2.太陽神の願い(前)
太陽神フェルミナから遣わされた馬車による旅は、基本的には短く静かなものとなった。
ユウトたちが空飛ぶ馬車程度で今さら驚くはずもなく、一方、神王セネカ二世は感極まって逆に大人しく座っている。
ラーシアやヨナが、ごろごろと寝転がっているのとは実に対照的だ。
両脇を婚約者に挟まれながら、ユウトは、この馬車の意味について考える。
なぜ派遣してきたのか――ということではない。自分たちを天上に呼んだのは太陽神フェルミナなのだ。放置するほうがおかしい。
気になっているのは、馬車そのもの。とりあえずは、畳敷きの内部についてだ。
太陽神の聖印が刻まれた馬車の内部が、《灰かぶりの馬車》のように遥かに広いというのは、当然のことと受け入れられた。
しかし、床の間まである書院造にも似た一室になっているのは意外すぎた。
思わず、全員を制止して靴を脱がせたほど。冷静なのか余裕を失っていたのか、自分でも分からない。
どうして、こんな旅館の一室のような――それも、歴史と格式を感じさせる――和風の造りなのか。
「ああ、そうか。和風というよりは、東方風なのか……」
「ん? なんの話だ?」
思考に沈むユウトの横顔を静かに見ていたヴァルトルーデ――真面目な彼女の数少ない趣味と言って良い――が、素早く反応する。
「いや、フェルミナ神は東方――リ・クトゥアと縁のある神なのかも知れないと思っただけ」
「この床のことか。チキュウで見たことはあったが、そうか、ユウトの故郷と東方は文化が近かったのだったな」
アカネとともに、リ・クトゥアの調味料の増産に励んでいたことを思い出し、ヴァルトルーデは一人納得する。
「フェルミナ神が東方由来の神であるというのは、初めて聞く説ですね」
ユウトとヴァルトルーデの邪魔にならないように横で黙っていたアルシアが、一段落した頃合いを見計らって口を開く。
神学的な疑問を解消したい――というよりは、単純に気になっただけのようだ。
「太陽が東から昇ることを考えると、そこまで意外でもないのかなと思わなくもないけど……」
「ほう、なるほど」
「でも、冷静に考えると、別にそれは関係なさそうだ」
「……感心した私が恥ずかしいではないか」
畳の上に足を投げ出して口を尖らせる愛妻を、ユウトは頭を撫でて、ついでにその手を頬から顎まで伸ばしてなだめた。
「まったくユウトは……」
その程度で誤魔化されるものかと、聖堂騎士が顔を背けるが、それが虚勢に過ぎないことは誰の目にも明らかだった。
気になってユウトが視線を向けると、壁にもたれて瞑想しているエグザイルの口の端も上がっている。
さっきのヨナと同レベルだなと思っているのだろうが、勘違いをしてはいけない。
ようやく、ヴァルトルーデがヨナと同じレベルに上昇したという可能性もあるのだから。
「確かに気になるところではありますが、これからの話には関係しそうにないものね」
「そうですね」
一時棚上げにしようというアルシアに、ユウトも賛意を示す。
太陽神フェルミナのバックグラウンドは興味深いところではあるが、一朝一夕に判明するとは考えられず、また、直面している問題と関係があるとも思えなかった。
「ユウトくんは、このあと、フェルミナ神からどんなお言葉があると思っているの?」
少し間を空けて提示された、死と魔術の女神の大司教からの疑問。
それは確かに疑問の形を取っていたが、どちらからといえば、答え合わせという傾向が強かった。
「世間話をするために呼び出したわけではないでしょうから、俺たちに、なにかやらせようとしてるんでしょうね」
「引き受けるつもり?」
「依頼内容を聞かないことにはなんとも……と言いたいところですけど、まあ、そうなるでしょうね」
「それは、神々から下される探索行だから? それとも、世界の安寧に資するからかしら?」
「別に、その辺も否定はしませんけど……」
ユウトは、ちらりと反対側の隣に座るヴァルトルーデの横顔を見てから――『ちらり』にとどめないと見入ってしまう――正座のような格好で背筋をぴんと伸ばしているアルシアへと向き直る。
「俺たちにも、無関係な話じゃないでしょうから」
「『俺たち』?」
「その範囲は、まあ、いろいろあるでしょう」
そこまで言うと、ユウトは肩をすくめて笑った。言わされたという感覚もあるが、悪い気はしない。
他ならぬアルシアのためになるのであれば、なおさら。
「なるほど。よく分かったわ」
真紅の眼帯に顔が半分隠され、表情はうかがい知れない。
それでも、長年の経験と言うべきか、嬉しそうだということは伝わる。
「さっぱり分からん」
けれど、そこに一人、置き去りにされた子犬のような聖堂騎士がいた。ユウトがアカネとよく分からない話題で盛り上がっているときと、同じ瞳をしている。
「そのときになれば、分かりますよ」
「なら、今説明しても良いではないか」
ヴァルトルーデから正論が飛び出すが、ユウトとアルシアからは、申し合わせでもしたかのように答えはない。
それを咎めようと、ヘレノニアの聖女が再度口を開きかけたとき。
「止まった」
ヨナが言ったとおり、馬車が停止した反動をわずかに感じる。
どうやら、目的地――太陽神の宮殿――へと到着したようだった。
「ここが、フェルミナ神の……」
「うっひゃー。こいつは、良い眺めだね!」
「たかーい」
感無量だという神王セネカ二世の感動を吹き飛ばす安っぽい歓声。
続けて馬車から下りてきたラーシアとヨナの視線は神の宮殿ではなく、遥か地上へと続く木製の階段に注がれている。
その階段を支える柱はいくつもの雲を貫通してそびえ立っており、周囲の山よりも高い。朱塗りの欄干は目にも鮮やかだが、これを上ると考えるとぞっとする。
幸いにも黒白一対の天馬に引かれた馬車は、階段の頂上。本殿前の広場に乗り付けられており、風情がないと非難する向きもあるかも知れないが、ユウトとしては助かったと胸をなで下ろしていた。
「しかし、見たことのない神殿の造りだな」
「いや、ヴァルはそうでもないはずだぞ」
まぶしそうに本殿を仰ぎ見るヴァルトルーデ。
その光景を背後から見つつ、ユウトが声をかける。
「まあ、一番見覚えがあるのは俺だろうけどな」
「どういうことです?」
「ヴァルは、地球で似たようなのを見てるはずですから」
アルシアの問いに、ユウトは二人きりで地球へ行ったときのことを語る。
呪文の実験をして、次元の穴が空きモンスターと遭遇し、真名と初めて出会ったのは、神社の境内だったのだと。
「なるほど。フェルミナ神の宮殿と、ユウトくんの故郷の神殿は、造りが同じなのですか」
「大きさは、段違いですけどね」
「言われてみると、確かに……」
数倍。下手をすると10倍は違いそうなスケールの違いに気づかなかったのか。二人の会話を聞いて、ようやくヴァルトルーデは思い出す。
ユウトがすぐに気づいたのは、なじみ深いこともそうだが、大きさ以外の構造は非常に似通っていたからだろう。
板葺の屋根に、それを補強するため交差するように両端に載せた千木とその間に設置された鰹木。
左右対称で、柱の数すら偶数で配置された柱。土台もないにもかかわらず、高層ビルほどもある神殿をしっかりと支えている。
壁も巨大な板材で、扉は正面にひとつ切り。
その両開きの扉が、彼らを迎え入れるかのように厳かに開いた。
「ユウト様。興味深いお話ではございますが……」
「ええ。行きましょう」
セネカ二世の言葉を受けて、ユウトは意識を切り替える。
それが皆にも伝わったのだろう。草原の種族をはじめとしてまとまりのなかった彼らが、瞬時に隊列を組み直す。
ダンジョンを探索するかのようなフォーメーション。弛緩した空気は、もう、どこにもなかった。
あからさまな危険があるとまでは思っていなかったが、この規模の神殿だ。用心するに越したことはない。
しかし、それは杞憂に終わった。
全員が扉をくぐって内部に入った瞬間、周囲の状況を確認するよりも先に酩酊感に襲われる。
次の瞬間、気づけば、全員揃って板張りの部屋へと転送されていた。
横長のその部屋の奥には、御簾で仕切られた一角がある。
「よく来てくれました」
そこから響き渡る。
否、精神に直接語りかけられたかのようなはっきりとした声。
だが、暴力的でも衝撃的でもない。
声だけの印象ならば、年の頃は二十代の半ばほどか。心が蕩け、骨抜きにされる感覚。
姉のような親愛。
友のような情愛。
母のような慈愛。
全身を、魂を、暖かく柔らかく包み込む愛に満ちた声音だ。
御簾越しで、顔はおろか、シルエットすら判然としない。だが、その存在を前にしては、なんの関係もなかった。
神王セネカ二世は本能的に跪き、平伏する。
他の神に仕えるヴァルトルーデやアルシアさえも、神威に打たれて頭を垂れた。
その三人に比べれば不信心な自覚のあるユウト、ヨナ、エグザイル、ラーシアの四人ですら、口を開くこともできず。
いや、そんなことを思いつくことなく自ら膝を折る。
「語りましょう。フェルミナが、皆を呼んだ理由を。伝えましょう。“空絶”ムルグーシュの目的を」
その言葉と同時に、御簾が上がった。




