第84話 C100夏 設営日 嵐の気配
『さて、気になる台風ですが、木曜日には関東を強風域に巻き込み、金曜日には千葉県に上陸する見込みです。そのため鉄道航空各社は運休や減便を計画しており……』
地域によってはもう鉄道にも影響が出ているらしい。
この夏コミの1日目は金曜日。台風が直撃する予想になっている。
コミマ準備会はやむを得ないキャンセルについてのお知らせをSNSにアップし、各所のオタクも早めに東京に入ったり、あるいは上京日程をずらしたりと慌ただしい。
そんな状況であっても、コミマは粛々と準備しなければならない。
台風近づく設営日。
建物の間を駆け抜ける風の音が、アトリウムにも聞こえている。
今は早入りしたスタッフと有志の参加者がホールで測量を開始している。
十時過ぎ。
測量をするわけでもなく、設営部でもない深川さとりがアトリウムに立つには少々中途半端な時間である。
「お疲れ様です、あの」
一見誰もいないように見える一角。
エレベーターの陰に隠れたその場所だったが、かすかに反応があった。
声をかけられた影が、ちらりとさとりを見て歩み出てきた。
「またあの、杏を差し上げますので、どうか」
『相わかった』
即答。
二足歩行の狐、玉である。
この間、神社の末社である稲荷社にドライフルーツの杏をお供えした。あれは気に入ってもらえただろうか。
「お供えは、どうでしたか」
『悪くはなかった。しかし、あの弁当の杏が良い』
「そ、そうですか」
お供えが届いたことに安心しながらも、良し悪しについてはどっちに取れば良いのかわからなかった。とはいえ今回もお弁当の杏をあげようと心に決めた。
「それで、ですね」
話を改めると、玉がさとりに正対した。
杏が貰えそうだとわかって真面目に聞いてくれるのだろうか。
さとりは「お手伝いしてもらいたいことがある」と、玉に異形を集めてもらった。
元々気まぐれなところがありそうな異形たちではあったが、玉の呼びかけには素直に応じてくれたらしい。
エレベーターの裏のスペースが手狭に思える程度には数が集まっている。
「あの、お疲れ様です」
大多数の異形たちの注意がさとりに向いたように思う。
「良かったらお手伝いをお願いしたくて、集まってもらいました」
返事はない。
だが顔を向けているらしき異形がいるので、リアクションを待たずに伝えたいことだけを口にする。
「ホールの床に、釘やネジが落ちていることがあって、それを探して拾って欲しいんです。見つけたら、えっと、ここの隅に集めておいてください。よろしくお願いします」
玉を見るとうなずいている。どうやら伝わっていると思ってよさそうだ。
異形たちは微動だにしないが、
『散れ』
という玉のひと言で、あっという間に散開した。
言った通り、それぞれのホールに別れてくれている。
上手く伝わっているかは不安だが、とにかく牛の言う『小物を使う』の練習ができた気がする。
ほっと息をついていると、背後から声がした。
「ほおー、見事なもんやなあ」
「えっ!?」
振り返るとそこに、知らない三人の男性……というよりは老人がいた。かなりお年を召している。着慣れた様子の和装であることもあって、コミマとは縁遠い人のように思えた。
彼らはさとりに構わず、それぞれに話しながら、異形の去った先に目をやっている。
「えらい数やのに上手いこと使役しよるわ。管か?」
「でもひと息ズレとったで」
「何や可愛らしい術者さんやな」
それはまるで、さとりに対する評価のようだった。まさか今のを見られていたのかと混乱する。よりによってこのタイミングに、まさか『みえる』人が現れたのだろうか。だとすると、いつかの九条のように危害を加えられることも考えられる。
「あ、あの」
彼らが無害であることを伝えなければ。
「怪しいもんとちゃうで。術者はん」
「そうそう。ちょっと道を聞こう思うててんけど、何や集まっとったから、ついつい」
「しかしあんなけの数、どないして使役しよんや?」
「ほんまなあ。顔色ひとつ変えてへんで。どないなっとるん」
洪水のように話しかけてくる彼らに、さとりはなすすべもなく目を回しそうになる。
「ちょっと落ち着きなはれ」
そんな時、彼らの後ろから鋭い声がした。途端にさとりに集っていたお爺さん達の攻勢がぴたりと止まる。
安堵のあまり目が潤んでしまった。
「九条さん……」
九条はさとりの前に立ちはだかると、三人のお爺さんを前に仁王立ち。
「どこにおるかと思えば。正面入口や言うたやろ。こっちは違いますえ」
どうやら九条の知り合いのようだ。これ幸いと九条の陰に隠れるように立ち位置をずらす。
玉はいつの間にか姿を消してしまっていた。
「初めてやねんからそんなんわかるかいな」
「せやせや。バス降りて真っ直ぐ来たらここに来るんやからしゃあないやろ」
「そうやそうや」
「やかまし!」
本当に騒がしい。
まだアトリウムの人が少なく静かなだけに、余計に際立っている。
九条はそんな彼らに背を向け、
「お疲れさんどす、深川はん」
「お、お疲れ様です。えっと、こちらの方たちは……」
「知り合いや」
それは言われなくても何となくわかる。どういった知り合いかを聞きたかったのだが。
「何やお嬢、えらい他人行儀やなあ」
「他人やろ」
「えー、ちゃうやろ?」
そう言ってひとりが手首に巻いた赤い紐を見せる。
「知っとるよお。他人にはこの赤い紐は許されてはおまへんねやろ」
「照れとるんやろ」
「思春期か?」
「やかましわっ!」
一喝するが、まるで堪えていないようだ。そんな彼らにため息をついて、九条が渋々紹介をする。
「……改めて、わての伝手で引っ張ってきた準スタッフどす。うちらの領域の悪いもんは祓うん手伝うてもらうつもりや」
「悪いもん、ですか……」
良い悪いがわかるのだろうか。前の九条は無差別に蹴飛ばしていたように思えるが。
「心配ない。わかっとる人間を連れてきた」
さとりの視線で察したのか、九条がひと言添えた。
ひとつ胸が高鳴る。あの九条がしっかりと歩み寄ってくれていることが嬉しい。
するとお爺さん達はすっと立ち位置をずらし、さとりに話しかけてくる。
「どうも。わかっとる人間です」
「無害なんはそのままにしといたらええんやろ」
「わかっとるで」
「いやー『或れ』と見れば即蹴飛ばす、全方位ハリネズミみたいやったお嬢が丸うなったなあ」
「ほんまな。盆暮れは東京で過ごすて言い始めた時はどないなるかと思うたけどな」
「こっちのお嬢さんのお陰なんやろか」
「せやろせやろ」
「ありがたいなあ、拝んどこ」
「お、ええ脚しとるな」
「拝んどこ」
三人は口を挟む間もなくしゃべったかと思えば、急に手を合わせてさとりを拝む。
あまりの展開についていけず、さとりは困惑を極めていた。
「……えっと?」
ここからどうすれば良いのかと九条を見る。もう頼れるのは九条だけだ。
その九条はわなわなと震え、大きく息を吸い込んだ。
「もう帰ってまえ!」
九条の声がアトリウムに響いた。




