第十二話「錆びついたハイウェイ、龍の道」3
第三章 聖域の檻
朱雀の追撃を振り切り、荒野をひた走ること数時間。 日は完全に落ち、夜の帳が下りようとしていた。ボロボロのワンボックスカーは、エンジンから悲鳴のような異音を上げながらも、ついに目的地へと滑り込んだ。
ヘッドライトが照らし出したのは、闇の中にそびえ立つ朱塗りの巨影。螺錠門。 かつて激闘の末に破壊され、再建された京帝の正門だ。その威容は、かつてよりも堅牢に、そしてどこか拒絶的に見えた。
「……着いたようです」
運転席のエミル・ノスフェラトゥが、大きく息を吐いてハンドルから手を離した。 助手席の王 麗琳は、窓の外を鋭く観察している。
「……おかしいわね。門が開いている」
かつては強力な結界によって閉ざされていた門が、今は大きく口を開けている。 検問もない。 まるで、来るものすべてを無差別に飲み込む深海魚の口のようだ。
「ラッキーじゃんか。……さっさと入ろうぜ」
後部座席の辰巳響が、身を乗り出した。 だが、その表情は晴れない。車が門をくぐった瞬間、空気が変質したからだ。
「……ッ、重い」
響が胸を押さえた。物理的な重力ではない。 空気そのものが粘着質になり、肺にまとわりつくような息苦しさ。 街は死に絶えたように静かで、人の気配が希薄だ。 ただ、街全体を覆うように、透明で分厚い「膜」のようなものが張り巡らされている。
「……結界だ」
リーリンが空を見上げて言った。
「それも、外部からの侵入を防ぐ『防御結界』じゃない。……内部にいる『何か』を、絶対に外へ逃がさないための『隠蔽結界』よ」
京帝全体が、巨大な檻と化している。それは、この街が制御不能な怪物を抱え込んでいることの証明だった。
「……美咲」
響の脳裏に、親友の顔がよぎる。
御所への道は、無人だった。 正門の前に、一人の女性が立っていた。 狐の面を外し、疲労の色を隠そうともせずに佇む女性。
「……お待ちしておりました、青龍様。……そして、響はん」
天帝の側近、葛葉だ。
「白虎様から連絡は受けてます。……こっちどす」
葛葉は、無駄な挨拶を省き、踵を返した。一行は車を降り、彼女の背中を追う。
御所の回廊を進む。かつてリコリス・バロックが駆け抜けた廊下。だが、今は厳重な警備――武装した『天刑衆』や、呪符を貼られた式神たちが、廊下の至る所に配置されている。 彼らの視線は、侵入者である響たちではなく、回廊の奥、「最深部」に向けられていた。内側を警戒しているのだ。
「……天帝様が、お待ちです」
最奥の扉――紫宸殿のさらに奥にある「開かずの間」の前で、葛葉が足を止めた。 重い扉が開く。 中から溢れ出したのは、冷気と、神聖な、しかし冒涜的なまでの「銀色の気配」だった。
広い部屋の中央。 何重もの結界が張られたガラスの檻の前に、一人の少女が立っていた。 以前よりも少し背が伸び、威厳を増した天帝・昊天。彼女は、振り返り、悲痛な面持ちで響たちを迎えた。
「……よく来てくださいました、響様」
だが、響の目は昊天を見ていなかった。 彼女の視線は、昊天の背後。 結界の檻の中に設置された、一台の寝台に釘付けになっていた。
そこに、少女がいた。見慣れた制服。黒縁の眼鏡。 響の親友、美咲。
だが、その姿は異常だった。 手足には、禍々しい呪文が刻まれた革の拘束具が嵌められ、寝台に固定されている。 額、胸、腹部には、封印の御札がびっしりと貼られ、彼女の動きを物理的・霊的に封じ込めている。
「美咲ッ!!」
響の喉から、裂帛の叫びがほとばしった。彼女は結界に向かって突進した。
「だめです!!」
昊天が叫び、両手を広げて響の前に立ちはだかる。同時に、透明な壁――高密度の結界が、響の身体を弾き飛ばした。
バヂィッ!!
「ぐぅ……ッ! どけよ! アタシの友達なんだよ!」
響は、痺れる手で結界を叩く。その拳から血が滲む。
「近づいてはなりません!」
昊天の声は震えていたが、そこには為政者としての、冷徹な決断があった。
「彼女は……今、覚醒の瀬戸際にいます。……封印を解けば、彼女の『飢え』が……この京帝を食い尽くしてしまう!」
「……どうして、美咲がここにいるんだよ」
響が問う。 昊天は、悲しげに目を伏せ、数日前の出来事を語り始めた。
「……あの日。私は、龍脈を通じて感じ取ったのです」
京帝の地下にある『大龍穴』。大陸全土の龍脈と繋がるその中枢で、昊天は東の果て――東帝都に発生した、異質な波動を感知した。
「それは、これまでに感じたことのない、強大で純粋な『力』の渦でした。……制御されていない、生まれたばかりの嵐のような力」
昊天は、その力がもたらす未来を予見した。このまま放置すれば、その力は無自覚に周囲を破壊し、やがて皇国全土を巻き込む災厄となる。
「さらに……嫌な予感がしました。西から近づく、紅い血の匂い……ベルベット・ミラーの気配です」
吸血鬼の女王が、その力を狙っている。 もし、あの力が悪意ある者の手に落ちれば、世界は終わる。
「私は、決断しました。……彼女を保護し、匿わなければならないと」
昊天は、葛葉に命じ、精鋭の『天刑衆』を東帝都へ極秘裏に派遣した。彼らは、路地裏で吸血鬼を捕食し、理性を失いかけていた美咲を発見し、確保した。 そして、誰にも知られぬよう、結界で閉ざされたこの京帝へと移送したのだ。
「誘拐……したのかよ」
「……はい。彼女の意志を無視して、連れ去りました」
昊天は、その罪を認めるように頭を下げた。
「ですが、こうするしかなかったのです」
昊天は、ガラスの向こうの美咲を見つめた。
「私は、彼女を見守りたかった。……彼女が、自分の強すぎる力を制御できるようになるまで」
彼女の目的は、美咲の封印ではなく、教育と順応だった。 少しずつ「メシアの力」に身体を馴染ませ、理性を保ったまま力を扱えるようにする。 それが、美咲を「人間」として救う唯一の道だと信じて。
「しかし……今の彼女には、まだ制御する術がありません」
昊天は悔しげに唇を噛んだ。
「目覚めさせれば、彼女は本能のままに力を振るい、捕食を始めてしまう。……だから、眠らせ続けるしかないのです」
「……お腹、すいた」
ガラス越しに、美咲の声が聞こえた。 彼女は、眠っているわけではなかった。 うつろに開かれた瞳。焦点は合っていない。 だが、その口元からは、水銀のように重く、キラキラと光る「銀色の涎」が垂れ続けている。 それが、寝台のシーツを濡らし、触れた部分を静かに灰へと変えている。
『……たりない……。なにもかも、たりない……』
美咲の身体が、拘束具の中でビクリと痙攣する。彼女は、夢を見ているのではない。 飢餓という地獄の中で、もがいているのだ。
『……響ちゃん……』
その名が呼ばれた瞬間、響の心臓が止まりそうになった。
『……どこ……? ……たべたい……。いっしょに……』
「……ッ」
響は、膝から崩れ落ちた。 ガラス一枚。わずか数メートルの距離。 だが、そこには決定的な断絶があった。 かつて、放課後の教室で、タピオカを飲みながら笑い合った親友は、もうそこにはいない。 そこにいるのは、世界を終わらせるために生まれた、聖なる捕食者。
「……嘘だろ」
響の声が震える。
「守りたかったのに……」
彼女の日常。神であることを忘れさせてくれた、大切な場所。 それが今、厳重に封印され、怪物として扱われている。
「……申し訳ありません」
昊天の言葉が、響の心に重くのしかかる。 響の慟哭が、御所の広間に木霊する。 守りたかった日常は、硝子細工のように砕け散り、その破片が彼女の心を血塗れにしていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




