第81話 幕間 ゆめまくら
裸足でいることに気付き、これは夢だなと思った。
場所は見慣れた境内だが、夜の帳が下りている。ふわふわと空中に火の玉が浮き、ぼんやりとあたりを照らし出している。
ただ、火の玉に異形の気配は感じず、これはただの物理現象なのだと妙な納得をする。
もっと強い存在感がそこにいた、ということもあるのだが。
「来たか」
まるで当然と言わんばかりに、そこに立つ女性がふっと笑う。
切れ長の目、夜に溶けそうな長い黒髪、白い和服姿の出で立ちは、夜の闇から浮き出たように見える。
「あの」
知らない人のはずだが、何となく見覚えがあるような気がした。いや、見た目というよりはまとっている雰囲気からだろうか。
「どうかしたのか、サトよ」
サトと呼ぶのはほんの数人しかいない。ましてや女性となると。
「玉……さん?」
「左様、玉である」
当たったことにほっと安心した。
しかし、そうなるとただの夢とは思えない。玉が何か伝えに来てくれたのかもしれない。
改めてその姿を見る。妖艶、というのだろうか。人ならざる者の妖しさと美しさが奇妙な存在感を放っている。
「この姿では話しづらいかの?」
「あっ、いえ、そのお綺麗なので……えっと、狐の姿も綺麗ですけど」
「ふふっ、そう畏まらずとも良い」
容姿を褒められて嬉しそうではある。
目を細め、口元を隠してくくと笑う。
こういう仕草は実に人間らしい。玉から見ると、これは人間のコスプレなのかもしれないとぼんやり考えていた。
「サトよ」
「はいっ」
変なことを考えていたのを見透かされたのかと、つい大きな声で返事をしてしまった。
「またあの祭りに行くのかの」
「あ、はい」
玉の言う『あの祭り』とは、きっとコミマのことだろう。というより、玉とはコミマでしか会うことがない。
普段姿を見せてくれてもいいのだが、玉にしてみれば用事がないのだろう。
「また杏は出るのかの」
「えっ、あ、はい。多分」
やはり杏が気に入っているようだ。
食べるところを見たことはないのだが、確実に食べていることがわかる。
「そうか。杏は良いのう」
ふうと息をつきながら言う。同意を求められているようだが、さとりは食べたことがない。
この間のコミマが初のシウマイ弁当だったが、ひとつしかない杏を玉に差し出した。
メインのシウマイをしっかり食べたので、別に構わないのだが。
「そんなに。本当に好きなんですね」
「うむ。あの杏を納めたサトゆえに、力を貸す気になった。あれが出るならまた祭りに行こうぞ」
正直だなと思う。
あの日シウマイ弁当でなかったら、巨牛にお目にかかれなかったかもしれないということだ。
とはいえ、それより前から玉の姿は見かけていた。
「でも前からコミマにはいましたよね?」
「我らは音楽も好きじゃが絵も好きでの。人が集まる賑やかな場所も」
「それでコミマに」
何となくわかるような、どこか引っかかるような。そもそも湾岸の埋め立て地である有明に、異形たちの地縁があるとは思えない。
どういう巡り合わせだったのだろう。
「それに長き時を過ごす我らにとって、珍しいもの、新しきもの、人の創り出すものは良い刺激になる」
「そうなんですか」
詳しくはわからないまでも、彼らが何を思ってこの場所にいるのか少しでも知れて良かったと思う。
「ゆえに、あの動く漫画も、多くが気に入っておる」
「良かったです」
真っ直ぐな玉の言葉に、嬉しくなる。
微笑むさとりとは対照的に、玉はつまらなさそうな表情を見せる。
「驚かぬのだな」
「えっ、あれだけ見られていれば、そうかなって」
「ふむ。それもそうか」
元々彼らに見てもらえないかと考えた話だ。あっという間に形になって実際に行われるとは思ってもみなかったが。
「あれもサトの発案だと聞く。彼奴らは何も考えておらんかもしれぬが、我は違う。代わって力を貸してやろう」
「あっ、ありがとうございます」
さらりと悪口を言ったような気がするが、気にしないでおこう。
ぱっと見ただけでも彼らと玉では格が違うことはわかる。
人の姿をした玉を改めて見る。
艷やかな髪は火の玉に照らされてキラキラしている。そこに耳もないし、腰のあたりに尻尾があるわけでもない。
そう思うと、ただ雰囲気で玉だとわかった自分に少し驚く。
年の頃はわからないが、本当の姿でないので意味はないだろう。誰かを模したのか、それとも元から人ではこういう姿形なのか、どちらなのだろう。
「見ていて面白いかの」
「あ、いえ、すみません」
さすがに無遠慮すぎたかもしれない。
さとりは半歩引いて、小さく頭を下げた。
すると、
「良い」
と言って、玉がずいと前に出てきた。
そしてさとりに顔を近づけ、なめるように視線を這わせてくる。
「えっと……」
「ふむ」
息がかかりそうな距離で、玉の美貌が妖しく笑う。あまりの事態に硬直していると、今度は頭の先から足元まで全身をぐるりと観察されてしまう。
何だろうと思っていると、玉がしゃがみこみ、
「ひっ」
右足にぞわりとした感触があった。
恐る恐る視線を落とすと、玉が両手で右足をさすっている。
「なっ、なっ、何を」
「面白いのう」
さっと離れて居住まいを正す玉。何が面白かったのか全くわからない。
触られたところにまだ感触が残っている。
「サトには彼奴ら小物の言葉は届いておらぬが、サトの言葉は届いておる」
「あ、えっと。はい」
行動原理がさっぱりわからないが、とりあえずうなずいておいた。
「我らには、あの場所の道理がよくわからぬ。ゆえに、声に出して指示してほしい」
「わかりました」
さとりの返事に、妖艶な美女は目を細めて満足げに笑った。
「あ、でもあの、コミマは西地区以外にもやっていて、他の地区に問題があるかもしれなくて」
「心配には及ばぬ」
「えっ」
言葉を遮る玉に面食らう。
玉はそんなさとりに構う様子はない。
「向こうは向こうで人の手に負える程度の災いしか降りかからぬ。こちらの問題が起こるのは、西と呼ばれる場所のみ」
「そ、そうなんですか」
『こちら』というのは、異形たちの、ということだろうか。
「人の手が少なくなるのだろう。ゆえに調和が崩れ穴となる」
「人の手が……あっ」
西2のことを思い出す。
人員整理という名目で、かなり手が入ったらしい。地区全体で人手が不足し、西1から西2に移る人もそれなりにいるのだとか。
そんな話を小太郎経由で耳にした。
「教えてくれて、ありがとうございます」
さとりがお礼を言うと、玉はふいと横を向いた。
狐の姿の時にも見た気がするが、どうやら照れているらしい。
「……ん」
良く晴れた朝の光。
目が覚めたさとりは、ゆっくりと体を起こす。
(夢、覚えてる)
人の姿をした玉と交わした言葉。
何となくあたりを見回すが、見慣れた自分の部屋があるだけで当然玉の姿はない。
「……うーん」
ひとつ伸びをして、先ほど夢に見た光景を思い出す。
「行ってみよ」
簡単に着替えると、慣れた境内の端を歩く。
まだ朝早いこともあって、末社の建ち並ぶ場所に人の姿はない。
さとりはその末社のひとつの前で立ち止まると、静かに二礼二拍手一礼をした。
「おはようございます。今度、ドライフルーツの杏買ってきますね」
答える声はなく、ただ風が通り過ぎる。
その静かな空気が、どこか見知った狐の姿を連想させた。
「ふふっ」
末社の稲荷社は、朝露に濡れながら静かに佇んでいた。
この場所をただ見守るかのように。




