歪んだ歌舞伎町の深淵へと。そこには、祈がひた隠しにしてきた「顔のない怪物たち」が待ち受けている。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




