第一話「砕け散る日常」3
第三章 トリニティ・クライシス
「ダイブ・シークエンス、起動」
鉄鏡花の無機質な声が、張り詰めた空気を震わせた。 彼女は自身の義手から伸びるコネクタを、棺桶のような『精神潜行装置』に直結させる。 その隣には、融合人格『クリス』――白雪美流愛の肉体をベースに、双子の亞莉愛と華琉愛の精神を統合させた、美しくも歪な戦士が横たわっていた。
「……行ってくるわ。待ってなさい、泣き虫」
クリスの瞳――右が金色、左が赤色に輝くオッドアイが、ゆっくりと閉じられる。数千のコードが走り、電子音が唸りを上げ、そしてフッと消えた。 彼女たちの意識は、肉体という檻を抜け出し、昏睡状態にある天羽祈の深層心理、その底なしの迷宮へと潜行を開始したのだ。
後に残されたのは、機械の駆動音と、重苦しい沈黙だけ。事務所には、意識のない五つの肉体(祈、鏡花、美流愛、双子)が転がっている。
「……頼むぜ、鏡花」
久遠灯は、吸いかけの「わかば」を灰皿に押し付けた。 祈の命は、秒読み段階だ。 焦燥が、血管の中を泥のように流れている。
その時。 壁面の大型通信モニターが、警告音と共に明滅した。 ノイズ混じりの画面に映し出されたのは、聖地アストエルにいるルシウス・クロウリーの、酷く険しい表情だった。
『……灯。聞こえるか』
「ああ。……随分と景気の悪いツラだな、神父様」
灯がマイクに向かって答える。だが、ルシウスに軽口を返す余裕はなかった。彼の背後では、警報が鳴り響き、騎士団が慌ただしく走り回っているのが見える。
『緊急事態だ。……地下都市ヴァルハドキアで、再び「魔界の門」が開こうとしている』
「な……っ!?」
傍らで爪を噛んでいた辰巳響が、顔を上げた。
「門って……ハルマゲドンの時のアレか!? 祈はいねぇんだぞ! 誰が開けるってんだ!」
『ルーファス・アザリエルだ』
ルシウスが、呪うようにその名を告げた。
『あの男は死んでいなかった。……深淵の底で生き延び、今度は「鍵」を使わず、自らの肉体と地下都市の全エネルギーを触媒にして、無理やり門をこじ開けようとしている』
モニターに、衛星映像が表示される。 アストエル近郊の峡谷。その底から、ドス黒い瘴気の柱が天に向かって噴き上がっていた。それは、「国の業」とはまた違う、純粋な「魔界」からの侵食。
『放置すれば、数日で門は完全開放される。……そうなれば、今度こそ世界は魔界と融合し、物理法則が崩壊する』
ルシウスの声は重かった。
『H.L.O.H.も総力を挙げて封じ込めを図っているが、外側からの攻撃では限界がある。……門を閉じるには、内部…魔界側から制御術式を書き換えるしかない』
「……マジかよ」
灯は、天井を仰いだ。祈は目覚めない。鏡花たちはダイブ中だ。 戦力は半減している。だが、行かなければ世界が終わる。 祈が帰ってくるべき場所が、消滅してしまう。
「……わかった」
灯は、M500をホルスターに叩き込んだ。 その瞳に、覚悟の炎が宿る。
「祈は起きねえ。……門を閉じるには、現地に行って内側から叩くしかねえか」
「アタシも行くぜ!」
響が立ち上がり、拳を鳴らした。その瞳孔は、すでに戦闘モードの縦長に裂けている。
「ここで指くわえて待ってるなんて御免だ! ……祈が戻ってくる場所を守らなきゃなんねぇ。暴れるなら手伝うぜ、灯!」
「……ああ。頼りにさせてもらう」
灯と響は頷き合い、装備を整え始めた。 弾薬、回復薬、そして響は予備のタピオカ(カロリー源)をポケットにねじ込む。時間はない。事務所を出ようとした、その時だった。
ブーッ、ブーッ、ブーッ。
響のポケットの中で、スマートフォンが不吉な振動を上げた。 こんな時に、誰だ。響は舌打ちをして画面を見る。 表示された名前を見て、彼女の表情が凍りついた。
『美咲の母』
美咲。 響を助け、人間の盾となって響を守った、かけがえのない親友。普通の、ただの女子高生。 嫌な予感が、響の心臓を鷲掴みにする。
「……はい、もしもし?」
恐る恐る通話ボタンを押す。スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、半狂乱になった母親の泣き叫ぶ声だった。
『響ちゃん!? ああ、よかった繋がった……! 美咲が……美咲が帰ってこないの!』
「……え?」
『塾が終わる時間になっても帰らなくて……GPSも切れてて……! 警察に電話しても「ただの家出でしょう」って……! でも、あの子が連絡なしに外泊なんて……!』
響の思考が真っ白になった。 ヴァルハドキアの危機も、魔界の門も、一瞬で吹き飛んだ。美咲が、いない。
「……おばさん、落ち着いて。最後に連絡があったのは?」
『夕方よ……。「タピオカ飲んで帰る」って……』
タピオカ。 それは、響と美咲を繋ぐキーワードだ。 死舞谷のいつもの店。 そこで、何かが起きた。
響は通話を切り、呆然と立ち尽くした。 手が震える。
「……灯」
響が、掠れた声で呼ぶ。
「どうした?」
灯が振り返る。装備を背負い、出発の準備を整えている。 世界を救うための準備を。
「美咲が……いなくなった」
響は唇を噛み締め、血が出るほど強く拳を握った。
「行方不明だ。……ただの家出じゃねえ。嫌な予感がするんだ。……すごく、嫌な予感が」
世界を滅ぼす魔界の門。 たった一人の親友の失踪。 天秤にかけるまでもないはずだ。世界の方が重いに決まっている。 魔界の門が開けば、美咲だって死ぬのだから。だが、響の魂は、理屈を拒絶した。 今すぐ探しに行かなければ、取り返しのつかないことになる。龍としての本能が、そう叫んでいる。
響は、ドアノブに手をかけたまま動けなかった。 灯についていくべきだ。それが正義だ。 だが、足が動かない。
「……行ってやれ」
背後から、静かな声がした。響が弾かれたように振り返ると、灯が「わかば」をくわえ、火をつけているところだった。紫煙が揺らぐ。
「……え?」
「美咲ちゃんを探せ。……お前にとっちゃ、世界がどうなるかより、あの子が笑ってるかどうかのほうが重要だろ?」
灯は、吸ったばかりの煙草をもみ消し、響に歩み寄った。そして、その背中をバンと強く叩いた。
「迷うな。……お前が迷えば、あの子も迷う」
「で、でも……! ヴァルハドキアは!? 灯一人じゃ……!」
「ナメんじゃねえよ」
灯はニヤリと笑った。 その笑顔は、1000年を生き抜いた吸血鬼の、ふてぶてしくも頼もしい顔だった。
「私は不死身だ。魔界だろうが地獄だろうが、しぶとく生き残ってやる。……ヴァルハドキアには私一人で行く」
灯は、響の胸を指差した。
「お前は、お前の『神様』を守りに行け。……それが、リコリス・バロックの流儀だ」
響の目から、大粒の涙が溢れ出した。理屈じゃない。任務じゃない。 ただ、この人の「家族」でいられたことが、誇らしかった。
「……わりぃ、灯! ……借りるぜ!」
「ああ。……絶対に、連れて帰ってこいよ」
「おうよ!!」
響はドアを飛び出した。 雨の降る死舞谷の闇へと飛び出していく。雷光のような速さで。 彼女はもう迷わない。大切な友を探し出すために、嗅覚を研ぎ澄ませて夜を駆ける。
その背中を見送り、灯は一人、M500を担ぎ直した。 広い事務所に、一人きり。いや、眠っている仲間たちがいる。
「さてと。……貧乏くじは慣れっこだ」
灯が屋上のヘリポート(と呼んでいるただの空き地)に出ると、激しいローター音と共に、一台のヘリコプターがホバリングしていた。 虹海から飛来した、最新鋭のステルスヘリ。
操縦席の窓が開き、サングラスをかけた男が顔を出した。 派手なアロハシャツ。
「よう、リーダー。……片道切符の地獄行き、空席あるかい?」
チャーリー・S。 虹海の守護者であるはずの彼が、ニヤリと笑って手招きしている。
「チャーリー……。なんでここに」
「虫の知らせさ。……それに、白虎と青龍に任せておけば大陸は安泰だ。俺は暇でね」
彼は、助手席のドアを開けた。
「ルシウスの旦那から連絡があったぜ。『とびきりイカれたタクシーが必要だ』ってな」
「……ふっ。気が利くな、亀野郎」
灯は、ヘリに乗り込んだ。眼下には、雨に煙る東帝都の夜景が広がっている。
事務所には、昏睡状態の祈と、ダイブ中の鏡花・クリスの肉体だけが残された。 彼女たちは、内なる迷宮で戦っている。響は、路地裏の闇の中で、友を探して走っている。 そして灯は、空の彼方、魔界の口へと向かう。
バラバラになったリコリス・バロック。だが、魂は繋がっている。それぞれの場所で、それぞれの「大切なもの」を守るために。
「出すぞ! ……行き先は地獄だ!」
チャーリーが操縦桿を引く。ヘリが急上昇し、闇の彼方へと消えていく。
三つの物語が、同時に動き出した。それぞれの地獄が、同時に口を開けたのだ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




