第十一話「銀色の雨と龍の迷子」1
第一章 捕食者の痕跡
東帝都・死舞谷。 久遠灯と別れ、事務所のドアを蹴破って飛び出した辰巳響は、激しい雨の中を疾走していた。
頭上を覆うのは、都市の排熱と化学物質が混ざり合った、分厚い鉛色の雲。 そこから降り注ぐ酸性雨は、ネオンサインの毒々しい光を滲ませ、アスファルトを黒い鏡のように変えている。雨粒が頬を打つたびに、氷のような冷たさが肌を刺した。 だが、響の体内で渦巻く焦燥感は、そんな冷気を瞬時に蒸発させるほどの熱量を持っていた。
「美咲……! どこだよ、美咲!」
響の叫びは、行き交う車の走行音と、ビルの隙間を吹き抜ける風の音にかき消されていく。ポケットから取り出したスマートフォンは、雨に濡れて画面が光っている。 GPSの信号は途切れたままだ。 何度コールしても、無機質な呼び出し音が虚しく響くだけ。
「お掛けになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため……」
そのアナウンスが、死の宣告のように聞こえた。
響は、死舞谷の繁華街を駆け巡った。 龍神としての脚力を使えば、ビルからビルへと飛び移ることも容易い。だが、今の彼女は地を這うように走っていた。 美咲の視線で、美咲が歩きそうな場所を探すために。
一軒のタピオカ屋の前で、響は急停止した。『パール・プリンセス』。 学校帰り、二人で毎日のように通った店だ。 閉店間際の店内に、響は転がり込むように入った。
「おい! ここに美咲……眼鏡かけた、地味な女子高生、来てねえか!?」
カウンターの店員が、びくりと肩を跳ねさせる。ずぶ濡れで、鬼のような形相をした少女の乱入に、客たちがざわめく。
「え、あ……いえ、今日は見てませんけど……」
「そうかよ……! 悪りぃ!」
響は踵を返し、再び雨の中へと飛び出した。 ここじゃない。あいつは今日、ここには来ていない。
ゲームセンター。 カラオケボックス。古着屋。 美咲が好きだった場所、二人でサボった場所、くだらない話で時間を潰した場所。 その全てを回った。 だが、どこにも彼女の姿はない。
「……くそっ」
響は、スクランブル交差点の真ん中で立ち尽くした。傘の花が咲き乱れる雑踏。 すれ違う人々は皆、自分のことだけで精一杯で、ずぶ濡れの少女になど見向きもしない。 その無関心さが、響の孤独を深める。
(……アタシは、何やってんだ)
脳裏に、リコリス・バロックの仲間たちの顔が浮かぶ。灯は今頃、たった一人で魔界の門へ向かっているはずだ。鏡花と美流愛たちは、祈の精神世界で命を削っている。 世界が滅ぶかもしれない瀬戸際で、全員が命を懸けている。
(なのに、アタシだけ……)
個人的な感情で、戦列を離れた。 それは「神」としてあるまじき行為かもしれない。だが、響にとって美咲は、ただの友達以上の存在だった。 龍神という異能を持ち、1000年以上の時を生きる化け物である自分を、「ただの辰巳響」として受け入れてくれた人間。 彼女がいたから、響はこの退屈で腐った東帝都を愛することができた。彼女との日常こそが、響にとっての「帰るべき場所」だったのだ。
もし、美咲がいなくなったら。 アタシは、何のために戦えばいい? 誰のために、タピオカを飲めばいい?
「……嫌だ。そんなの、認めねぇ」
響は、雨水を拭った。 その時、鼻腔を微かな臭気が刺激した。
雨の匂い、排気ガスの匂い、路地裏の腐敗臭。 それらの中に混じる、微かな、しかし決定的な違和感。かつて一緒に飲んだタピオカの甘い匂いではない。もっと鋭利で、冷たく、そして生理的な恐怖を煽る匂い。
「……鉄錆?」
響は鼻を鳴らした。血の匂いだ。それも、ただの出血ではない。空気が焦げ付くような、「銀」の匂いが混じっている。それは、吸血鬼や魔物が死滅する際に発する、独特の灰の臭い。
「……こっちか」
響の瞳孔が、爬虫類のように鋭く収縮した。彼女は人波をかき分け、匂いの元へと疾走した。 本能が告げている。 この先に、答えがある。 だが、それは決して見たくない答えかもしれない。
響が足を止めたのは、死舞谷の路地裏、高架下の薄暗い空間だった。ネオンの光も届かない、都市の死角。そこは、美咲とタピオカをくだらない話をしながら通学していた思い出の場所のすぐ近くだった。
「……なんだ、これ」
響は、呆然と地面を見下ろした。美咲の姿はない。 だが、そこには争ったような形跡と、見たこともない惨状が残されていた。
コンクリートの壁に、ペンキをぶちまけたように飛び散った、大量の赤い血。 そして、その中心にある水たまりに、キラキラと光る銀色の粒子が混じっていた。雨に溶けず、アスファルトの上で水銀のように妖しく輝く液体。
響が恐る恐るその液体に指を触れた瞬間、 バチリッ!! 指先が焼けるような痛みに襲われた。静電気ではない。龍神である響の細胞が、本能的にその液体を「猛毒」として拒絶したのだ。
(……人外の血じゃねぇ)
響の手が震える。
(これは……魔を殺すための『何か』だ。……聖水よりも濃くて、タチが悪い)
足元には、灰の山があった。雨風に吹かれて崩れかけているが、それは確かに、かつて「吸血鬼」だったものの残骸だ。 服の切れ端や、溶けかかった牙が転がっている。誰かがここで、吸血鬼を殺した。物理的に破壊したのではない。存在そのものを「浄化」して、消し去ったのだ。 こんな芸当ができるのは、高位のエクソシストか、あるいは……。
「...もしかして……美咲の身に、何かが起きたのか?」
響の脳裏に、最悪の想像がよぎる。美咲は普通の女子高生だ。霊感もないし、喧嘩も弱い。 吸血鬼に襲われたら、ひとたまりもないはずだ。だが、この現場に残された痕跡は、一方的な「捕食」を示していた。殺されたのは吸血鬼の方だ。
この銀色の血の匂いは、美咲の残り香と混じり合っている。まるで、彼女の体液そのものが、この銀色の毒に変わってしまったかのように。
守るべき親友が、守られるだけの存在ではなくなってしまったという予感。 あるいは、彼女自身が、何か恐ろしい「捕食者」へと変貌しつつあるのではないかという恐怖。不安と焦燥が、響の胃袋を冷たく締め上げる。
「……ッ、どこなんだよ、美咲!」
響は、灰の中に落ちていたものを拾い上げた。泥と灰にまみれた、小さなプラスチックの塊。 それは、美咲がいつもスクールバッグに付けていた、安っぽいキャラクターのキーホルダーだった。二人がお揃いで買った、タピオカを飲む猫のマスコット。
「……ふざけんなよ」
響はキーホルダーを握りしめた。 プラスチックの端が掌に食い込む。 温もりはない。ただ、冷たい雨の温度だけが伝わってくる。
日常が、壊されている。アタシたちが守ろうとした世界が、足元から崩れていく。
その時。背後から、雨音に混じって、ヒールの音が近づいてきた。カツ、カツ、カツ。 こんな路地裏には不釣り合いな、優雅で、そして傲慢な足音。
「……誰だ」
響が振り返る。 そこには、絶望の予感を確信へと変える、最悪の来訪者が立っていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




