第77話 幕間 由布子来社
都内でも有数の大きな神社である深川天満宮は、遠方からも初詣客が押し寄せる。またそれを目当てに並ぶ屋台が参道の両脇に立ち並び、さらなる賑わいを呼び寄せる。
境内は表参道から拝殿を参拝し裏参道に抜ける順路が定められてはいるが、撫で牛や境内社へ寄る人も多く、例年人の流れはかなり混沌としている。
そんな深川天満宮に、ひとりの関西人が現れた。
待ち合わせの鳥居に身を寄せ、通行の妨げにならないよう気を配る。
「はー、こらまたえらい混雑やな。初詣の混雑はどこも一緒か……」
冬コミで西1ホール『やゆよ』ブロックのブロック長であった歌島由布子である。
その姿を見つけた深川さとりは、人の流れを縫って由布子の元へとたどり着いた。
「おめでとうございます、ユウさん」
「明けましておめでとうさん。3日ぶりやな」
「ふふっ、そうですね」
いつもの調子で明るく笑う由布子に、なぜだかほっとする。
「あの、コタくんは」
「バイト。年始は時給ええから短期でガンガン稼ぐんやと。元気やな」
会えなかったのは少し残念だが、そういう事情なら仕方ない。そういえば鞄いっぱいに同人誌を買っていた。きっととんでもない額のはずだ。
「先にお参りさしてもらうわ」
「あ、じゃあご案内します……ちょっと大変ですけど」
人の量こそ多いが、拝殿に向かうだけならば流れがあるためそう苦労はない。コミマと違い大きな荷物を持つ人も少ない。
「さすが初詣は人が多いなあ」
「このあたりでは一番大きな神社ですから」
「へえー、ええとこのお嬢さんやったんやねえ。だから大門さんも『お嬢』言うてたんか」
「あれは……本当に小さい頃の呼ばれ方なんで、少し恥ずかしいです。ふふ」
昔は初詣の警備も大門が来てくれていた。今日もどこかの初詣で警備をしているのかもしれない。
「あれは?」
「『撫で牛』ですね。頭を撫でると学問のご利益があると言われているんです。他にも、自分の悪いところを撫でると病気が良くなるという話もあって」
ちょうど人の間から、牛の姿が見えた。
由布子も興味深そうに覗いている。
「みんな撫でるから頭がピカピカなんですよ」
「ははっ、ほんまやな!」
ストレートな反応が嬉しい。
意外と人が並んでいるので、撫でてもらうのは後の時間のほうが良さそうだ。
「なんでまた牛なん?」
「昔、菅原道真公……あ、祀られている天神様ですけど、その方のご遺体を運ぶ途中、牛が座り込んでしまって、その場所が九州の太宰府天満宮になったという伝承があるんです。あと道真公が丑年生まれということもあって、牛とご縁があるんですよ」
「なるほどなあ」
由布子は行列を見ながら頷いた。
少し人の流れから外れ、枝だけの木が立ち並んだ場所でひと息つく。
木の種類を見極めようと、枝に目を凝らす由布子。
「これ全部梅なんです。さすがにまだ咲いてないですけど」
季節になればここも見物客が絶えることはないのだが、さすがに初春の頃は花はなく人の姿もない。
「へえー、梅かあ。これも由来がある感じなん?」
「はい。道真公は梅が好きだったんです。道真公が太宰府へ左遷される時に、京都の邸宅の梅に別れを告げて詠んだ歌『東風吹かば』の歌も有名で……」
そこまで言って、はっと言葉を止める。
「あっ、ごめんなさい」
相手がどこまで知りたいかわからないのに、一気に喋りすぎたような気がして、恥ずかしくなる。
子供の頃、それで失敗した思い出が頭をよぎった。
だが由布子は不思議そうな表情で首を傾げる。
「え? 続きは?」
「あっ、はい。えっと、その梅の木がひと晩で京都から太宰府まで飛んできた「飛梅伝説」という逸話があって……」
由布子は最後までふんふんと頷きながら話を聞き、枝だけの梅を見て感心していた。
「すみません、長々話しちゃって」
「いやいや。面白かったで。教えてくれてありがとうな。あんまり意識したことなかったけど、ちゃんと理由があるんやなあ」
枝を見る目が細められる。
「さとりちゃん、やっぱりこの神社が好きなんやね」
「えっ」
「ええ意味で、オタクが好きなもんを語るときの顔やったよ。ええ意味で」
なぜ繰り返したかはともかく、由布子が言うのならそうなのだろうと思える。
そうか、やっぱり自分はこの場所が好きなのだ。
「お邪魔しますー」
深川家に上がった由布子は、案内されたさとりの部屋を穏やかな顔で見回した。
純和風の外観とは裏腹に、フローリングの洋室にベッド、学習机に本棚。
「あ、あまり見られると……」
「あっ、ごめんごめん」
さすがに遠慮がなさすぎたと由布子が謝る。由布子自身も年下の同性の部屋に入った記憶はない。つい見てしまうのも仕方のないことだ。
「座って休んでいてください。飲み物持ってきますね」
「いやいや、お構いなく」
「すぐなので大丈夫ですよ」
さとりもまた、知り合いが家に来る、ましてや自分の部屋に他人が入るのは初めてだった。
どういうわけか緊張してしまう。
「どうぞ」
「わー、ありがとう。いただきます」
少しぬるめに入れたお茶をちびりと口にした由布子は、スッと表情を引き締め、正面からさとりを見た。
「ほんで。これから話することやけど、無理強いはせんし、言いたくなかったら言わんでもええ」
「はい」
由布子らしい心遣いだと思う。真っ直ぐな人だけど、自分勝手ではない。
「私が知っておくべきことは、何やろ?」
彼女と過ごした日数こそコミマ3回分と拡大集会。ようやく二桁ほど。
でも、この人は信用できるし、また信用してくれているのもわかる。
「私は『みえ』るんです」
だから、話しても良いと思えた。
この世のものではないものが『みえ』ること。
それは本に出てくるような妖怪のようであり、幽霊のようであり、なるべく避けてきたこと。
でもどうしても目に入るそれらが気になって、失敗を繰り返したこと。
コミマで出会った不思議な巨牛と不吉な予言のこと。
九条とは秘密を共有していることも。
「なるほどな」
由布子は表情を崩さず、ゆっくりお茶を口にした。さとりの胸はまだ高鳴り、ほとんど誰にも話さなかった秘密がどう受け取られるのか不安で仕方がない。
「信じてくれるんですか」
「今更やん。ほんで、次の夏コミやんな」
「えっ」
大した反応も見せず、淡々と次の話題に移ろうとする由布子に、思わず声が出た。
「あの、気持ち悪く、ないんですか」
「ん? 何が?」
首を傾げ、本当にわからないといった様子。
「私、変なものが、見える、ので……私のこと、気持ち悪いって、思わないんですか」
「は?」
驚きと困惑が混じった気の抜けた声がした。
そんな由布子を見て、今度はさとりが困惑する。
「え、どういうこと? 何か見えるんは薄々知っとったし、さとりちゃんはいつも可愛いで」
「かっ!?」
思わず声が出た。
「可愛いで。見た目も中身も」
そんなさとりに、事もなげに追い打ちをかける。
「だいたい人によって見え方なんか違うもんなんやから、しゃあないやん。小太郎はメガネかけとるし。似たようなもんやろ。ほんでや。夏コミや」
「えっ、あ、はい……」
近視と同じ扱いで良いはずはないのだが、何となく勢いで押し切られてしまった。
「またさとりちゃんは、地区本部主導で動くんやろか」
「多分、そうなるかと思います」
「そこでさとりちゃんは具体的に何するんやろか」
「多分冬コミと同じで、入場の監視と西全体の巡回だと思います」
「監視、巡回……」
由布子は腕を組み、目を閉じた。
沈黙。
会話が途切れると、外の喧騒がじわりと耳に届く。
初詣のにぎわいから切り離されたさとりの部屋で、由布子は静かに頷いた。
「私は」
さとりの目を真っ直ぐ見て、言葉を切る。
「前にも言うた通り、さとりちゃんを拘束するつもりはないし、好きにさしたろ思うとる。でも、業務的には地区本部に登録した方がええような気もする」
「あの、私は『やゆよ』が良いです」
さとりは自分でも驚くほどはっきりと、思いを言葉にした。
由布子にとっても意外だったのだろう。目を丸くしてさとりのことを見ている。
「冬コミで3日目に巡回を終えて、帰ってきて『おかえり』って言われたのが、嬉しくて、だから」
伝えるべきときに、相手に伝える。それをさとりに教えたのは、他ならぬ由布子だ。
「でも、ユウさんにお手間をかけるなら、地区でも良いです……」
「面倒ではないよ。私もさとりちゃんに同じブロックにいて欲しいと思っとるし」
由布子がようやく笑顔を見せた。
いつもの雰囲気に、ほっと安心する。この人の作る空気があるから、また『やゆよ』に帰ってきたい。
「うん、ほなら大塚さんにもよう言うとくわ……そんな心配そうな顔せんでも大丈夫大丈夫。盗撮犯も窃盗犯も捕まえて、壁面投影プロジェクトも発案したような優秀で大事な仲間を、やすやす他に出すかいな」
改めて言葉にされてみると、積み上げてきたものが本当に自分のしたことなのかと思ってしまう。
だがひとつひとつが紛れもなく、スタッフ仲間と成し得たことだ。
「ありがとう、ございます」
くすぐったいような気持ちを抑えながら、お礼を伝える。
何となく照れくさい空気だったが、少し遠くから大きめの電子音が差し込んできた。
「ん? ご飯炊いとったん?」
冗談のように言うが、当たりだった。
「あ、はい。隣の部屋が台所だから、よく聞こえるんです。繁忙の時は、神社の皆さんのお昼ご飯に、おにぎりを作るんです」
「へえー、ええやん。あ、ほなら時間ずらした方が良かったか」
「あ、いえ。なかったら直接よそってご飯を食べる人も多いので」
「いや、せやかて」
文字通りお邪魔してしまっている事実を知り、由布子が慌てていると、控えめなノックが聞こえた。
「はい」
「さとり、お客様か」
「お、お父さん」
さとりがドアを開けると、白髪混じりの壮年の男性が立っていた。




