第十話「虚空に浮く傲慢の玉座」2
第二章 誰のものでもない椅子
黒曜石の螺旋階段を登りきった先。三人が辿り着いたのは、天井のない吹き抜けの広間――『玉座の間』だった。
頭上には、星の一点さえ存在しない、吸い込まれそうな漆黒の虚空が広がっている。 壁も、柱もない。あるのは、ただ無限に広がる闇と、足元に広がる冷たい石畳だけ。 そして、その広間の中央に、ぽつんと一つ、黒曜石を削り出して作られた巨大な玉座が鎮座していた。
そこには、誰も座っていない。魔物もいない。罠もない。ただ、圧倒的な「虚無」と「静寂」だけが、王のように居座っている。
「……ここが、出口か」
久遠灯が、玉座の背後に揺らめく空間の裂け目を見つけた。 地上へと続く「王の道」。 あと数メートル。 手を伸ばせば届く距離だ。
だが、裂け目に近づこうとした瞬間、玉座から声なき声が響いた。
『座れ』
それは命令ではなく、脳髄を直接撫で回すような、甘美で暴力的な誘惑だった。 全能感。支配欲。そして、永遠の安らぎ。
『この玉座に座れば、魔界の全てを支配できる。七つの大罪を統べ、新たな魔王として君臨できる。……地上になど戻らず、ここで永遠に王として生きよ』
代償は、「地上への帰還」を諦めること。孤独な王として、永遠をここで過ごすこと。
「……なるほどな。これが最後の試練か」
ルシウス・クロウリーが、十字架を支えに呟く。彼の顔には、疲労と共に、どこか憑き物が落ちたような諦観が浮かんでいた。
「『傲慢』とは、他者を必要とせず、己のみで完結すること。……神にも縋らず、人にも頼らず、ただ独りで立つこと」
彼は、空席の玉座を見つめる。
「この椅子は約束しているのだ。絶対的な孤独と引き換えに、何者にも脅かされない最強の力を」
「へっ。……悪くねぇ話だ」
チャーリー・Sが、サングラスを外して玉座を見上げた。その瞳孔が、獣のように揺れている。
「四神としての重責。……仲間を失った悲しみ。逃げ続けた後ろめたさ。……ここに座れば、全部チャラにして、ただの『王様』になれるってわけか」
それは、逃げ続けてきた彼にとって、ある意味で究極の安住の地かもしれない。 誰かを守る必要もない。誰かに責められることもない。 ただ、力ある者として君臨する永遠。
だが、灯は動かなかった。彼女は、ふらつく足で玉座の前に立った。 そして、M500の銃口を、空席の椅子に向けた。
その瞳には、玉座ではなく、かつてここに座っていたであろう男の幻影が映っていた。
真祖ヴィクトル・ノスフェラトゥ。数千年の時を生き、死ぬことさえできずに退屈していた、哀れな王。彼はこの椅子で、何を思っていたのだろうか。世界の全てを見下ろしながら、その胸には冷たい風が吹き抜けていただけではなかったか。
(……アンタは、寂しかったのか? ジジイ)
灯の胸に、ヴィクトルへの奇妙な共感が去来する。強くなりすぎた者は、孤独になる。同じ視座で語り合える者がいなくなるからだ。 だから彼は、眷属を作った。レオンハルトを。ベルベットを。エミルを。家族ごっこをしようとして、失敗した。彼らはヴィクトルの孤独を癒やすどころか、その力に魅せられ、あるいは恐怖し、離れていった。
(レオンハルトもそうだ。……あいつも、退屈していた)
灯の「親」であるレオンハルト・ヴァルプルギス。 彼もまた、この傲慢の血を受け継ぎ、孤独に喘いでいた。だからこそ、灯という異物を吸血鬼に変え、自分を殺しに来るという「物語」を作ってまで、退屈を紛らわせようとした。
吸血鬼という種族は、根本的に何かが欠落している。永遠の命を持ちながら、その時間を埋める術を持たない。他者を食い物にしながら、他者と交わることができない。強く、美しく、そして決定的に孤独な生き物。
「……くだらねえ」
灯は、吐き捨てるように言った。 その声には、魔界の誘惑を鼻で笑うような、底知れない響きがあった。
「王様なんて柄じゃねえんだよ。……私は」
「灯?」
ルシウスが怪訝そうに灯を見る。
灯の脳裏に、東帝都のボロ屋が浮かぶ。雨漏りする天井。カビ臭いソファ。冷蔵庫の中の賞味期限切れの牛乳。響の大いびき。美流愛の長説教。鏡花の小言。祈の笑顔。双子の騒ぎ声。
それは、王の孤独よりも遥かに煩わしくて、泥臭くて、耳障りで、そしてどうしようもなく温かい場所。1000年の放浪の末に、吸血鬼の姫宮がようやく見つけた「椅子」。
「私は……吸血鬼だ。化け物だ。……でもな」
灯は、M500の撃鉄を起こした。
「一人じゃねえんだよ。……喧嘩する相手も、守るべき家族も、帰るべき場所もある」
彼女は知っている。 真の強さとは、孤高であることではない。泥にまみれ、傷つき、他者と関わり合いながら、それでも自分を保ち続けることだ。 ヴィクトルが捨て、レオンハルトが憧れた「生の輝き」は、玉座の上にはない。
「私の席は……あの汚ねえソファだけで十分だ!!」
ズドンッ!!
灯が引き金を引いた。轟音と共に、神気を帯びた500S&Wマグナム弾が放たれる。弾丸は、黒曜石の玉座を直撃した。 「傲慢」の象徴が、物理的な破壊力によって粉々に砕け散る。
ガラガラガラ……ッ!
崩れ落ちる玉座。 それと同時に、空間を支配していた重力が完全に消失した。魔界が、彼らの所有権を放棄したのだ。この者たちは、魔王にはなれない。孤独に耐えられる器ではない。 他者との絆という「不純物」を抱えたままでは、この純粋な虚無の座には座れないと。
「……ははっ。やってくれるぜ」
チャーリーが笑った。 憑き物が落ちたような、清々しい笑顔だった。
「ああ。……我々の負けだ、吸血鬼」
ルシウスもまた、十字架を背負い直し、微笑んだ。 彼らもまた、孤独な王になることよりも、面倒くさい仲間と共に歩くことを選んだのだ。
「行くぞ! ……お家に帰る時間だ!」
灯が叫び、空間の裂け目へと走る。ルシウスとチャーリーも、迷いを振り払って続く。 彼らは選んだのだ。 孤高の玉座ではなく、泥だらけの地上を。
三人は、光の渦の中へと飛び込んだ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




