第一話「砕け散る日常」2
第二章 ダイブ・システム
『万事屋 リコリス・バロック』の事務所は、先ほどまでの喧騒が嘘のように凍りついていた。ソファに横たえられた天羽祈は、眠り姫のように美しい。 だが、その胸の上下動はあまりに頼りなく、触れた肌は陶器のように冷たかった。
「……ダメだ。外部からの呼びかけには一切反応しない」
鉄鏡花が、祈の頭部に接続した電極ケーブルを外し、沈痛な面持ちで首を振った。モニターに表示される脳波グラフは、深海のように平坦で、時折ノイズのように微弱なスパイクを描くだけだ。
「意識レベル、ロスト。……肉体は生きているが、精神(魂)だけが『向こう側』へ拉致されている」
「向こう側って……死んだってことかよ?」
辰巳響が、祈の手を握りしめて食ってかかる。 鏡花は冷静に、しかし残酷な事実を告げた。
「医学的には植物状態に近い。だが、これは病気ではない。……アストエル聖魔戦争で、彼女は神と悪魔の力を同時に受け入れ、世界を調律した。その代償だ」
鏡花は、キーボードを叩き、複雑な多次元グラフを表示させた。
「彼女の魂の器に亀裂が入り、そこから自我が漏れ出している。……放っておけば、数日以内に肉体とのリンクは完全に断たれ、彼女は二度と目覚めない」
「そんな……」
久遠灯が、ギリリと奥歯を噛み締める。 やっと取り戻した日常。 また、失うのか。
「……助ける方法は?」
灯の問いに、鏡花は一瞬沈黙し、そして部屋の奥にある巨大な機材を指差した。 それは、ジャンクパーツと最新鋭の医療機器を組み合わせて作られた、棺桶のような形状のカプセルだった。 鏡花が密かに開発を進めていた、禁断のデバイス。
「『精神潜行装置』」
鏡花がその名を口にする。
「他者の脳波を同調させ、対象の深層心理領域――精神世界へと直接侵入する装置だ」
「……精神世界?」
「ああ。祈の精神は今、崩壊した自我を守るために、自ら作り出した迷宮の奥底に引きこもっている。……外から呼んでも届かないなら、中に入って連れ戻すしかない」
希望の光。 だが、鏡花の表情は晴れない。
「だが、システムは不安定だ。……祈の精神は現在、極めて脆弱な状態にある。大勢で侵入すれば、その負荷だけで彼女の世界は崩壊する」
鏡花は、カプセルを撫でた。
「ダイブできるのは、システムを制御する私(技術担当)と……護衛役のもう一人。計二名が限界だ」
「たった二人かよ……!」
響が唸る。祈の精神世界がどんな場所かは未知数だ。 トラウマや恐怖が具現化した怪物が巣食っているかもしれない。そこへ、たった二人で乗り込む。
「……私が行くわ」
静寂を破り、一人の少女が手を挙げた。 白雪美流愛。彼女は、決意に満ちた瞳で鏡花を見据えた。
「祈の護衛なら、私が適任よ。……あの子の軟弱な根性を叩き直せるのは、私しかいないもの」
美流愛は、祈の寝顔を見下ろし、ふん、と鼻を鳴らした。
「勝手に寝てるなんて許さないわ。……起きたら、みっちりダンスレッスンさせてやるんだから」
その言葉の裏にある、不器用な愛情。灯は、ニヤリと笑って美流愛の肩を叩いた。
「頼んだぜ、美流愛。……お前なら、地獄の底からでもあいつを引きずり戻せる」
「ええ。任せて」
美流愛がカプセルに向かおうとした、その時だった。
「嫌ですッ!!」
「絶対にお断りです!!」
悲鳴のような声が響いた。双子の白雪亞莉愛と白雪華琉愛が、美流愛の足にしがみついたのだ。
「お姉様! 危険すぎます! 私たちも行きます!」
「お姉様と離れるなんて、死んでしまいます! 連れて行ってください!」
双子は半狂乱だった。 彼女たちにとって、美流愛は世界の全てであり、神だ。精神世界へのダイブは、肉体を置いていく危険な旅。 もし美流愛が戻ってこなかったら? その恐怖が、双子をパニックに陥れていた。
「離しなさい! 二人じゃ無理なのよ!」
「嫌です! 離れません!」
「お姉様と一緒じゃなきゃ、私たちもここで息を止めます!」
駄々をこねる子供のように、泣き叫ぶ双子。時間は刻一刻と過ぎていく。祈のバイタルが、低下のアラートを鳴らし始めた。
「……チッ。面倒くさいことになったな」
鏡花が舌打ちをする。 このままでは、説得している間にタイムリミットが来る。 かといって、双子を連れて行けば、キャパシティオーバーで全員共倒れだ。
鏡花は、高速で思考を巡らせた。三人を連れて行く方法。負荷をかけずに、戦力を最大化する方法。
「……一つだけ、手がある」
鏡花が、狂気的な光を宿した瞳で、美流愛たちを見た。
「混ぜればいい」
鏡花の言葉に、全員が凍りついた。
「……は? 何言ってんだ、鏡花」
「美流愛、アリア、カルア。……お前たちは、元々同じ遺伝子を持つクローンだ。脳波の波長は、驚くほど似通っている」
鏡花は、端末を操作し、三人のバイタルデータを重ね合わせた。波形が、ピタリと一致する。
「通常なら不可能だが……お前たちならできる。脳波を完全に同調させ、一時的に三人の意識を『一つの人格』として統合するのだ」
「と、統合……?」
美流愛が息を呑む。
「そうだ。……肉体はここに残し、精神データだけを圧縮・融合させてダイブする。そうすれば、システム上の判定は『一人』になる」
それは、禁断の領域だった。 個我の境界を溶かし、他者と混ざり合う行為。 失敗すれば、三人の精神が混濁し、二度と元に戻れなくなるかもしれない。
「……やるわ」
美流愛は、即答した。 彼女は、泣きじゃくる双子の頬を両手で挟み、真っ直ぐに見つめた。
「アリア、カルア。……私と、一つになれる?」
「お、お姉様……?」
「祈を助けるためよ。……アンタたちの愛、私に全部預けなさい」
双子の瞳が潤む。 それは、恐怖の涙ではない。敬愛する姉と、魂レベルで一体になれるという、究極の至福への涙。
「……はい!」
「喜んで! ……私たちの全てを、お姉様に捧げます!」
「決まりだな」
鏡花が、カプセルの設定を変更する。 三つのヘッドギアが用意された。
「同期率は300%を目指す。……自我を見失うなよ」
美流愛、アリア、カルアが、並んで椅子に座り、ギアを装着する。 コードが接続され、システムが唸りを上げる。
「ダイブ・シークエンス、起動。……融合開始」
鏡花がエンターキーを叩いた。
キュイイイイイィィン……!!
高周波の音が響き、三人の意識が白光の中に吸い込まれていく。美流愛の冷静な理性。 アリアの狂信的な献身。 カルアの獰猛な闘争心。三つの魂が溶け合い、混ざり合い、そして新たな形へと再構築されていく。
光が収束する。モニターの中に、一人の少女のアバターが形成された。
その姿は、美流愛をベースにしていた。 だが、その黒髪には、双子と同じ銀色のメッシュが入り、長く伸びている。 そして、開かれた瞳は。 右目がアリアの金色、左目がカルアの赤色という、妖しいオッドアイに変化していた。
融合人格『クリス』。
三人の魔女が一つになった、最強の精神体。
『……ふふ。聞こえる?』
スピーカーから、美流愛であって美流愛でない、三重の和音のような声が響いた。
『調子は悪くないわね。……身体が、すごく軽い』
クリスは、画面の中で自分の手を握りしめ、不敵に微笑んだ。 その笑みには、美流愛の美しさと、双子の狂気が同居している。
「……成功だ」
鏡花が、自らもヘッドギアを装着し、隣のシートに座る。
「行くぞ、クリス。……迷宮の奥底へ」
『ええ、行きましょう。……祈ちゃんを、迎えに』
「ダイブ!」
鏡花とクリスの意識が、現実世界から切り離される。二人は、光のトンネルを抜け、天羽祈の閉ざされた心――精神世界へと飛び込んだ。
事務所には、静寂が戻った。眠り続ける祈と、糸の切れた人形のように動かない四人の肉体だけを残して。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




