第十話「虚空に浮く傲慢の玉座」1
第一章 重力の螺旋
魔界の最深部、灰色の荒野の果てにそびえ立つ『傲慢の塔』。その内部は、装飾の一切ない黒曜石の螺旋階段が、遥か彼方の天――次元の裂け目に向かって、延々と続いていた。 手すりもなければ、窓もない。 あるのは、吸い込まれそうな漆黒の闇と、果てしない登攀のみ。
久遠灯、ルシウス・クロウリー、チャーリー・Sの三人は、一歩進むごとに倍増していく異常重力と戦っていた。
「……く、そ……ッ。ヴィクトルの爺さんは……毎日こんな道を散歩してたのかよ」
灯が、膝をつきそうになりながら悪態をつく。肺が圧迫され、呼吸をするたびに鉄の味が喉に広がる。 これは物理的なG(重力加速度)ではない。「地上へ還る」という意志を持った者を拒絶し、この魔界の底へ縛り付けようとする、世界そのものの引力だ。 それは、彼らが背負ってきた過去の罪や後悔の重さと比例して、魂にのしかかる。
灯の足に絡みつくのは、1000年の孤独。 愛する男・周を救うために吸血鬼となり、結果として彼を死なせてしまった罪悪感。 そして、長い時の中で奪ってきた数多の命の重み。それらが、見えない鎖となって足首を引く。 『お前ごときが、光の下へ帰れると思うな』と、闇が囁くようだ。
「弱音を吐くな、吸血鬼。……信仰の重みに比べれば、これしき」
ルシウスが、巨大な十字架『ゴルゴダ』を杖代わりにして、一歩を踏み出す。 彼の額からは脂汗が滝のように流れ落ち、白銀の法衣は汗と埃で泥色に染まっている。 彼もまた、重い。 H.L.O.H.の執行官として切り捨ててきた異端者たち。組織の腐敗に気づきながらも、盲目的に従ってきた過去。そして、アストエルで見捨てかけた孤児たちの命の重さ。 全身の骨がきしみ、筋肉が断裂しそうな悲鳴を上げているが、彼の背筋は鋼のように曲がらない。
「へっ……。俺の甲羅は頑丈だぜ……! だが、こいつは効くな……」
チャーリーが殿を務め、背後から迫る瘴気を水流で弾きながら、二人を押し上げる。 彼もまた、背負っている。かつて仲間を見捨てて逃げ出した悔恨。 四神としての責務を放棄し、遊び人として享楽に耽っていた罪悪感。『玄武』の名が、今は呪いのように重くのしかかる。
三人の荒い呼吸が重なる。互いの重荷を共有し、支え合うことで、彼らは「個」としての限界を超え、螺旋を登り続ける。 『傲慢』の塔が求める「孤高」を、彼らは「結束」で否定していく。
「……なぁ、神父様」
灯が、重力に抗って顔を上げた。 黒曜石の壁に、自身のやつれ果てた顔が映っている。
「アンタ、後悔してねえのか? ……組織を裏切って、こんな地獄まで来ちまって」
「愚問だな」
ルシウスは、前を見据えたまま答えた。
「後悔など、生きている限り尽きない。……だが、あの時、毒ガスの中に飛び込んだ貴様の背中を見た時、私は初めて神の声を聞いた気がしたのだ」
「ハッ。……悪魔の背中に神を見るたぁ、アンタも大概イカれてるぜ」
「違いない。……だが、組織の教義よりも、目の前の命を選ぶ。……それが私の見つけた信仰だ」
ルシウスの言葉に、チャーリーがニカっと笑う。
「違いねぇ。……俺もだ。青龍の嬢ちゃんや、響にドヤ顔で説教しちまった手前、ここでのたれ死ぬわけにゃいかねぇんだよ」
彼らは笑った。 こんな極限状態で、泥だらけの顔を見合わせて。ここまでの旅路。 アヴァドルミアの山脈で圧殺されかけ、アヴァグラドゥスの宮殿で値踏みされ、アヴァエンヴィルの鏡で心を抉られ、アヴァルフェムの花園で溶かされかけた。七つの大罪、その全てが彼らを試した。だが、彼らはここにいる。
「……ああ。そうだな」
灯は、胸ポケットの空き箱を指でなぞった。
「帰らなきゃなんねえ。……待ってる連中がいるんだ」
灯の脳裏に、東帝都の風景が浮かぶ。 神宿の雑居ビル。ツギハギだらけのプレハブ小屋。あそこには、灯が1000年かけてようやく見つけた「家族」がいる。
いつも腹を空かせて騒いでいる、辰巳響。 生意気で、美意識が高くて、でも誰より仲間想いな白雪美流愛。 理屈っぽくて、冷徹で、頼りになる鉄鏡花。 そして、今も昏睡の中で助けを待っている天羽祈。 双子のアリアとカルアの甲高い笑い声。
不味いコーヒーの味。腐った鍋の強烈な臭い。 安っぽいソファのきしみ音。煙草の煙。
かつての「姫宮」としての灯が、決して手に入れることのできなかった、猥雑で、汚くて、どうしようもなく愛おしい日常。
『お前には帰る場所などない』と、魔界の重力が囁く。『お前は吸血鬼だ。孤独な夜の住人だ』と、過去の自分が足を引く。
「……うるせえんだよ」
灯は、その幻聴を振り払うように吼えた。
「私の席は……あの汚ねえソファだ! 誰にも座らせねえ!」
灯の背中から、真紅の魔力が噴き出した。それは翼ではない。推進力だ。 重力に逆らい、一歩を強く踏み出すための、意志のエネルギー。
「行くぞ!!」
灯が加速する。それに引かれるように、ルシウスとチャーリーもまた、限界を超えた力を振り絞る。
永遠にも思える登攀の果て。 不意に、頭上の闇が晴れた。重力がふっと軽くなり、身体が浮き上がるような感覚に包まれる。
三人はついに、最上階へと辿り着いた。
扉はない。 階段の先は、天井のない吹き抜けの広間――『玉座の間』へと繋がっていた。 そこは、塔の内部でありながら、宇宙空間のように星のない漆黒が広がっていた。そして、その中心に、次元の裂け目が揺らめいている。地上への出口。王の道。
「……着いた、か」
灯は、膝に手をついて荒い息を吐いた。全身の毛細血管が切れ、視界が赤い。だが、到達した。 悪魔の誘惑も、過去の亡霊も、全て振り切って。
彼らの前には、最後の試練が静かに鎮座していた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




