第80話 幕間 新・学校の深川さとり
夏服の開放感が学校全体に漂う中、昼休みの喧騒は少し増したように感じる。
最終学年となったさとりは、これまでと変わらず自席でお弁当を食べ、図書室で借りた本に目を落としていた。
「模試だってさ」
「あたしパスかなー。予備校のがあるし」
「ヒュー、真面目」
「本格的に頑張んのは部活引退してからかな」
「女バス終わんの秋じゃなかった? 遅くね?」
すぐ前の机で女子三人が賑やかに話している。その声をどこか遠くに聞きながら、今月にある夏コミのスタッフ登録のことを考えていた。
もちろん今回も登録するつもりではあるが、少し気が重い。
ちゃんと読む気持ちになれない本を閉じて、窓の外を見る。ぽかぽかと明るい空に、何か異形がふわふわ飛んでいるのが見えた。悪いものではなさそうだ。
そういえば、と小物を入れる巾着をカバンから出す。由布子から貰ったリップはあれ以来活躍し、色はともかくとして唇のコンディション維持に欠かせない存在になっていた。
校則では化粧は禁止されていたはずだが、リップが化粧に入るかをわざわざ確認してはいない。
世の中グレーのままにしておいた方が良いことも多い。そういうことをコミマから学んでいた。
「あっ、何それ。もしかしてカラーリップ?」
「えっ、あ、はい」
急に話しかけられ、挙動不審になってしまった。校則グレーのものを見られてしまった。まずいかと思ったが、思ったより好意的な視線が向けられる。
「良い色じゃん、どこの?」
「えっと……」
ショートボブのクラスメイトに、リップを見せる。髪型もあってどこか由布子と似たような雰囲気に感じるが、全体的に幼い印象という感じがする。
「私も見せて」
「見たい見たい」
「良い?」
断りを入れられ、うなずいて返す。
まずは隣のお団子頭が慎重にキャップを開けて本体を覗き込んだ。もちろん使ったりせず「へー」と感心してそのままキャップを閉じる。
次に渡されたセンター分けのロングヘアのクラスメイトは、手に取ってからぐるぐると全体を観察している。
「え、見たことねー。どこで売ってたの?」
「プレゼントで貰って」
「へえー、やるじゃん!」
何か勘違いされたような気もするが、年上の女性の友人がいる説明もしなければならないだろうかと考えているうちにリップが返ってきた。
「サンキュー。あっ、アタシもリップ塗り直しとこ」
そう言って机に置かれたショートボブの通学カバン。
そこに、見覚えのあるキャラのストラップがぶら下がっているのが目に入った。
「あれ、刀心の……」
「え、知ってんの? マジで!?」
がばっと音がしそうな勢いで食いついてきた。さとりは思わず半分身を引く。
「いえ、あの、キャラの顔と名前ぐらい……」
『知っている』のうちに入るかどうか、かなり微妙なところだ。この間のコミマでみまみまのサークル『ういろう大好き』で少し目を通しただけにすぎない。
「ほれほれ聞いたかよー、やっぱ有名じゃん!」
「いやウチら知らねーし。つか、お初じゃね? ごめ、名前なんだっけ」
ロングヘアの言葉にうなずく。
クラスメイトではあるが、やはりあまり認識されていなかったらしい。
「深川です」
「深川さあ、こいつに気ぃ使わなくてもいいよ」
「何でお前が言うんだよ」
ショートボブが不満の声を上げる。言葉は乱暴だが、仲が良さそうだ。このクラスの中ではよく三人で楽しそうにしている。
「いやそんなことより、初めて知ってる人いたわ。姉ちゃんがオタクでさー、横から覗いてたんだけど自分もやりたくなって」
「そ、そうなんですか。格好良いですよね」
刀心はコミマでも人気があり、オンリーイベントも度々開かれている。目にする機会が多いが、ゲームをやるほど興味があるわけではない。
「んで、深川は誰推しなん?」
「推し?」
急な質問に戸惑う。知識がみまみまの本しかないのだが、彼女の推しキャラは良かったと思う。
「えっと、七夜、でしたっけ」
「へえ、何か意外」
「あの、ゲームはやってなくて」
誤解を招かないように先に言っておく。
キャラの感想やゲームの攻略トークにはついていくことができない。
「わかってるわかってる。ビジュで決めたってことでしょ。十分アリじゃん。つーかまずビジュから入るっしょ」
ビジュというか同人誌から入ったのだが、それを言うと引かれそうなので黙っておいた。公式作品を見た機会の方が少ないかもしれない。
「知ってる人が七夜好きで、私も」
「なるほどねー。横から見てたら布教された感じ?」
「あ、そ、そんな感じです」
同人誌制作はファン活動。布教と言われれば近いものがあるかもしれない。
「なんだよ深川って意外と話せんじゃん」
「距離置かれてるから嫌われてるのかと思ってた」
「なー」
お団子とロングが目で笑いながらうなずきあっている。距離を置いたと言われれば、そうかもしれない。
彼女らは早々にグループを作っていたし、趣味や嗜好も合わないだろうと思い込んでいた。
「あ、あまり話す機会がなかったですし」
そういう意味では、やはりオタク趣味は共通の話題として最適なのだと思う。
「それもそっかあ。じゃあイッチーに感謝だ」
「イッチー?」
聞き慣れない名前。
「一之進。この人」
「人、ねえ」
「うるせー。画面の中でも生きてんだよ!」
お団子の茶々にそう言い返す。
コミマでよく感じる熱だなと思いながら、さとりは自然と笑みがこぼれた。
「あ、ゲームやったことなくてもさ、コミカライズあるから、今貸すわ」
「今!?」
カバンから出てきたのは、刀心都市の漫画。もちろん同人誌ではなく、公式のコミカライズ版である。
しかも三冊。
さすがに重くないだろうか。
「布教用、ですか?」
「いんや? いつでもイッチーが補給できるように」
そう言ってにっこり笑う。
「え、でも」
そんな精神の補給物資であるなら、なおのこと借りづらい。
「良いよ良いよ。アタシの心の中にいつでもイッチーがいるからね」
「じゃあ漫画持ち歩く必要なくね?」
今度のお団子の茶々はスルーされた。
ショートボブは自分の漫画をパラパラとめくって、はあっとため息をつく。
「ここのさあ……あ、やめとこ。ネタバレになる。読んだら語る」
貸すことは確定してしまっているらしい。
そもそも漫画を学校に持ってきて良かっただろうか。
これもまたグレーにしておいた方が良いことかもしれない。
「ちょい深川マジ頼むわ。こいつ隙あらば刀心の話しようとすんだけど、アタシら興味ないから」
「マジ助かるんだけど」
そう言ってロングが眉をひそめ、お団子がうんうんと何度もうなずいている。
「頼むわ。この寂しい女の話し相手になってやってくんね?」
「あ、はい」
思わずうなずいてしまったが、これでは『寂しい女』も肯定してしまっている。
はっと気づいたが、言われた当人は、
「っしゃー、やっと刀心語れるリア友きた! それはそうと誰が寂しい女っつった!?」
一拍遅れて気づいた様子。
しかしロングは斜め上を見上げ、お団子は耳をふさいでいる。
「まあいいや。よろしく、深川」
「はい、よろしくお願いします」
新たな友誼の印と言わんばかりに差し出される漫画三冊。
それを受け取る深川さとり。高校三年生。
最終学年の夏を前に、少し騒がしい友達ができた。




