第五話「奈落の重力」3
第三章 怠惰なる山脈
「……あっちだ」
灰色の砂漠を歩き始めて数時間。 久遠灯が、北の方角を指差した。風もないのに、彼女の銀髪が微かに揺れている。 吸血鬼の嗅覚が、無臭の荒野に漂う微かな「道標」を捉えていたのだ。
「微かだが、ヴィクトルの魔力の残滓を感じる。……古くて、乾いた、虚無の匂いだ」
「了解。……案内頼むぜ、リーダー」
チャーリー・Sが、肩をすくめて後に続く。ルシウス・クロウリーは無言のまま、十字架を引きずるように歩いていた。 聖遺物の結界を維持し続ける精神疲労は計り知れない。だが、彼の背筋は鋼のように伸び、聖職者としての矜持を保っていた。
三人が進む先に、巨大な影が立ちはだかった。
それは、山脈だった。 地平線を遮るように横たわる、黒い岩山。高さ数百メートル、全長数キロメートルに及ぶその山塊は、周囲の灰色の砂漠とは明らかに異質な存在感を放っていた。
岩肌は黒曜石のように黒く、光を吸い込んでいる。そして、所々に巨大な宝石――いや、生物の「眼球」のような結晶体が埋め込まれており、それらがギョロリとこちらを見下ろしているような錯覚を覚える。
「……妙だな」
チャーリーが足を止めた。 彼はサングラスを外し、その神獣の瞳で山を見上げた。
「地図には、こんな山脈は記されていなかったはずだ。……おい神父、見間違いじゃねえのか?」
「……あり得ない」
ルシウスが地図を確認する。確かに、ここには平坦な荒野が広がっているはずだった。数千年で地形が変わったのか? いや、それにしては不自然すぎる。 この山からは、植物の気配も、鉱物の冷たさもしない。 漂ってくるのは、生物的な温かさと、腐った寝息のような風だけだ。
「……おい。離れろ」
灯が、警告を発した。 彼女の肌が粟立っていた。目の前の巨大な質量が、岩でも山でもないことに気づいたからだ。
その時。 山が、動いた。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
大地が揺れる。いや、世界そのものが傾いたかのような平衡感覚の喪失。岩石だと思っていた表面が波打ち、崩落する。地響きと共に、山脈全体がゆっくりと隆起し始めた。
「な……ッ!?」
ルシウスが目を見開く。 それは山脈ではなかった。 地面に伏せ、泥のように微睡み続けていた、超巨大な悪魔の背中だったのだ。 数千年の間、動くことさえ億劫がり、その身に土砂と岩石を積もらせていた、怠惰の化身。
『……フワァ……』
空気が震えた。それは、あくびだった。だが、その振動は物理的な破壊力を伴い、灯たちの鼓膜を叩いた。
『……騒々しいな、羽虫ども』
山が、言葉を発した。 岩山の中腹、巨大な亀裂のような口が開き、そこから重力波のような声が吐き出される。
『怠惰の王:アヴァドルミア』。
かつて七つの大罪の一角を担い、ヴィクトル(アヴァトル)と覇権を争った古の魔王。 動くことさえ面倒がり、近づく者すべてをその重力圏で圧殺し、眠りながら捕食する、生ける災害。
「……ッ、重い!」
ガシャン!
ルシウスが膝をついた。彼が背負う十字架が、数トンの鉛に変わったかのように地面にめり込む。聖遺物の加護があっても、この質量差と概念的な重圧は防ぎきれない。
「重力操作か……! ったく、寝起きが悪すぎるぜ!」
チャーリーも、脂汗を流しながら踏ん張る。玄武の剛力をもってしても、立っているのがやっとだ。
「寝てんじゃねぇよ! ……起きて道を開けろ!」
灯だけが、重力に抗ってM500を構えた。吸血鬼の筋力と、何より彼女の「意地」が、膝を折ることを許さない。
「どきな、デカブツッ!!」
灯がトリガーを引く。 500S&Wマグナム弾が、魔王の眉間(らしき岩塊)めがけて発射された。
だが。
ヒュン……ポロ……。
弾丸は、魔王に届く遥か手前で、急激に減速した。まるで、空気そのものが水飴に変わったかのように。回転を止め、勢いを失った弾丸は、乾いた音を立てて地面に落下した。
「な……?」
灯が愕然とする。
「物理的な防御じゃない……。運動エネルギーそのものが『眠らされた』のか?」
『眠りの結界』。
アヴァドルミアの周囲では、あらゆる物理現象が「怠惰」に染まる。 速く動くものは遅く、熱いものは冷たく、生きているものは死体のように動かなくなる。 絶対的な停滞の領域。
『……面倒だ』
アヴァドルミアが、鬱陶しそうに身じろぎをした。
『……共に、眠れ』
魔王が、ただ「寝返り」を打った。 それだけだ。 だが、その動作が引き起こした余波は、天変地異に等しかった。
ズズズズズズズオオオオオォォォッ!!
大地がめくれ上がり、岩盤が砕け散る。 山脈一つ分の質量が、波となって灯たちを飲み込もうと迫りくる。回避不可能。防御不可能。 ただの寝返りが、地上における戦略級魔法に匹敵する破壊力を持つ。
「……冗談じゃねえぞ」
灯は、迫りくる土砂の津波を見上げた。 これが、魔界の王。地上の常識など、欠片も通用しない。脱出への最初の試練にして、最大の絶望が、彼女たちを押し潰そうとしていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




