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第79話 幕間 牛込さんのお店

 初めての街であっても変わらず、春の香りが鼻をくすぐる。


 横開きの扉を開けて中に入る。

 古さを感じるが清潔な店内は、出汁の匂いで満たされていた。

 冬と春を行ったり来たりするこの頃、店内は弱めの暖房設定のようだ。

 左手に小さな神棚があり、塩と炊いた米が供えられているのがちらりと見えた。

 

「いらっしゃいませー、空いてる席どうぞー、って!」


 元気良く迎え入れた店員は、何かに気付いて目を丸くした。

 

「深川ちゃんじゃん! 歌島姉と柳さんも! どうしたの?」


 同じブロックでスタッフをした牛込が、帽子ではなく三角巾とエプロンで固まっていた。

 

「うどん屋さんでどうしたもこうしたもあるかいな。食べに来たで」

「ほんとに来ると思わなかった! それもみんなで!」

 

 そう言う牛込は、とても嬉しそうだった。



 

「わー、本当にみんないるねえ。何にするー?」


 伝票片手の牛込が、フランクに注文を取りに来る。

 

「肉うどん!」

「そうですね、私はきつねうどんのセットで」

「あの、私も」

「肉うどんにきつねうどんセットがふたつね。あ、お水はセルフだからあそこからどうぞ。ごめんねー」


 水を取ってきた三人は、しばし店の印象や今日頼まなかったメニューについてとりとめのない会話をする。


「お待ちどう。先にきつねセットのおにぎりからね」

「ありがとうございます」

 

 おにぎりふたつに漬物。王道のおにぎりセットだ。

 

「あ、この漬物自家製で私が漬けてるんだ」

「え、すごいやん」

「んっ、おいし!」


 自慢げな牛込。早速箸でつまんだ柳が感想を口にする。

 

「おーい、漬物ストックが……って、あっ!」


 聞き覚えのある声。奥から出てきた男性は、さとりを見て声を上げた。

 

「?」


 誰だっただろうか。柳と由布子も少し怪訝な表情を見せる。

 

「あ、西2の……」

「そうそう。田橋。うちで雇ったんだ」


 あっけらかんと言う牛込。そういえば西2で参加者の悪口を言っていた男性スタッフだ。

 そういえば就職先だとかそんな話をしていたかもしれない。

 

「ん? どういうこと? 知り合い?」


 牛込からふたりへ、冬コミからの経緯が語られた。恥ずかしくなったのか、当の田橋は厨房へと戻っていった。

 あんなに雑に勧誘されたにも関わらず素直に面接に来るあたり、根は真面目なのかもしれない。 

 

「へえー、そんなことがねえ」

「こっちは人手不足だったし、向こうは職にありつけるし一石二鳥ってわけ。ちなみにこのおにぎり握ったのはあいつね」


 そう言っておにぎりセットのふたつのおにぎりを指さす。綺麗な三角形になっていて、商品として違和感がない。


「そういえば旦那さんとふたりでお店やってたんだっけ」

「うん。だから休憩なくてさ。人手が増えたら思いっきり昼寝するんだってずっと言ってて、念願叶って今寝てる。さっき上がったとこだから今寝始めたとこじゃないかな」

「大変ですね……」 

「まあ好きでやってるからね」 


 手打ちうどんは牛込の旦那さんの手打ち、おにぎりは牛込と田橋の手作りで、田橋は茹でと盛り付けも任されているらしい。 

 

「やってる?」

「やってますよー、空いてるお席どうぞ!」

「いらっしゃいませー!」


 厨房から威勢の良い声が聞こえる。コミケスタッフの声の出し方だ、と何となく思う。

 

「あの人馴染んでんなあ」

「でしょ? 自分みたいな奴の茹でたうどんとか握ったおにぎりを、みんなが食べるのが楽しいんだってさ」

「何やそれ」


 よくわからないが、四人で顔を見合わせて笑う。楽しみ方は人それぞれということなのだろう。スタッフも、仕事も。


「3番さんうどん持ってけるかー?」

「はーい!」


 忙しそうではあるが、隙を見てさとりたちのテーブルにやって来る。

 

「で、今日はどうしたの?」

「牛込さんの働きぶりを見たいて、さとりちゃんが」

「「えっ」」


 さとりと牛込の声が綺麗にそろった。

 

「嘘嘘。私が誘てん」


 だろうねえと牛込が苦笑いを見せる。

 

「私たちも食べてみたかったですし」

「そっかー、嬉しいなあ。昼のピークも過ぎたし、ゆっくりしてってよ」


 そう言い残すと、牛込は食べ終わったお客さんの会計に向かって行った。


「そういや柳さん、サークルの申し込みはしたん?」

「ええ。配置的には3日目になりそうで」

「そっかー、大丈夫大丈夫。サークル優先してや」

「すみません」


 柳のジャンルまでは聞いていないが、最終日とは思わなかった。

 恐らくいつもの傾向と同じく最終日が一番混雑するはずだ。

 そして、自分に任された使命を思い出して気が重くなる。


「さとりちゃん、朝はお手伝いに行くからね」

「はい、嬉しいです」


 上手く笑えただろうか。

 夏を思うとどうしても不安が勝る。


 ふと視線を感じて、あたりを見回す。

 隣のテーブルからお爺さんが覗き込んでいた。どうやら漬物を見ているようだが、由布子も柳も、牛込すらも何も言わない。

 どう見ても人なのだが、異形側なのだろうか。

 そういえば、と入ってすぐ見た神棚を思い出す。もしかして……


「あの、牛込さん」

「はーい、どうしたの? おかわり?」

「判断が早すぎるやろ、うどんまだやのに」

「あはは。で、どしたの?」


 ちらりとお爺さんに目をやる。

 やはり誰も反応しない。

 

「あの、神棚なんですけど」

「ん? うん。どしたの?」

「お漬物もお供えしてみてはどうでしょうか。あの、美味しいので」

「漬物? ご飯と塩だけじゃなくて?」


 唐突な提案に首を傾げる牛込。

 しかし隣では柳も頷いている。

 

「確かに、こんなに美味しいお漬物をいただいてるのに、塩だけだと気の毒に思いますね」

「え、何なん。そんな美味しいん? 牛込さん、今からセットにできる?」

「いいよー。おーい、肉うどんセットに変更したからおにぎり出してー!」

 

 牛込のよく通る声に、厨房から「はいよ」と返事があった。

 

「うーん、そっか。お漬物かあ」


 ぶつぶつ言いながら醤油皿に数切れの漬物が乗せられる。

 

「お待ちどおさま」


 早速お漬物がお供えされる。神棚がやや手狭になったが、大丈夫だろう。

 お爺さんが喜色満面にさとりを見た。どうやら正解だったらしい。


「良かったですね」

「ん?」

「いえ、何でもないです」

 

 それからほどなくしてうどんが用意され、三人で「いただきます」と手を合わせる。

 そういえばコミマでは忙しそうにしている由布子と一緒にお昼を食べたことがなかった。

 スタッフ仲間の店で、スタッフ仲間とうどんを食べる。少し前には思いもよらなかった。

 温かいうどんで、身も心も温かい。

 

 


 出汁の香りを最後まで味わうと、ふたりを待たせていたさとりが箸を置く。

 牛込はごゆっくりと言っていたが、思った以上に客足がある。

 

「五人いけますかー?」

「いらっしゃいませー、奥の席どうぞ」

「三人です」

「はーい、空いてる席どうぞ」


 ピークを過ぎた時間ではあるが、だからこそ休みなく営業しているこの店に客が集まるのかもしれない。

 

「なんか忙しくなってきちゃったね」

「ほなそろそろ行こか。ちょっと待ってな」


 由布子はポーチからリップを取り出すと、慣れた手つきで唇に塗る。

 塗ってすぐだからわかるが、色付きのように見える。

 

「あ、歌島さんのそのリップ可愛い。カラー?」

「ふふん、せやで。色味が自然やのにパッと華やかになる感じがあってお気に入りやねん」

「へえー!」


 柳がキラキラした目でリップを手に取って見ている。大人の会話だと思いながらさとりは残りのお水を飲み干した。

 

「あ、せや。これお近づきの印にふたりにあげるわ!」

「えっ!?」


 ポーチをごそごそ探ると、未開封のリップをふたつテーブルに置いた。

 

「お近づきの印って、もうだいぶ近づいてません?」

「ほしたら密着の印に!」


 由布子は押し付けるようにしてさとりに手渡した。

 いつも使う保湿リップとは違う、鮮やかで可愛らしい色のパッケージ。

 

「あの、こんなのいただけません」

「ふっふっふ、何を隠そう、こちら弊社の製品でな、社割で買えるんよ!」

「えっ、でも」

「まあまあ、宣伝やと思って貰たって。こっちは柳さんな!」


 いつものように勢いで押し切られる。それは柳も同じようだ。

 

「えっ、本当に? あ、ありがとうございます」


 ほとんど押し付けられたようにして手渡されていたが、さすがにそこまでいくと返すこともできないらしい。

 素直に鞄にしまってお礼を言った。


 

 

 

「わざわざ来てくれたのに、相手できなくてごめんね。いつもはもうちょっと暇なんだけど」


 代金を受け取りながら、申し訳なさそうにする牛込だったが、由布子は明るく笑い飛ばす。

 

「かまへんかまへん。仕事中やねんし、繁盛すんのはええことやがな。それに目的のうどんは果たせたし」

「ごちそうさまでした。お漬物、美味しかったです」


 勘定分をぴったり渡す。改めて混み合う店内を見ると、あのお爺さんと目が合った気がした。

 軽く会釈をすると、お爺さんはゆっくりと頭を下げた。

 

「ありがとうございましたー。良かったらまた来てね」

 

 牛込に見送られ、店を後にする。

 また少しひんやりする空気が、うどんで温まった身体に心地良い。

 あのお爺さんは何だったのだろうか。悪いものではなさそうだったが。


(まあ、いいか)


 あちら側のことは、あまり気にしても仕方がない。自分にできることなどほとんどないのだから。

 

「あー、美味しかった」

「お漬物、確かに美味しかったなあ。単品持ち帰りしたかったわ」


 柳と由布子は楽しそうに笑っている。

 確かにうどんもそうだが牛込の漬物はかなり美味しかった。

 

「コミマに持ってきてもらったら良いんじゃないですか?」

「コミマに漬物ー?」

 

 明るく笑う声が柏の空に吸い込まれる。

 会場の外で仲間と会うのも楽しいなとさとりは思うのだった。

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