第十一話「銀色の雨と龍の迷子」3
第三章 東と西の風
「ぐぅ……ッ!」
辰巳響は、アスファルトの上を転がり、受身を取った。 全身が熱い。冷たい雨に打たれているはずなのに、皮膚の内側が火傷を負ったようにヒリヒリと痛む。朱雀の放った熱波は、ただの高温ではない。 龍神の纏う「湿気」という概念そのものを蒸発させる、乾きの呪いだ。
「……ハァ、ハァ……!」
響は、震える膝に力を込め、立ち上がろうとする。 だが、身体が鉛のように重い。 タピオカで補給したカロリーは、先程の雷撃と防御で底をつきかけている。 ガス欠寸前のエンジンが、空回りするような感覚。
圧倒的な不利。 頼れる久遠灯はいない。防御の要である天羽祈も、解析の鉄鏡花も、援護の白雪美流愛もいない。
目の前には、大陸の空を統べる四神の一柱・朱 焔陽。 そして、吸血鬼の三大一族を統べる女王・ベルベット・ミラー。神話級の怪物が二体。対するは、腹を空かせた迷子の龍が一匹。
「くそっ……! 美咲のとこに……行かせねぇ……!」
響はよろめきながらファイティングポーズを取る。勝てるわけがない。 だが、引くわけにはいかない。 ここで引けば、美咲は本当に「モノ」として扱われ、消費されてしまう。あいつの笑顔も、悩みも、一緒に過ごした放課後も、全部なかったことにされてしまう。
「無駄な抵抗ね」
ベルベットが、退屈そうに吐き捨てた。彼女は煙管の灰を雨の中に落とす。
「イェン、片付けなさい。……あまり時間をかけると、他のハエが寄ってくるわ」
「承知」
朱雀が、掌を上へ向けた。 そこに、小さな太陽のような火球が生成される。 周囲の雨粒が一瞬で蒸発し、真空の壁が生まれる。
「灰になれ、東洋の龍よ。……貴様の水では、我の炎は消せぬ」
朱雀が腕を振りかぶる。 死の熱量が、響へと放たれる。回避不可能。防御不可能。
その時。
ヒュオオオオオッ!!
ビル風とは明らかに質の異なる、鋭利な突風が吹き抜けた。 それは、湿った日本の風ではない。 大陸の乾いた大地を駆け抜け、海を渡ってきた、清冽なる青い風。
風は鎌いたちとなり、朱雀の火球を空中で切り裂いた。
「なっ!?」
朱雀が驚愕に目を見開く。 圧縮されていた炎が拡散し、雨の中に散り、ジュウジュウと白い水蒸気を上げる。
「……相変わらず、無茶ばかりするのね、響!」
上空から、凛とした声が響いた。 街灯の上に、一人の少女が立っていた。 雨風に翻る、鮮やかな青いチャイナドレス。 その背後には、風を固めたごとき透明な龍の翼が、月光のように輝いている。
王 麗琳。 かつて響と敵対し、そして共に戦ったライバル。 今は亡き王 恒龍の力を継いだ、大陸を守護する四神――新生・青龍。
「リーリン!?」
「チェン爺からの命令よ。『朱雀の動きが怪しい、尻尾を掴んでこい』ってね」
リーリンは、重力を無視して軽やかに舞い降り、響の隣に着地した。 彼女から放たれる清浄な空気が、朱雀の熱波を押し返す。
「久しぶりね、裏切り者」
リーリンは、朱雀を鋭く睨みつけた。その瞳には、個人の怒りを超えた、四神としての義憤が燃えている。
「私の虹海を焼き、チェン爺を侮辱した借りは……高くつくわよ」
「フン。……青龍の名を継いだ小娘が、どこまで吠える」
朱雀が顔をしかめる。かつての同胞の力を継いだ少女。 侮れない相手だと、本能が告げている。
さらに、路地裏の影から、もう一つの小さな影が飛び出した。
「こっちです、響さん! 結界を張ります!」
ボロボロの貴族服を着た、色素の薄い少年。エミル・ノスフェラトゥ。 彼は、ノクタルニアからベルベットの不穏な動きを察知し、必死に海を渡って追ってきたのだ。太陽に焼かれるひ弱な吸血鬼が、勇気を振り絞ってこの場に立っている。
「エミルまで……!」
エミルは、響とリーリンの前に立ち、両手を広げた。微弱ながらも懸命に展開された結界が、三人を包み込む。
「僕も……戦います。灯さんに教えてもらったんです。逃げても何も変わらないって! 守りたいものは、自分の手で守るんだって!」
「……へっ。揃いも揃って、お節介な連中だぜ」
響は、口元の血を拭い、ニカっと笑った。孤独ではない。 東帝都という小さな箱庭の外から、海を越え、国境を越えて、仲間が駆けつけてくれた。 その事実が、枯渇していた響の魂に、新たな熱を注ぎ込む。
「助太刀するわ。……親友なんでしょ?」
リーリンが、響の背中を強く叩く。 痛いくらいのその感触が、響の迷いを吹き飛ばす。
「ああ。……最高のマブダチだ」
響、リーリン、エミル。東の龍、西の青龍、そして吸血鬼の末弟。 新たなトリオが、雨の降りしきる死舞谷の交差点で陣形を組む。
「チッ。……邪魔が入ったか」
ベルベットは、不愉快そうに舌打ちをした。 青龍と、東洋の龍神。さらに同族の裏切り者。 戦力としてはこちらが上だが、ここで全面戦争になれば、街一帯が消し飛ぶ。 そうなれば、潜伏している「メシアの幼生」を見失うリスクがある。 彼女は、不確定要素を嫌う。
「興が削がれたわ。……行きましょう、イェン」
ベルベットは傘をくるりと回し、踵を返した。
「逃げるのかよ!」
「戦略的撤退よ。……今は、貴女たちと遊んでいる時間はないの」
ベルベットは、肩越しに冷ややかな視線を投げた。
「楽しみは後にとっておくわ。……あの子が完全に『羽化』するまでね。その時、貴女たちがどう絶望するか、特等席で見させてもらうわ」
朱雀も、忌々しげに炎を消し、彼女に従う。二人の姿が、赤い霧のような残像を残し、雨の闇の中へと溶けて消えていく。
敵は去った。 雨脚が弱まり、遠くでパトカーのサイレンが聞こえ始める。
響は、緊張の糸が切れたように膝をつきそうになった。だが、リーリンがその身体を支える。
「……ありがと、リーリン」
「礼には及ばないわ。……で、どうするの? 響」
「美咲は?」
響は、焦燥に駆られて問いかけた。敵は退いたが、肝心の美咲の行方は依然として不明だ。
「微かだけど……痕跡があるわ」
リーリンが、目を閉じて風の匂いを嗅ぐ。大陸の空を支配する青龍の感覚は、風に乗って運ばれる微粒子さえも分析する。
「西へ向かっている。……風に乗って、血と雨の匂いがするわ」
「西……?」
「おそらく、京帝の方角へ」
エミルが、吸血鬼の知識を元に補足する。
「彼女は、本能的に求めているのかもしれません。……覚醒したばかりの強大すぎる力を制御できる『霊的な磁場』……あるいは、自分を匿ってくれる強力な『結界』を」
この国で、それだけの霊的守護を持つ場所は一つしかない。 かつて響が追放され、解放された古都。
「……昊天のとこか」
響は、立ち上がった。 震えは止まっていた。 恐怖も、迷いもない。美咲は、化け物になったんじゃない。 苦しんで、救いを求めて、彷徨っているだけだ。 なら、迎えに行くのが友達の役目だ。
「行くぞ、二人とも!」
響は、握りしめていたキーホルダーを、ポケットの奥深くにしまった。それは、必ず美咲に返す約束の品。
「美咲はアタシが守る。……たとえ世界中が敵になっても、アタシだけはあいつの味方だ!」
「ええ。付き合うわ。……借りは返す主義だから」
「僕も……お供します! 灯さんたちの仲間を、見捨てるわけにはいきません!」
響、リーリン、エミル。 三人は、雨上がりの空を見上げ、西へと走り出した。救世主を巡る、新たな逃走劇が幕を開ける。
硝子の街を背に、彼らは駆ける。 その先にあるのが、希望か、それとも更なる絶望か。 答えを知るのは、夜明けの空だけだった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




