3.太陽神の願い(後)
「語りましょう。フェルミナが、皆を呼んだ理由を。伝えましょう。“空絶”ムルグーシュの目的を」
その言葉と同時に、御簾が上がり、フェルミナ神の尊顔が露わになる。
それを呆然と見つめていたユウトは、改めて思い知った。
なにも、もったいぶってヴェールの向こうにいたわけではない。
むしろ、定命の存在である自分たちに配慮してくれていたのだ、と。
長い黒髪を顔の両側で束ね、幾本かのかんざしで飾る妙齢の女性。
太陽を具象化した冠をかぶったフェルミナ神は、緋色の袴に、朱色の山形の模様が描かれた広い袖口の羽織を身にまとっていた。見るからに豪華な。それでいて、素材の種類すら推測もできない。
きらびやかな東方風の装いを披露したフェルミナ神は、クロニカ神王国で見た神像とはモチーフそのものが違うのではないかと思えるほど異なっていた。
これには、このなかで最も近しいはずのセネカ二世ですら、意外そうな表情を見せている。
だが、神像との共通点はもちろんあった。
それは、その美しさ。
そして、最も異なっているのは、その存在感そのものだ。
分神体とは、何度も出会った。
絶望の螺旋の眷属である亜神とも、美しき赤毛の半神とも雌雄を決した。
悪魔諸侯ともだ。
神とも、夢で言葉を交わした。
それでもなお、この太陽神には圧倒される。
太陽に近づきすぎた翼が燃え地に落ちるように、太陽を直視した愚者の瞳が灼かれるように。
人が自然の猛威には無力なのと同じく、女神の威光の前には従わざるを得ない。いや、その願いを叶えねばならないと自ら身命を賭そうとしていたはずだ。
――ヴァルトルーデと出会っていなかったなら。
「ムルグーシュ神に対抗するため、我らを呼び出された。そう、考えてよろしいのですね」
飾り気はないが、美しい太陽神の御座所。
その空間に、大魔術師の不躾な声が響く。
それが合図だったかのように、ヴァルトルーデらも夢から醒めたように正気を取り戻した。
「対抗。いかにも、その通りです」
ユウトの問いかけを当然と受け止め、太陽神フェルミナは話を続ける。
なにしろ、フェルミナ神にユウトたちを支配するつもりなど毛頭なく、ただ当たり前に話をしているだけだったのだから。
「このフェルミナが巫女セネカには心労をかけましたが、ここに至った経緯を知れば、納得してもらえるものと信じています」
「もったいないお言葉でございます」
唯一、セネカ二世だけは敬服の態度を続けていたが、これもフェルミナ神のせいではない。崇敬する神が目の前にいて、声をかけてくださる。しかも、労りの言葉をも。
この状態で平常心を保てる宗教者がいるはずがない。涙も流さず、きちんと受け答えできているのだから、神王の自制心はかなりのものだ。
「“空絶”は、ここ最近になって地上への干渉を強めていました」
そして、フェルミナ神は語り出す。
ただし、言葉のみでではない。
「自らの信奉者による長年の活動が実りつつあり、最後の一押しをするためです」
言葉に思念を乗せ、ただ語るだけでは伝わらない感情と情報を一緒に流し込む。そのために、御簾から出る必要があったのだろう。
ムルグーシュ信者の行状をも伝わり、セネカ二世は顔をしかめる。
同時に、フェルミナ神の今の言葉に含まれていた感情は、無念と怯え。
(怯え? 神が?)
その疑問は置き去りに、フェルミナ神の言葉は続く。
「狡猾にも、次元の穴を創造したのは善と悪の中間の領域。事を荒立てては、善と悪の神々の衝突が起こりかねません。ゆえに干渉も慎重を期さざるを得ず、地上への加護を削る必要がありました。フェルミナの力不足により、苦労をかけました」
「滅相もございません」
ユウトから、同じ推測は聞かされていた。
それでも、フェルミナ神その人から語られ、セネカ二世は心からの安堵を見せる。同時に、仕える神への思いを新たにした。
「あの次元の穴を通じて、ムルグーシュ神の眷属でも遣わそうとしていたのでしょうか」
「いかにもその通りです。そして、それは果たされることなく、逆に、英雄によって“空絶”の信奉者は壊滅させられました。ところが、それで逆に枷が外れたようです」
漏れ伝わる感情は、憂慮。
「“空絶”は、自ら地上へ降臨するつもりでいます」
同時に幻を見せられる。
フェルミナ神がムルグーシュ神と争ったときの光景を。
太陽神が振るう長大な槍と、“空絶”の戦斧が激突し、ただそれだけで天は裂け、大地は悲鳴を上げ、海は割れる。
神々はサイズすら可変のため空を貫くような巨人同士の戦いとなっており、それを幻視により間近で見せられているのだから、その衝撃はいかばかりか。
もちろん、それだけでは終わらない。
強大な。ユウトやアルシアですら理解するのがやっとという大呪文が、まるで第一階梯の呪文であるかのように飛び交っている。
さらに、天使をはじめとする双方の眷属も、主のために力を振るう。
この光景を見れば、逆説的にだが、古代の人々が自然現象を神に重ね合わせた気持ちが分かるだろう。
完全に、人の枠も常識も飛び越えた、超常の存在。
ブルーワーズが青き盟約の世界となる前の、まさに神話の時代の光景。
幻視だが、実際にあった出来事。
今、この規模の戦いが発生したなら、人間だけでなく、善と悪の種別も問わず。すべての生命が死に絶えても不思議ではない。
その幻視の、その言葉の衝撃は、筆舌に尽くしがたかった。
ムルグーシュ神が地上に降臨すれば、この規模の破壊が再現されるかもしれない。
悪の神。それも、分神体ではない、本体が地上に現れるなど、あってはならないことだ。
「それを止めることができなければ、最悪、ブルーワーズのみならず、ほかの世界も滅びるかも知れません」
善の神々も、ムルグーシュ神の暴挙を座視することはないだろう。
そうなれば、悪の神々も介入するのは間違いなく――青き盟約は破棄され、善と悪の神々の最終戦争が発生しかねない。
神の強大さを思い、顕現により生じる惨事を憂い、誰もが言葉を失う。
正義の神の聖女も、岩巨人の戦士も、草原の種族の勇士も、死と魔術の女神の愛娘も、白き超能力者も。
「ムルグーシュ神の意図が読めませんね。メリットも感じられません」
――ただ一人、来訪者を除いて。
「目的が達成できなかったから地上で暴れてやる……という八つ当たりとも思えませんが」
「さすがは、英雄」
フェルミナ神が、初めて笑顔を浮かべ、賛辞を送る。
さすがのユウトも、世辞だと分かっていても、心が浮き立つのを止められなかった。
だが、それも一瞬。
その先にある答えに、たどり着いてしまったから。
(なんて、ろくでもない結論だっ)
けれど、答え合わせを放棄するわけにはいかない。
すぐに真顔へ戻り、謎解きを続ける。
「自暴自棄でも苦し紛れでもない。目的があって、地上に降りる。では、ムルグーシュ神の目的は――」
「失った瞳を取り戻すことね」
ユウトのあとを引き継ぎ、アルシアが言の葉を紡ぐ。
それはつまり、彼女も気づいたということだ。
「そう。自ら、昏き巫女――ムルグーシュ神の瞳を宿す者を殺して回るつもりなんだろう」
「なんだと!」
太陽神の御前であることも忘れ、ヴァルトルーデが激昂して立ち上がる。
「どこにいるか分かっていれば具体的な場所を指示していただろうから、最悪、手当たり次第ってところかな。昏き巫女一人を殺すのに、一万人殺しても痛痒は憶えないだろうし。もちろん、神が手ずから行うのであれば、面倒な儀式も必要ないんだろうしね」
続くユウトの予測に聖堂騎士はさらに顔を紅潮させるが、次いで一瞬で青ざめた。
「実際は、最初に狙われるのは私でしょうけれど」
淡々と、幼なじみが当たり前のように語る言葉を聞いてしまったから。
「トラス=シンクの愛娘よ、あなたの存在は強大になりすぎました。かの死と魔術の女神も、“空絶”の目から隠し通すのが困難であるほどに」
「…………」
アルシアは、ただ頭を垂れ沈黙するのみ。
実際、答えようのない話だった。
「“空絶”と古く長き因縁を持つものとして、フェルミナはその陰謀を阻止します」
「我々は、なにをすれば良い!」
ヴァルトルーデの叫びを非礼と咎めることなく、フェルミナ神は言葉を紡ぐ。
「次元の穴。あれを閉じさえすれば、当座。そう、数百年は大人しくせざるを得ないでしょう」
「それほどの力が注がれているのですか……」
セネカ二世の驚きの声を聞きながら、ユウトはあの環状列石を思い出す。
(道理で、ヨナの全力を受けても傷ひとつ付かないはずだ。しかし、数百年か……)
当座で数百年というスケールの違いもさることながら、「神の殺害」とまで言い出さないことから、その存在の強大さ。
そして、厄介さに頭が痛くなる。
「今は、表立って介入はできないため、フェルミナと“空絶”の力は拮抗しています」
ゆえに、その力の天秤をこちらに傾けてほしい。
善と悪の神が正面衝突する事態を避けるため、亜神にも匹敵するが神ではないユウトたちには、ムルグーシュの領域へ侵入して、かの神の力を殺いでほしい。
太陽神は、そう懇願した。
依頼でも、ましてや命令でもない。
溢れ出る思念は、紛れもなく懇願の響きを帯びていた。




