第十五話「不在の食卓」1
第一章 目覚めの喪失感
東帝都・神宿。 雑居ビルの屋上にある『万事屋 リコリス・バロック』の事務所。窓の外では、いつものように酸性雨が上がり、白々とした朝の光が差し込み始めていた。
電子音がプツリと止み、冷却ファンの低い駆動音だけが響く中、棺桶のような『精神潜行装置』のカプセルハッチが、圧縮空気を吐き出して開放された。
「……ッ、はぁ……!」
天羽祈が、深い水底から顔を出したかのように、大きく息を吸い込んで目を見開いた。 虚ろだった瞳に、急速に焦点が合う。 右の青、左の赤。 世界から乖離していた魂が、肉体という器にカチリと嵌まり込み、オッドアイに色彩が戻る。
「……ただいま、戻りました」
祈は、震える声で呟いた。 その声は枯れていたが、確かな生気宿っていた。
「祈!」
隣のカプセルから這い出した融合人格『クリス』――分離した直後の白雪美流愛と、双子の亞莉愛・華琉愛が、転がるようにして駆け寄った。
「よかった……! 本当に、戻ってきた……!」
美流愛が、祈の華奢な体を強く抱きしめる。 彼女の美しい顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。いつもは完璧なアイドルとして振る舞う彼女が、今はただの一人の人として、大事な仲間の生還に泣き崩れている。
「祈さん! 怖かったですぅ!」
「もう二度と、あんなところに行かないでください!」
双子もまた、左右から祈にしがみつき、子供のように泣きじゃくった。精神世界での過酷な旅路。 自身のトラウマと向き合い、過去を肯定して帰還した祈の顔には、かつての弱々しさはなく、芯の通った強さが宿っていた。
「……バイタル、安定。脳波も正常値に戻った」
コンソールを操作していた鉄鏡花が、安堵の息を漏らす。 彼女の義眼から、警告色の赤が消え、平時の緑色が灯る。 鏡花は、震える手で眼鏡の位置を直し、祈の方へ歩み寄った。
「……非論理的な賭けだったが。結果は良好だ」
彼女はそう言って、祈の頭を不器用に撫でた。冷たい義手の感触。だが、そこには確かな体温があった。涙ながらに抱き合う5人。 地獄のような精神世界の旅は終わった。日常が、戻ってきたのだ。
だが、感動も束の間、祈はすぐに違和感に気づく。鼻をひくつかせる。
いつもの不味いコーヒーの匂いがしない。 安煙草「わかば」の紫煙が漂っていない。 そして、一番会いたかった人たちの、騒がしい足音がない。
「……灯さんは? 響ちゃんは?」
祈の問いに、事務所内が静まり返った。美流愛が、バツが悪そうに視線を逸らす。 鏡花が、無言でデスクの方角を顎でしゃくった。
そこには、吸い殻で溢れた灰皿の下に、一枚のメモが残されていた。 祈は、フラつく足で歩み寄り、そのメモを手に取った。 見慣れた、乱暴な筆跡。
『魔界の門を閉じにヴァルハドキアへ行く。 響は、行方不明になった美咲を探しに行った。……留守は任せた。必ず帰る』
簡潔すぎる文章。 だが、その行間からは、灯の不器用な気遣いと、重すぎる覚悟が滲み出ていた。 彼女は、祈を救うための戦力を分散させないよう、一人で最も危険な任務を引き受けたのだ。
「……あのバカ。また一人で貧乏くじを引きやがって」
美流愛が、悔しげに唇を噛む。「家族」だと言ったのに。また一人で背負い込んだリーダーへの怒りと、どうしようもない愛おしさ。
「灯の単独行動は想定内だ。……だが、事態は深刻だぞ」
鏡花が、モニターに映し出された地図を指差す。 ユーガリア大陸、ヴァルハドキア。そこでは今、地獄の蓋が開きかけている。
「『魔界の門』が開けば、世界は終わりだ。灯はそれを、内側から閉じるつもりだろう。……それは、二度と帰れない片道切符だ」
「そんな……!」
祈がメモを握りしめる。助けてもらった命。今度は、私が助けに行く番だ。
「行きましょう。……灯さんを、連れ戻しに!」
祈の言葉に、全員が頷いた。迷いはない。
「ええ。文句の一つも言ってやらなきゃ気が済まないわ」
「準備を急げ。……私が、最速の移動手段を確保する」
彼女たちは動き出した。 休息など必要ない。 リーダーを地獄の底から引きずり戻すために、彼女たちは傷ついた体に鞭を打ち、装備を整え始めた。 長い夜が明け、決意の朝が始まる。
翌日の昼下がり。 出発の準備を整えたリコリス・バロックの元に、激しいノックの音が響いた。 返事をする間もなく、事務所のドアが勢いよく蹴り開かれる。
バンッ!!
「ただいま! ……って、空気重いなオイ!」
入ってきたのは、ボロボロの服を着た辰巳響だった。彼女の服は焼け焦げ、泥と血にまみれている。だが、その表情は晴れやかだった。
「響ちゃん!?」
祈が駆け寄る。響の後ろから、青いドレスの王 麗琳、そして貴族服のエミル・ノスフェラトゥが姿を現す。海を越え、国境を越えて駆けつけた援軍たち。
そして。響の背中には、一人の少女がおぶわれていた。黒縁眼鏡の、地味な制服姿。
美咲。
彼女は深く眠っていた。その首元には、七色に輝く『四血の勾玉』がかけられ、静かな光を放っている。
「いろいろあったんだよ。……話すのは後だ。まずはこいつを」
響は、美咲を慎重にソファに寝かせた。 その手つきは、壊れ物を扱うように優しかった。全員が、固唾を呑んで美咲を見守る。 彼女から発せられる気配が、ただの人間のものではないことを、魔女たちは本能的に感じ取っていた。
「……響。その子は?」
美流愛が、鋭く問う。 響は、重い口を開いた。 その瞳には、見てきた地獄と、守り抜いた誇りが宿っていた。
「……こいつは、『救世主』だ」
「メシア……!?」
全員が絶句する。 伝説の存在。 世界を浄化し、リセットするために現れるとされる高次存在。それが、まさか自分たちの身近にいた、ただの女子高生だったとは。
「ベルベットの奴が……こいつの血(毒)を狙って襲ってきた。京帝で匿われていたんだが、無理やり覚醒させられそうになったんだ」
響は、拳を握りしめながら語った。 美咲が暴食の怪物になりかけたこと。 銀色の血を流し、友を喰らおうとしたこと。 そして、タピオカの記憶と、四つの血の儀式によって、ギリギリで人間の側に繋ぎ止めたこと。
「その血……『メシアの血』を、ベルベット・ミラーに奪われた」
「奪われた……ですって?」
鏡花の顔色が変わる。
「ああ。……奴の狙いは、真祖ヴィクトルだ。メシアの血を使えば、不死なる真祖を殺せる。……奴は、その毒を手に入れたんだ」
衝撃的な事実に、事務所内が凍りつく。 ベルベットの野望。真祖殺し。 それが成されれば、吸血鬼の勢力図が塗り替わり、世界はさらなる混沌に包まれるだろう。
「奴らは、間違いなく古城へ向かった。……ヴィクトルの首を獲りにな」
響は、西の空を睨みつけた。
「だが、その前に……」
響は、西の空を睨みつけた。そして、視線をデスクの上のメモ――灯の書き置きへと移した。
「……灯は、やっぱりヴァルハドキアに行ったんだな」
響の声には、確信と、止められなかった後悔が混じっていた。別れ際、灯は確かに言った。『ヴァルハドキアには私一人で行く』と。 あいつは、有言実行の馬鹿だ。
「ええ。魔界の門を閉じるために」
祈が頷く。
「だったら、優先順位は一つだ」
響は、仲間たちを見回し、力強く断言した。
「まずは灯だ。……あいつをあの世になんか行かせねえ。地獄の入り口だろうが何だろうが、首根っこ掴んで連れ戻す!」
灯を救い、戦力を整えてから、ベルベットを追う。それが唯一の勝機だ。
「……ええ、そうね」
美流愛がナイフを構え直す。
「灯を拾って、それからベルベットを追う。……忙しくなりそうね」
「計算上、灯の生存率は低下し続けている。……急ぐ必要がある」
鏡花が端末を閉じた。
「行きましょう。……灯さんを、一人にはさせません!」
祈が立ち上がる。全員の意志が、一つに結ばれた。ヴァルハドキアの門。そこが、再集結の場所だ。
「おうよ!」
響がニカっと笑う。 その笑顔は、泥だらけでも、傷だらけでも、最高に輝いていた。
再集結した魔女たち。 彼女たちの反撃が、ここから始まる。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




