第六話「黄金と強欲の迷宮」1
第一章 黄金の泥沼
灯は、迫りくる死の壁を見上げた。回避不可能。走って逃げ切れる規模ではない。ルシウス・クロウリーが十字架を構えるが、物理的な質量差があまりに絶望的だ。
「チッ……! 手間かけさせやがって!」
その時、チャーリー・Sが前に出た。 彼は、迫りくる土砂の波に向かって両手を突き出し、深く息を吸い込んだ。 背中の刺青――亀と蛇の紋章が、青白く輝く。
「水がないなら、作ればいい。……壁がないなら、凍らせればいい!」
チャーリーが足を踏み鳴らす。大気中の僅かな水分と、彼自身の神気が練り上げられ、絶対零度の冷気が爆発的に広がる。
「『絶海氷壁』ッ!!」
パキィィィィィン!!
空気が凍結する音が響き渡った。 三人の眼前に、巨大な氷のドームが出現する。 それはダイヤモンドのように硬く、透明な要塞。
直後、土砂の津波が氷壁に激突した。
ドォォォォン!!
世界が揺れる。 ミシミシと氷がきしむ音がするが、壁は砕けない。数億トンの土砂を受け止め、左右へと受け流していく。波が引くように土砂が過ぎ去り、周囲は瓦礫の山と化したが、氷壁の内側だけは無傷のまま守られていた。
「……ふぅ。危ねぇ危ねぇ」
チャーリーが、氷壁を解除し、額の汗を拭う。その顔色は少し青白い。神獣の力といえど、魔界での大規模行使は消耗が激しいようだ。
「助かったぜ、亀野郎」
「神のご加護……いや、貴殿の力に感謝する」
灯とルシウスが礼を言う。 アヴァドルミアは、再び深い眠りについたようだ。 あの巨大な背中は、ピクリとも動かない。
「今のうちに抜けるぞ。……あいつが二度寝から覚める前にな」
三人は、瓦礫を踏み越え、灰色の砂漠の果てを目指した。 そして、目に見えない境界線を越えた瞬間。
世界の色調が、暴力的に反転した。それまでの無彩色な虚無から、網膜を焼き尽くすほどの極彩色へ。
「……ッ、目がチカチカしやがる」
灯が、思わず手で顔を覆い、顔をしかめた。彼女たちの目の前に広がっていたのは、吐き気を催すほどに煌びやかで、そして決定的に悪趣味な「黄金の都」だった。
地面は黄金のレンガで舗装され、そこかしこに宝石が砂利のように転がっている。 立ち並ぶ建物は、純金やプラチナ、そして地上から流れ着いたであろう大量の廃棄物――壊れた家電、錆びた車、欠けた陶器など――を、溶けた金で無理やり接着して積み上げた、歪な塔の群れだった。 それらは重力を無視して高くそびえ立ち、互いに競い合うように自己主張をしている。
空を見上げれば、そこには太陽も星もなく、代わりに巨大なコインのような形をした月が輝いていた。 その月は、冷たい銀色の光ではなく、脂ぎったような黄金色の光を地上に降り注ぎ、街全体をギラギラと照らし出している。
「……ここは、地獄の縮図だ」
ルシウスが、十字架『ゴルゴダ』を握りしめながら呻くように言った。 彼の碧眼には、嫌悪と軽蔑の色が濃く滲んでいる。
「物質への執着が、魂を腐らせている臭いがする」
街を行き交う者たちの姿もまた、異様だった。彼らはかつて人間だった者たち――欲望に囚われ、魔界へと堕ちた亡者たちだ。だが、その姿は生前の面影を留めていない。 ある者は、自分の腕を黄金の義手に変え、ある者は、腹を割いて宝石を詰め込み、またある者は、全身にブランド品のロゴを刺青として刻み込んでいる。
彼らは路上の至る所で「取引」を行っていた。
「おい、その義眼、いい輝きだな。俺の右足と交換しないか?」
「足りねぇよ! ……なら、肝臓もつけろ!」
「へへっ、商談成立だ」
彼らは自分の肉体を、あるいは他人の魂を奪って、通貨代わりに取引しているのだ。 切断された手足が露店に並び、瓶詰めされた「感情」や「寿命」が高値で売買されている。痛みや尊厳など存在しない。あるのは「価値」と「所有」の概念だけ。
ここを支配するのは、七つの大罪が一つ、『強欲の王:アヴァグラドゥス』。 ありとあらゆる富と、価値ある魂を収集する、貪欲なる蒐集家の領域。
「気色悪い街だぜ。……俺の趣味じゃねぇな」
チャーリーが、サングラスをかけ直して肩をすくめる。
「水気がねぇ。……あるのは、乾いた欲望の砂嵐だけだ」
「同感だ。……さっさと通り抜けるぞ」
灯はコートの襟を立て、M500の位置を確認した。この街の空気は、吸い込むだけで肺が金粉で埋まりそうなほど重苦しい。 1000年の時を生きた吸血鬼として、人間の欲望の醜さは嫌というほど見てきたつもりだったが、ここはそれを煮詰めて濃縮したような場所だ。
三人は、亡者たちの視線を振り払いながら、街の中心を目指して歩き出した。彼らの視線は、灯たちを「生物」としてではなく、値札のついた「商品」として値踏みしているようで、肌が粟立つ。
街の中心部。 そこには、周囲のガラクタ建築とは一線を画す、巨大な宮殿が鎮座していた。
それは、かつて地上に存在したあらゆる文明の遺産――パルテノン神殿の柱、五重塔の屋根、摩天楼のガラス壁、沈没船の船首などを、無秩序に融合させたキメラのような建造物だった。その全てが黄金でコーティングされ、頂点には巨大な宝石が、見下ろす瞳のように埋め込まれている。強欲の王の居城。 その威容は、見る者を圧倒すると同時に、底知れぬ空虚さを感じさせた。
灯たちが宮殿の正門へと近づくと、左右から巨大な影が立ちはだかった。
「止まれ」
地響きのような声。 門番だ。 身長3メートルを超える巨漢。全身を黄金の甲冑で覆い、その手には身の丈ほどもある巨大な戦斧を持っている。兜の隙間からは、欲に濁った黄色い瞳が覗いている。
「ここから先は、アヴァグラドゥス様の宝物庫だ」
門番が、戦斧を地面に叩きつけた。石畳が砕け、黄金の破片が飛び散る。
「貧乏人が入る場所ではない。……どうしても通りたければ、通行料を払え」
「通行料だと?」
灯が眉をひそめる。
「そうだ。……金貨か、宝石か。……それとも、お前のその綺麗な眼球か」
門番は、灯の真紅の瞳と、ルシウスの碧眼を、いやらしい目つきで交互に見た。
「希少な色は高く売れる。……片方ずつ置いていけば、通してやらんでもないぞ」
「……ハッ。随分とふっかけやがる」
灯は、呆れたように笑った。 彼女は懐を探り、クシャクシャになった紙箱を取り出した。愛用の煙草「わかば」。 だが、中身は空っぽだと思っていたが、奇跡的に一本だけ、折れ曲がったそれが残っていた。
「……あいにくだが」
灯は、最後の一本を指先で摘み上げ、門番に見せつけた。
「私の全財産は、これだけだ」
それは、魔界においては何の価値もない、ただの紙屑と葉っぱの塊。 だが、灯にとっては、日常を繋ぎ止める最後のよすが。
「……ふざけているのか?」
門番の声が低くなる。殺気が膨れ上がる。
「ゴミを差し出して、通れると思っているのか!? ……ナメるなァッ!!」
門番が激昂し、戦斧を振り上げた。風を切る音が響く。 灯の頭蓋をかち割ろうと、黄金の刃が迫る。
だが、灯は動かなかった。 動く必要がなかった。
ガゴォォォォン!!
鈍い音が響き、門番の巨体が横殴りに吹き飛ばされた。彼は宮殿の壁に激突し、金箔を撒き散らしながら崩れ落ちる。
「……ッ!?」
もう一人の門番が驚愕する。 灯の横に、十字架を構えたルシウスが立っていた。彼は、ただの一撃――十字架の側面による殴打だけで、巨人を叩き伏せたのだ。
「神の道を塞ぐ者に……支払う対価などない」
ルシウスは、冷徹に言い放った。その背後には、聖遺物の光が後光のように輝いている。
「次は貴様か? ……悔い改める時間くらいは与えてやる」
ルシウスが睨むと、残った門番は腰を抜かし、武器を取り落とした。 圧倒的な「格」の差。 金や力で着飾っただけの亡者ごときが、信念に生きる聖職者に敵うはずもない。
騒ぎを聞きつけ、宮殿の奥から、ジャラジャラという金属音と共に、下卑た笑い声が響いてきた。
『カカカカ……! 面白い』
スピーカーを通したような、耳障りな声。
『暴力という通貨で支払うか。……いいだろう、気に入った』
重厚な黄金の扉が、ギギギと音を立てて内側から開かれていく。 その奥から漂ってくるのは、かび臭い古書と、血と、香水が混ざり合った濃厚な欲望の香り。
『通せ。……値踏みをしてやろう』
『強欲の王:アヴァグラドゥス』からの招待。それは、魂さえも商品として陳列される、悪魔のオークションへの入り口だった。
「……行くぞ」
灯は、折れ曲がった「わかば」を口にくわえ、火をつけずにポケットに戻した。 全財産は、まだ手元にある。 それを賭け金にして、魔王とのギャンブルに挑む。
三人は、黄金の闇の中へと足を踏み入れた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




