第七話「水銀と嫉妬の鏡像 」2
第二章 顔のない嫉妬
「……くだらねえ幻覚だ」
久遠灯は、吐き捨てるように呟き、目の前に立つ「幸せな自分」の眉間を撃ち抜いた。 躊躇はなかった。 S&W M500の轟音が湿原の静寂を切り裂き、マズルフラッシュが銀色の水面を焼き焦がす。 だが、放たれたマグナム弾は、微笑む幻影をすり抜け、虚空へと消えた。
幻影は、傷つくどころか、その口元をさらに優しく、慈愛に満ちた形に歪めた。 その瞳は、灯が1000年間渇望し、そして永遠に失われた「平穏」そのものだった。
『なぜ、拒むの? なぜ、欲しがらないの? ……お前は、それが欲しいはずだ!』
空間そのものが軋み、金切り声を上げる。灯の、ルシウス・クロウリーの、そしてチャーリー・Sの心の奥底にへばりついている「羨望」と「後悔」の叫びが、増幅されて反響する。
ボコッ、ボコボコッ……!
足元の水銀の沼が沸騰した。 銀色の水面から、無数の「手」と「鏡」を持った異形の怪物が、粘着質の音を立てて這い出してくる。顔はなく、代わりに巨大な鏡が埋め込まれている。 その鏡面には、私たちの苦悶に歪んだ顔が、グロテスクに拡大されて映し出されていた。
『嫉妬の王:アヴァエンヴィル』。
その姿は定まっていない。水銀のように流動し、ある時は灯のシルエットを模り、ある時はルシウスの法衣を纏い、またある時はチャーリーの甲羅を背負う。 定まった形を持たず、他者になることでしか自分を保てない、哀れで空虚な王。
「お前たちが羨ましい……! その確固たる『個』が! その傷さえもが輝いて見える!」
アヴァエンヴィルの叫びと共に、怪物の身体から赤黒い霧が噴き出した。それは、灯の固有能力『血の晩餐』の模倣だった。 だが、その濃度と殺意は、本家である灯のそれを凌駕していた。
「なっ……!?」
灯が驚愕する間に、アヴァエンヴィルは霧の中から鋭利な爪を振るった。 速い。灯と同等の、いや、迷いがない分だけ鋭い速度。灯はM500の銃身で受け止めるが、強烈な衝撃で後退させられる。 足が水銀の泥に取られ、バランスを崩す。
「こっちもだ!」
ルシウスが叫ぶ。彼に対峙するアヴァエンヴィルは、白銀の光を纏っていた。 聖遺物の模倣。 泥と水銀で構成された偽物の十字架から、聖なる杭が射出される。
「私の技より、キレがいいだと……!?」
ルシウスが、自分のコピー技に弾き飛ばされる。 敵は、彼らが無意識に抱いている「理想的な動き」――迷いなく、最も効率的で、美しい軌道を描く攻撃を、完璧に再現してきているのだ。かつてルシウスが目指し、挫折した「聖人」としての究極の体現。
「オラオラオラァ!」
チャーリーが水流を放つが、アヴァエンヴィルはそれ以上の水流で押し返してきた。 四神の力さえも、この鏡の世界ではコピーされる。 絶対零度の氷壁が、より冷たい氷によって砕かれる屈辱。
「クソッ! 自分の技で殺される気分はどうだ!?」
「最悪だねぇ! ……俺はこんなに嫌な顔をして戦ってたのかよ!」
「ズルい! ズルい! なぜお前たちは、そんなに汚れているのに美しいのだ!」
アヴァエンヴィルが、子供のように喚き散らす。 彼にとって、灯たちの持つ「傷」や「欠落」さえもが、羨望の対象なのだ。 自分にはない、確固たる歴史と物語を持っていることが、許せないのだ。 彼は空っぽだ。 他人の幸せを映し、妬み、奪うことでしか存在できない鏡でしかない。
「お前たちの輝きをよこせ! その傷も、痛みも、記憶も! 全て私が引き受けてやる!」
無数の鏡が宙を舞う。 カシャッ、カシャッ、というシャッター音のような音が響く。鏡に映った三人の姿が、ボロボロに崩れていく映像がフラッシュバックする。ひび割れ、錆びつき、色が褪せていく自分たちの姿。
「ぐ……ぁ……!」
灯が呻き声を上げ、膝をついた。 鏡の中の像が崩壊するのと連動して、現実の肉体にも亀裂が走り、力が抜けていくのだ。吸血鬼の肌が干からび、ミイラのように萎縮していく。
「呪いか……! 『自分は劣っている』と認識させる精神干渉!」
ルシウスの法衣が腐食し、聖遺物の輝きが失われていく。チャーリーの纏う玄武の鎧が、ボロボロと砕け散る。
精神が折れれば、肉体も崩壊する。ここは嫉妬の領域。「自分には価値がない」「あの理想の姿こそが本物で、今の自分は偽物だ」という自己否定の感情が、物理的なダメージとなって彼らを蝕む。
「俺は……逃げただけの……」
チャーリーの脳裏に、かつて仲間を見捨てて戦場から去った日の記憶が蘇る。 自分は賢く立ち回ったつもりだった。だが、本当はただ怖かっただけではないのか? 青龍が封印され、朱雀が堕ちていくのを、指をくわえて見ていただけの腰抜け。 鏡の中の「全盛期の玄武」が、蔑むような目でこちらを見ている。
『そうだ。お前は偽物だ。……本当の玄武なら、仲間を救えたはずだ』
「私は……誰も救えなかった……」
ルシウスが、十字架を支えに喘ぐ。彼が守ろうとした信徒たち。シスター・ノア。 救うと誓いながら、組織の論理に縛られ、多くの命を見殺しにしてきた罪悪感。 鏡の中の「聖人ルシウス」は、一点の曇りもなく輝いている。
『信仰が足りない。……だからお前は、迷い、傷つくのだ』
「私は……化け物だ……」
灯が、地面に伏したまま、自分の手を見つめる。1000年前。周を救うために人であることを捨て、結局彼を見殺しにしてしまった手。血に汚れ、多くの命を奪ってきた、穢れた手。鏡の中の「人間・久遠灯」は、周と手を取り合い、幸せそうに微笑んでいる。 あっちが本物で、こっちの私は、ただの悪い夢の残骸なのではないか?
『そうよ。貴女は間違ったの。……あの日、死ぬべきだったのよ』
自分を責める声が、アヴァエンヴィルの声と重なり、魂を削り取っていく。 理想の虚像に圧倒され、実像が消滅しようとしていた。 水銀の沼が、彼らを飲み込もうと水位を上げていく。 冷たく、重い、自己嫌悪の底へ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




