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第9話 C97冬 1日目 九条

「何したはるん」


 ビッグサイトの床よりも冷たい声。

 さとりは反射的に体を固くし、その声の持ち主を見る。

 

「……せっかくサークルさんがこしらえはった本を、どないしはんの」


 切れ長の目、色白の肌、艶やかな黒髪は眉毛の上で真っ直ぐ切り揃えられ、後ろのポニーテールはとても長い。

 落ち着いた紫色に白い椿があしらわれている着物が、場違いなほどの存在感を際立たせる。

 曲げた指を口に当てたまま、鋭い目でさとりを射抜く。


「あ、あの、私……」


 強い声そのものに圧力があるように感じる。

 それが自分に向けられているものだと思うと、思考が空回りする。


 あわあわするさとりの横から、大げさなため息が聞こえてきた。

 

「そない言うんなら、ちょっとぐらい拾うん手伝うてんか、九条」


 九条と呼ばれた和服美人は黙って足元にあった一冊を拾い上げる。

 

「ああ、歌島はんのとこの。そら教える人が雑やとこうなりますわな」

「やかましい女やな。まあ今回は私が声かけたタイミングが悪いせいで起きた事故や」


 違う。

 自分が足元の異形を避けそこねただけだ。

 だから、由布子が責められるのは全く筋が違う。

 

「いえあの、由布子さんは何も悪くないです。全部私が」


 足元にいた何かのせいにはできない。

 そんなことを言ってしまえばもうここに居られなくなる。

 あるいは、奇異の目で見られ、腫れ物扱いになる。

 せっかくほんの少しだけ自分のできそうなことを見つけたというのに。


「私が、勝手に……」

「ちゃいますやろ」

「えっ」


 その九条の小さな声は、恐らくさとりにしか届かなかっただろう。

 さとりははっと顔を上げると、九条の人差し指が眉間に突き付けられる。

 そして、ほんの少しだけ指先が触れる。


「えっ」


 その瞬間、体験したことのない感覚がさとりに降りかかった。

 指先が触れた場所から、生ぬるいべとべとした油が広がっていくような不快感。

 まともに言葉を出せないどころか、息もできない。

 体が動かない。

 何も聞こえない。

 ただ無表情に自分に指を突き付ける九条。

 恐怖。

 体中の力が抜けそうになったとき、不意に五感が戻ってきた。


「つあっ!」

「さとりちゃん!?」

 

 ふらついたさとりを慌てて支える。

 

「どないしたんや急に」

「いえあの、この方が……」

「九条がどないかしたんか?」


 まるで何も見ていなかったかのように、心底不思議そうな顔をする。

 さっきまで額に指を突き付けられていたはず。

 由布子の言葉に答えられないでいると、着物美人が曲げた指を口に当てたまま、


「『或れ』憑きとは違うか……」


 と小さくつぶやき、目を細めていた。

 ふっと息を吐くと、由布子に聞こえるよう大げさに声を出す。

 

「ちゃんと朝ご飯食べはったん? ブロック長が雑やと忘れられてしもたかもしれまへんねえ」

「食べさしとるわアホ」

「あ、あの」

 

 険悪な雰囲気になりかけたと感じ、さとりが声を上げる。

 スタッフ同士で言い合いをするのは良くない。

 表情を硬くするさとりを見て、九条はふっと息をついた。

 

「『らりる』ブロックの九条、言います。もうちょっと気ぃつけなはれや」

「えっと、私『やゆよ』ブロックの」

「深川さんやね。知っとるよ。若い新人さんが入りはったて。まあせいぜいお気張りやす」

「えっ、と……」

 

 先ほど指を突き付けられた時の威圧感は全くない。別人、もしくは自分が見た幻覚だったのではないかと思ってしまう。

 ただ額に残るジクジクした感覚は嘘ではないと思う。

 助けを求めるように由布子を見ると、ニヤリと笑った。

 

「すました顔しとるけど、こいつアホやで」

「……アホとちゃうよ」

 

 こめかみが少し動いたような気がするが、表情を崩さない九条。

 由布子はからかっているのか、少し大きめの声を出す。


「なんか京都人ですーて顔しとるけど、ハーフ大阪人やから」

「何べんも言うてるけど、それほんまやめよし」

「うるさいな。自分のおかん大阪人やろ」


 こめかみに手を当て、辛うじて表情を保つ九条。

 感情を抑えようとしているように見える。


「そんでな、一生懸命京ことば使うて京都人を演じとるわけや」

「演じてへんわ。やめえや」


 ついに由布子をキッと睨みつける。

 なんとなくふたりの関係性が分かってきたが、雰囲気はあまり良くない。

 少なくともイベント会場の通路の真ん中でするような話ではない。

 ただ息はぴったり合っているし、お互い口の端が上がっていて笑っているようにも見える。

 

「な、仲が良いんですね」

「嫌や。やめて」

「やめえ」


 一部声が重なったが、露骨に嫌そうな顔をしたのは九条だった。

 

「……何でおまはんが嫌がるん」

「だって自分、全然友好的ちゃうやん。仲良うする気ないやろ」

「そらわてのセリフどす」


 どちらの言い分も分からなくはないが、由布子のブロックにいるせいだろうか。どちらかと言えば由布子の方が正しいように感じる。

 もっとも、さとりの感覚からすると、由布子のからかうような態度も良くないと感じるが。

 

「えっと、その、何だか漫才みたいですね」


 先ほどの奇妙な感覚はまだ残っているが、押し込めて笑って見せる。

 ぎこちなかったかもしれないが、ひとまず九条には伝わったようだ。小さくため息をついて、拾い上げてから持ったままだった本を差し出してくる。

 

「何なんや。失礼な子やな」

「あ、ありがとうございます」


 本に対してのお礼だったのだが、会話としては変な返事になってしまった。

 気にしているのはさとりだけで、ブロック長ふたりはさして気にしていないようだが。

 

「しゃあないやん。ハーフ大阪人やねんから。漫才ぐらいできるやろ」

「ちゃう言うてますやろ。もうよろし。付きおうてられん」


 着物美人はため息だけを残して、隣の『らりる』ブロックへと戻っていった。

 

「そのセリフも漫才の締めやん……」


 聞こえない程度の声でぼそりとツッコミが聞こえる。

 何となくその着物美人の姿を目で追っていると、ふらりと足元に巨大な綿毛のようなものがふらふらと転がり出てきた。

 きっと何事もなくすり抜けるのだろうと思っていると、着物美人は少々勢いをつけ、足を振った。


「えっ」

 

 音こそしないが、奥に見えるシャッターの方へと飛んでいく綿毛。

 九条は一瞥もくれず、しゃなりしゃなりとブロックを巡回する。


「けっ……た?」

「ん?」

「あ、いえ。あの、何でもないです。見間違いでした」


 意味が分からず首をかしげる由布子に、さとりは曖昧に笑って見せた。

 変なことを言って戸惑わせるわけにはいかない。せっかくこんな自分と仲良くしてくれそうなのに。

 息を整えて、重いかばんをかけ直す。

 そして九条はそっと振り返り、ホール本部へと去って行くさとりの後姿を横目で見ていた。



 

 本部に見本誌を置き、軽くなったかばんの中に何も残っていないか確認する。


「えっと、先程の方は……」

「隣の『らりる』ブロックのブロック長の九条な」

「ブロック長さんなんですね」


 探そうと思えばすぐ見つかる。そもそも和装をしているような人がいない。

 九条は少し遠くで、ブロック員と何やら話しているようだ。

 その表情は柔らかく、先程の鋭い雰囲気はどこにもない。

 

「私以外には基本優しいから、そんな怖がらんでええで」

「そう、なんですか?」

「そうやで。まあいじる私が悪いからあんまり気にせんとって」


 どうやら分かってやっていたらしい。

 どう答えて良いか分からず、さとりは曖昧に笑って見せた。

 

 それにしても。

 さとりはまだ少しうずく感じのある額に手を当てる。

 あの感覚は何だったのか、全く分からない。それに、触ることができないはずの異形を蹴飛ばした。

 隣のブロックである以上難しいかもしれないが、あまり近づかない方が良いかもしれない。

 

「……京都の方なんですね」

「そうや。珍しいやろ。私と違うて京都在住やねんけど、わざわざスタッフしに上京しとんねんで」

「普段は、何をなさっているんでしょうか」

「さあ。お休みは割と取れるみたいやな。土日の拡大集会にもちゃんと出てくるし。毎回新幹線やで。金持ってんなあ」


 あまり個人情報を聞くのは良くないだろうか。

 ふと、視界に人の姿が映る。

 どこか存在感の薄い、良く見ても少しだけ透けている人の姿。

 

(幽霊の人だ……)


 目を合わせないようにして、少し下を向く。

 妖怪のような異形の他にも色々と集まっているらしい。

 サークル入場で一気に人が増えてから、人でないものも比例して増えている。

 開場後はこの間の夏コミのように大勢の人であふれかえるはずだが、その時はどうなってしまうのだろう。

 少しの不安を胸に抱きながら、さとりは再び見本誌回収の巡回へと動き出した。

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