第十三話「緋色の侵食と銀の飢餓」1
第一章 古都炎上
京帝・御所の最奥、「開かずの間」。 そこは、外界の喧騒から隔絶された、冷たく重い静寂に支配されていた。空調の低い唸り音だけが、永遠に続くかのように響いている。
冷たい石畳の上で、辰巳響は膝を抱えて座り込んでいた。 彼女の目の前には、厚さ20センチを超える対魔術防弾ガラスの壁がある。その向こう側――厳重に封印された隔離室の中に、彼女の親友はいた。
美咲。
かつて死舞谷でタピオカを飲み、くだらない話で笑い合った、ごく普通の女子高生。だが、今の彼女にその面影はない。 手足は禍々しい呪文が刻まれた革の拘束具でベッドに固定され、額と胸には高位の封印符が何枚も貼り付けられている。
「……あ……ぅ……」
美咲の口元から、銀色の涎が糸を引いて垂れ落ちた。 それは唾液ではない。彼女の体内で生成される、あらゆる魔を溶かす聖なる溶解液だ。涎がシーツに落ちるたび、ジュッという微かな音と共に生地が炭化していく。身体は断続的に痙攣し、白目を剥いた瞳が、見えない獲物を求めて虚空を彷徨っている。
「……美咲」
響は、ガラスに額を押し付けた。冷たい感触。だが、響の胸の内は、灼熱の鉛を流し込まれたように重く、熱かった。
(アタシが……もっと早く見つけていれば)
後悔が、波のように押し寄せる。 東帝都で美咲が行方不明になったあの日。 もっと早く駆けつけていれば。いや、そもそもアタシが「龍神」なんていう厄介な存在じゃなければ、こいつは巻き込まれずに済んだんじゃないのか? 近くにいたアタシの龍脈エネルギーが、こいつの中に眠っていた「メシアの因子」を刺激してしまったんじゃないのか?
「……ごめんな。痛ぇよな。腹、減ってるんだよな……」
響の脳裏に、かつて見た映像がフラッシュバックする。路地裏で吸血鬼を捕食していた美咲の姿。今の美咲を支配しているのは、底なしの飢餓だ。世界中の魔を喰らい尽くしても満たされない、救世主という名の怪物の本能。
「……自分を、責めてはなりません」
背後から、凛とした、しかし痛ましげな声が響いた。天帝・昊天だ。彼女は響の隣に歩み寄り、ガラスの向こうの美咲を見つめた。
「これは、誰の罪でもないのです。……強いて言うなら、残酷な運命の悪戯でしょう」
「……運命で片付けんのかよ」
響は顔を上げず、震える声で吐き捨てた。
「あいつは……ただの人間だぞ。勉強が苦手で、甘いもんが好きで……ただそれだけの、アタシの大事なダチなんだよ。……なんで、こんな目に遭わなきゃなんねえんだ」
「響様……」
昊天は、響の背中に手を伸ばしかけ、止めた。かける言葉が見つからない。天帝として、この国の守護者として、危険因子である美咲を封印する判断を下したのは自分だ。 その判断が正しかったとしても、響の心を救うことはできない。
『……ひび、き……ちゃん……』
その時。ガラスの向こうから、微かな、しかしはっきりとした声が届いた。マイク越しではない。響の鼓膜ではなく、魂に直接響くような念話。
響が弾かれたように顔を上げる。 美咲の虚ろな瞳が、ガラス越しに響を捉えていた。
「美咲!?」
『……どこ……? ……お腹、すいた……』
美咲が、拘束具を引きちぎらんばかりに暴れ始めた。 ガシャン! ガシャン! 金属音が響く。
『……たべたい……。響ちゃんの……ちから……ほしい……』
「……ッ」
響は息を呑んだ。 それは親愛の言葉ではない。捕食者が、極上の餌を前にして漏らす、渇望の呻きだった。親友が、自分を「食べ物」として見ている。 その事実は、響の心をナイフで抉るよりも深く傷つけた。
「……いっそ、この手で楽にしてやるべきなのか?」
響の右手に、微かな雷気が走る。このまま化け物として生き恥を晒させるくらいなら。アタシの手で、終わらせてやるのが友情なんじゃないか。 そんな、暗い誘惑が鎌首をもたげる。
その時だった。
ドクン。
京帝の空気が、大きく脈打った。警報ではない。もっと根源的な、大気の悲鳴。肌を焼くような熱波と、背筋を凍らせる殺気が、物理的な圧力となって御所を襲ったのだ。
「……な、なんや!?」
回廊の入り口で控えていた葛葉が、狐の耳をピンと立てて叫んだ。
「結界が……京帝を隠していた『隠蔽結界』が、焼かれておる!?」
「焼かれている、だと?」
響が立ち上がる。 窓の外。夜空が、あり得ない色に染まっていた。赤。 夕焼けの赤ではない。溶岩のような、ドス黒い紅蓮。
京帝を覆うドーム状の結界の外側に、巨大な影が張り付いていた。翼長数百メートルに及ぶ、炎の巨鳥。
朱 焔陽だ。
『隠れんぼは終わりだ、ネズミども!』
朱雀の声が、空から降り注ぐ。 それは雷鳴よりも大きく、響たちの骨を振動させた。
『貴様らが隠している「餌」の匂いは、天まで届いているぞ! ……その結界ごと、都を灰にしてくれる!』
朱雀が翼を広げると、空から火の雨――高密度の火球弾が流星群のように降り注いだ。 一つひとつが、ビルを倒壊させるほどの威力を持つ戦略級魔術。
「迎撃ッ! 『天刑衆』、構えッ!」
葛葉が通信機で叫ぶ。 御所の屋根や、街の各所に配置されていた精鋭部隊・天刑衆が一斉に術式を展開する。 無数の呪符が舞い、防御障壁が展開される。
だが、神の炎の前では、それらは紙屑同然だった。
ジュワァァァァッ!!
障壁が接触した瞬間に蒸発する。 火球が市街地に着弾し、爆炎が上がる。千年の歴史を持つ古都の街並みが、次々と紅蓮の炎に飲み込まれていく。 悲鳴と爆音が、静寂だった京帝を一瞬にして戦場へと変えた。
「……嘘だろ。……ここも、燃やす気かよ」
響が窓に駆け寄る。 目に映るのは、虹海タワー崩壊の時と同じ、理不尽な破壊の光景。守りたかったものが、またしても力によって踏みにじられていく。
ドゴォォォォン!!
上空で何かが弾ける轟音が響いた。それは、京帝を守る絶対防壁が、物理的な熱量によって焼き破られた音だった。
「報告! 結界、第1層から第3層まで、全壊! 上空からの侵入を許しました!」
回廊に控えていた『天刑衆』の通信兵が、悲鳴のような報告を上げる。その声を聞いた天帝の側近・葛葉の顔から、血の気が引いた。 狐の耳が、恐怖に震えている。
「あきまへん……! 結界が、紙切れみたいに……!」
葛葉が窓から身を乗り出す。夜空が、赤く染まっていた。 京帝を覆うドーム状の結界の外側に、巨大な炎の鳥が張り付いている。その翼が放つ熱波が、結界の表面を焼き、ガラスのようにひび割れさせていく。
朱 焔陽だ。
『 ……その結界ごと、都を灰にしてくれる!』
朱雀の声が、空から降り注ぐ。 彼が翼を広げると、空から火の雨――高密度の火球弾が流星群のように降り注いだ。 街を守っていた天刑衆たちが迎撃の術式を展開するが、神の炎の前では紙屑同然に燃え尽きていく。
「迎撃ッ! 結界班、死ぬ気で支えなはれ! 御所に火の粉ひとつ入れたら承知しまへんで!」
葛葉が扇子を振るって指揮を執るが、その声にも焦燥が滲む。空からの攻撃だけではない。もっと近く、致命的な場所からの侵入者の気配。
「……正面は朱雀が引き受けているわ」
艶やかな声が、炎の音に混じって響いた。 上空ではない。 御所の庭園から。
「私は裏口から失礼するわね」
響が視線を落とすと、燃え盛る庭園の中央に、一人の女が優雅に着地していた。 真紅のチャイナドレス。黒い革ジャン。 手には長い煙管。
ベルベット・ミラー。
彼女は、降り注ぐ火の粉を日傘のように魔力で弾きながら、悠然と歩を進めていた。行く手を阻もうとした天刑衆の兵士たちが、彼女に殺到する。槍が、術が、彼女を狙う。
「どきなさい、雑草」
ベルベットは、煙管を持ったまま、左手を軽く振った。
ヒュッ!!
彼女の傷口から溢れ出た血液が、鋼鉄の荊棘となって伸びる。 固有能力『赫き荊棘』。真紅の鞭が、兵士たちの武器を砕き、鎧ごと身体を弾き飛ばす。 殺しはしない。ただ、路上の小石を蹴散らすように、邪魔者を排除していく。
その足取りは、戦場を歩くものではなく、舞踏会に向かう貴婦人のそれだった。血と炎の雨の中を、一滴の汚れもなく、一直線に「開かずの間」を目指して歩いてくる。 その瞳は、壁を透かして、響――いや、その背後にいる美咲だけを見据えていた。
「さあ、私の可愛い『メシア』を頂きに参りましょうか」
「……来る」
響は、窓枠を握りしめた。金属がひしゃげる音がする。
「あいつら……美咲を奪いに来やがった!」
響の中で、迷いが消し飛んだ。 自己嫌悪も、恐怖も、今はどうでもいい。目の前に、明確な「敵」が現れた。 ならば、やることは一つだ。
「昊天! 葛葉! ……美咲を頼む!」
響は叫ぶと、懐から真空パックされたタピオカを取り出した。 虹海のチェン爺特製の『七色龍珠』。
「アタシが……食い止める!」
響はパッケージを食い破り、中身を一気に流し込んだ。 強烈な甘みと、薬草の苦味。 そして、爆発的なエネルギーが胃袋から全身へと駆け巡る。
「……うらぁぁぁッ!!」
響は、窓を蹴り破って飛び出した。全身に蒼い雷を纏い、夜空へと駆け上がる。 その背中には、もう迷いはない。 ただ、友を守る龍の、荒ぶる魂だけがあった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




