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リコリス・アナザー・ヴァース  作者: ネオもろこし
祈界潜行(インナーダイブ)編

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第一話「砕け散る日常」1

第一章 眠れる森の迷子


 東帝都(トウテイト)神宿(シンジュク)。 降り止まぬ酸性雨がアスファルトを黒く染めるこの街において、雑居ビルの屋上に増築されたツギハギだらけのプレハブ小屋――『万事屋 リコリス・バロック』は、今日も今日とて、耳鳴りがするほどの喧騒に包まれていた。


「違う! そこはワン・ツーでターン! 重心を低く!」


 白雪美流愛(しらゆき みるあ)の怒号が飛ぶ。 彼女は現在、アイドルを引退し、敏腕プロデューサーとして双子の妹たちを指導している。手にはハリセン代わりの丸めた台本。鬼軍曹の形相だ。


「は、はい! お姉様! ワン・ツー!」


「重心を低く……! お姉様の教え、身体に刻み込みます!」


 その前で、白雪亞莉愛(アリア)と白雪華琉愛(カルア)が、涙目でステップを踏んでいる。彼女たちの動きは人間離れしたキレがあるのだが、美流愛の求める「アイドルの可愛らしさ」という基準には、殺し屋としての癖が邪魔をしているようだった。


 部屋の隅、ジャンクパーツの山に埋もれているのは、鉄鏡花(くろがね きょうか)だ。彼女は拡大鏡を装着し、微細な電子基板にハンダごてを当てている。ジジジ、と焦げる匂いが漂う。


「……この回路は非効率だ。エネルギー伝導率が0.5%低下している。……焼き直すか」


 そして、デスクにだらしなく足を投げ出しているのは、リーダーの久遠灯(くおん あかり)。 彼女は愛用の安煙草「わかば」を吹かしながら、ぼんやりと壁掛けの液晶テレビを眺めていた。


 テレビの画面には、ニュース番組が流れている。映し出されているのは、東帝都の復興を指揮する新知事・常盤 宗一郎(ときわ そういちろう)の記者会見だ。


『――ええ、港湾地区の再開発は順調です。我々は、過去の過ちから学ばねばなりません。排除ではなく、共存を。……いわゆる「特別居住区」の住人たちとも、対話を重ねていく方針です』


 実務家肌の知事は、淡々と、しかし力強く語っている。「特別居住区の住人」。 それは、かつて「害獣」として駆除対象にされていた妖怪や亜人たちの、新しい呼び名だった。世界は少しずつ、だが確実に変わり始めている。


「……ケッ。相変わらず堅苦しいツラしやがって」


 灯は、煙と共に毒づいたが、その口元は微かに緩んでいた。平和だ。退屈で、騒がしくて、そして何よりも得難い、最高の日常だ。


「はい、今日の『しふぁちゃんのお悩み相談室』はここまで! ……みんな、辛い時はストゼロ飲んで寝ちゃおうね!」


 パソコンの前で、天羽祈(あもう いのり)がウェブカメラに向かって手を振っていた。 彼女は今や、登録者数100万人を超える人気動画配信者(ライバー)だ。 「堕天使しふぁ」としてのキャラクターは、傷ついた現代人の心を癒やすカルト的な人気を博している。画面の向こうには、無数のコメントとスパチャが流れていた。


『しふぁちゃんありがとう!』


『ストゼロ買ってきます!』


『今日も救われた……』


 祈は、満面の笑顔で配信終了のボタンを押した。


「ふぅ……。今日もたくさん来てくれました」


 祈はヘッドセットを外し、大きく伸びをした。 その顔には、充実感と、心地よい疲労が浮かんでいた。


「お疲れさん。……ほらよ」


 灯が、冷蔵庫から冷えた缶を放り投げる。 『ストロングゼロ・ダブルレモン』。祈はそれを空中でキャッチし、プシュッと小気味良い音を立てて開けた。


「ありがとうございます、灯さん! ……んぐ、んぐ、ぷはぁっ!」


 アルコールが、乾いた喉を潤す。 幸せな時間。 この時間が、永遠に続くと思っていた。その瞬間までは。


「……あ、れ?」


 空になった缶を置こうとした祈の手が、空中で止まった。


 違和感。世界が、急に遠くなった気がした。 目の前にあるデスクの木目、輝くモニター、笑い合う仲間たちの顔。 それらの「色」が、急速に褪せていく。まるで、古い映画のフィルムが焼き切れるように、視界がセピア色に染まり、やがてノイズに覆われていく。


(なに……これ……?)


 耳鳴りがする。 キーンという高い音が、鼓膜ではなく、脳髄の奥底で響いている。 身体の感覚がない。指先が冷たい。いや、冷たいという感覚すら、どこか他人のことのように感じる。


(色が……消える……?)


 アストエル聖魔戦争。 あの日、私は神と悪魔の力を同時に行使し、世界を「調律」した。 その代償。 私の魂という「器」に入った亀裂が、今、限界を迎えて砕けようとしている。


「……灯……さ……」


 祈は、助けを求めて手を伸ばした。声が出ない。 空気が、肺に入ってこない。伸ばした手は空を切り、彼女の身体は重力に従ってゆっくりと傾いていった。


 ガタンッ!


 椅子が倒れる音が、事務所の喧騒を切り裂いた。 空き缶が転がり、レモンの香りが床に広がる。


「祈!?」


 灯がいち早く反応し、デスクを飛び越えて駆け寄った。床に倒れた祈を抱き起こす。 その身体は、陶器のように冷たかった。ぐったりとして、人形のように力が入っていない。


「おい、しっかりしろ! 祈! ……聞こえるか!?」


 灯が頬を叩く。 だが、反応はない。呼吸は浅く、脈も糸のように細い。ただの貧血や過労ではない。 吸血鬼の鋭敏な感覚が、祈の中から「何か」が決定的に失われていることを告げていた。


「……鏡花!!」


 灯の絶叫に近い呼びかけに、鉄鏡花が弾かれたように振り返った。 彼女は状況を一瞬で理解し、作業の手を止めて駆け寄った。


「……美流愛! 双子! 祈をそこのソファへ! バイタルチェックを急げ!」


 鏡花の指示で、美流愛たちが祈を運ぶ。 鏡花は、自身の義手から数本の極細ケーブルを伸ばし、祈のこめかみと心臓部に吸着させた。左目の義眼が、高速で明滅し、祈の生体情報をスキャンしていく。


「……どうなの、鏡花!?」


 美流愛が、祈の手を握りしめながら叫ぶ。その手は震えていた。


 鏡花は答えない。彼女の視界には、絶望的なデータが羅列されていた。


『心拍数、低下』


『血圧、測定不能』


『脳波……フラット』


「……意識レベル、ロスト。……脳波が検出されない」


 鏡花が、青ざめた顔で告げた。 機械的な冷静さを保とうとしているが、その声には隠しきれない動揺が混じっている。


「死んだって……いうの?」


「いいや」


 鏡花は首を振った。


「肉体は生きている。心臓も動いているし、細胞も活動している。……だが」


 鏡花は、天井を見上げた。 あるいは、その向こうにある見えない次元を。


「精神(魂)だけが、ここにはない」


「……は?」


 灯が呆然とする。


「どういうことだ」


「彼女の精神体を示す波長が、物理次元から乖離(デタッチ)している。……何らかの力によって、魂だけが高次元の狭間……『向こう側』へ強制的に引き剥がされ、拉致されている状態だ」


 鏡花は、モニターに映る祈の脳波図を指差した。そこには、深い海の底に沈んでいくような、弱々しい信号だけが残っていた。 本体とのリンクが切れかかっている。


「これは気絶や昏睡ではない。……完全なる『不在』だ」


 鏡花は、悔しげに唇を噛んだ。


「あのアストエルでの奇跡……。神と悪魔を同時に受け入れた負荷が、時間差で彼女の魂を崩壊させたのだ。……このままでは、数日以内に肉体とのパスが切れ、彼女は帰らぬ人となる」


「そんな……」


 アリアが口元を押さえる。 カルアが泣きそうな顔で祈を見る。


 事務所の中に、重苦しい沈黙が落ちた。 テレビからは、まだ常盤知事のインタビューが流れている。 『未来への希望』『新しい街づくり』。 そんな明るい言葉が、今の彼女たちには遠い世界の出来事のように聞こえた。


 灯は、祈の手を握った。 冷たい。いつも温かいコーヒーを淹れてくれた手が、今は氷のように冷え切っている。 取り戻したはずの日常が、音を立てて崩れ去っていく音が聞こえた。


「……連れ戻すぞ」


 灯が、低い声で言った。


「地獄だろうが、精神世界だろうが関係ねえ。……魂がないなら、引っこ抜いてでも連れ戻す」


 彼女の瞳に、再び戦いの炎が宿る。平和な時間は終わった。魔女たちの、新たな、そして最も困難な戦いが始まろうとしていた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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