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第8話 C97冬 1日目 受付と失敗

 机の前に立ったさとりの気配を察したのか、サークルの女性が顔を上げた。

 サークル名は『ういろう大好き』とある。

 

「おっ、おはようございます!」

「はい、お、おはようございます」

 

 優しそうな女性は、さとりのただならぬ気配に何かあったかと少し身構えている。

 

「見本誌カード……じゃない。参加登録カードと、見本誌の確認、いや、ええと、回収です!」

「んふふっ。はい、ちょっと待ってくださいね。今出しますので」


 ちらりとスタッフ証の若葉マークに目をやると、事情を察したサークルの女性は緊張を解いてうなずいた。

 由布子がこっそりとOKのサインを出す。今のところは大丈夫らしい。


「ではお願いします」

 

 そう言って差し出される二冊の見本誌と参加登録カード。

 

「はい、では確認します」


 さとりが見たことのないキャラが描かれた表紙だが、それも当然のこと。今日の西ホールには創作ジャンル、つまりオリジナル作品を出すサークルが配置されている。

 洋風の王子様キャラが凛々しくたたずみ、ヒロインと思われる女性の横顔が描かれている。

 表紙からシリアスな恋愛ものだと伝わってくる。

 さとりは意を決して、最初のページを開いた。

 

「コミマで初めて頒布されるのはこの本だけですか?」

「ええ、そうです」

「わかりました。他のサークルさんからの委託なんかは……なさそうですね」

「ええ、ありません」


 隣で由布子がフォローする中、さとりは見本誌にくぎ付けになっていた。

 ひとつひとつのページを丁寧にめくり、すべてのコマに目を通している。

 

「さとりちゃん、そんな読み込まんでも大丈夫やで」


 表紙に成年向けの表記もないし、このサークルの頒布物はすべて全年齢向けであることは確認済みだ。さらりと中を見て、奥付と見本誌シールを確認すればすぐに終わる。

 由布子は止めるべきかとも悩んだが、たっぷり余裕がある時間帯ということもあり好きにさせることにした。

 

 やがて最後のページまでたどり着いたさとりだったが、確認事項は忘れていなかったらしい。きっちり奥付と見本誌シールを確認している。

 すべての確認を終えたさとりは、大きく息をついた。

 

「ありがとうございます……」

「なんでやねん」


 たまらず由布子がツッコミを入れた。

 これではただの読者だ。


「そうでした。えっと、異常ありませんでしたので」

「異常ちゃう、問題や」

「あっ、問題ありませんでした!」

「ふふっ」

 

 初々しい若いスタッフの様子を好意的に見てくれているようだ。

 奥付には、著者の名前は『みまみま』とある。

 年は由布子と同じぐらいだろうか。

 

 そうだ、とさとりは思い出す。

 感想を伝えなければ。

 

「あの……表紙がすっごく格好良いです」

「え? あ、どうもありがとうございます」


 会話が途切れてしまった。

 まだ足りないだろうか。


「あの、戦うシーンも迫力があって、ドキドキしてしまって、その、さ、最後主人公がピンチになって、姫の祈るシーンで終わって……これからどうなるかとても気になります!」


 ひと息に感想を伝えると大きく息を吐いた。

 面食らっているみまみま。当然だろう。見本誌を読んだスタッフが突然本気で感想を語りだしたのだから。

 

「えっと……」


 どうしたものかとみまみまが由布子を見る。

 

「あんな、さとりちゃん。作者の人に感想を伝える……それはとっても良いことやし、さっき私もやっててんけど、がっつり話し込んでまうと終わらへんのよ……」

「あっ、そ、そうですよね。すみません……」


 しょんぼりするさとりに、由布子が笑う。

 

「んふふ。ええんよ。一応しっかりストーリーを読むんやなくて、中身の表現が大丈夫か確認する場やからね」

「はい。それは大丈夫だと思います。えっと、シールも奥付も大丈夫です」

「ん、了解。ほなら……」

 

 改めて業務に戻るよう、目で促す。

 さすがにさとりも居住まいを正しサークルに向き合う。

 みまみまは色々と察したのか、小さく笑ってこちらも居住まいを正してくれる。


「こ、これで受付完了です! 今日一日よろしくお願いします!」

「はい。よろしくお願いします。それと、感想もありがとうございました」

 

 みまみまの友好的で温かい笑顔が返ってきた。

 

「いえあの、がっ、頑張ってください!」

「はい。スタッフさんも」

 

 何気ない挨拶。

 だがそれは、新人スタッフであるさとりにとって少しだけ自信を持てるようになる魔法の言葉だった。


 


 数歩サークルから離れ、息をつく。

 

「ふう」

「うん、問題なしやな。大丈夫大丈夫。ちょっとだけ時間が長かっただけや」

「あ、ありがとうございます」


 とりあえず失敗はなかったようだ。

 時間については見本誌のチェックを言われているのだろう。

 

「うーん、まあ、ちょっと手ぇ抜かんと後半追いつかんようになるから、今回ぐらい中身確認するのは時間があるときにしよな。あとは数を重ねたらすぐに慣れるわ」

「はい……」


 チェックすべきところを思い出す。

 公式のロゴ、漫画やアニメの画像を取り込んだもの。権利を侵害するようなものは要注意だが、そういったものはとても珍しいという。

 主にスタッフが確認しているのは、成年向けの頒布物。その修正。

 まだ年齢の達していないさとりには確認できないものだった。

 今日はジャンル的にそういったものはないらしい。であればもっと早く確認が済むそうだ。


「サークルさんも準備せなあかんからね。スタッフが長居するんはどっちかというと良くはないと思うといて」


 とはいえ、中身を『確認』することは悪いことではない、と笑って付け加える。

 

「気に入ったんやったら、あとで休憩時間に買いに来たらええよ」

「わ、分かりました」


 なるほど、相手は準備時間。その時間を割いて見本誌や参加登録の対応をしてくれている。

 あまり無駄にはできない。

 

「よし、ほなら次のスペース、aは私がやるからbはさとりちゃんが見てくれるか」

「は、はい!」


 由布子が示す机では、すでにふたつのサークルが準備を進めている。

 なるほど、ひとつのサークルに時間をかけている間に、こうしてどんどん出席サークルが増えていくということなのだろう。


「よっしゃ、ほなら行こか」

「はい!」

 

 

 

 ふたつ、みっつ。順調に受付は進んでいく。

 由布子とふたりでひとつのサークルを手分けすることもあれば、由布子の隣でひとり受付をすることもあった。

 これまで大きな間違いはないようだ。

 黒ペンで書かれているべき署名の青ペンを見逃しかけたり、見本誌シールの頒布価格が空欄のまま終わりかけたりといった軽微な見落としはあったのだが、そういうミスが存在すると知ってからはもう見落としはしなかった。

 由布子はさとりの飲み込みの早さに感心しつつ、新人としては『当たり』のスタッフをブロックに引っ張って来れたことを内心喜んでいた。


「んー、ぼちぼち半分ぐらいか」

「つ、疲れました……」


 見本誌回収のバッグがずっしりと重い。

 数十冊の同人誌、つまり数百枚の紙の束が入っているようなものだ。軽いわけがない。

 

「ああ、本もたまってきたし、いっぺん本部に置きに行こか」


 足元の草の塊を視界に入れないようにしながら、さとりはうなずいた。


 人が増えてきたせいもあるのだろう。

 人以外の物の姿もちらほら見かけるようになってきた。

 天井近くにも何かが漂っているようだが、目を向けたりはしない。


「緊張した? それとも本重たい?」

「あっ、いえ。その、なんというか」


 会話するふたりの横を、二足歩行の狐が通り過ぎる。

 普通の狐の大きさだ。コスプレなどではない。それにしても軽い足取りで楽しそうだ。

 かなりの存在感だと思うが、周囲の参加者は気にも留めていない。

 見えていないのだ。


「さとりちゃん?」

 

 由布子の視線を感じ、慌てて取り繕う。


「重いのは重いんですけど、これ全部誰かが描いたものなんだなって思うと」

「あー、分かるわ。本屋の本も誰かが描いたもんやけど、同人誌はなんかちょっとちゃうよね」


 納得してもらえたようだ。

 

「はい。ここにある本全部、プロじゃない普通の人が描いて、本にしたんですよね」

「まあ、たまにプロも混じってるけど、概ねそうやな」

「こんな形になるって本当に、すごいです」

「ふふ、すごいやろ」


 遠くに背の高い入道がのそのそ歩いているのが見えた。落ち着かない。

 これほど人がいれば『見えて』いる人もいそうなものだが。

 

「すごいと言えば、さとりちゃんもやで」

「えっ、はい?」


 またぼんやりしていた。

 あまりキョロキョロしていると不審に思われるかもしれない。

 幸い悪さをするような物はいなさそうだ。ここではスタッフ業務に集中しないと。

 

「こんなにすんなり業務覚えられるなんて、向いてるんちゃうか?」

「いえ、そんな……私、ほんとダメで……」


 いつも言われていることだ。

 何をさせてもだめだと思われている。

 期待されていない。

 何も上手くいかない。

 ここで褒められるのも今だけ。

 そのうちすぐに……


「あっ!」

 

 考え事していて足元を見ていなかった。

 なぜか通路の真ん中にいた、目がたくさんついている提灯。

 無理な体勢でよけようとしたさとりは、体勢を崩して転倒した。

 

「さとりちゃん!」


 会場のコンクリートの床は冷たさとともに、やってしまったことを実感する。


「あっ、本……」


 バッグから飛び出し、床に散らばった本。

 サークルの人たちが身を削って作り出したそれを、床にぶちまけた。

 彼女らの努力を放り出してしまったという罪悪感が、重くのしかかる。


「……あの、スタッフさん、大丈夫ですか」


 優しい声だった。

 さとりが顔を上げると、知らない人がふたり、見本誌を手に取っていた。

 

「本、どうぞ」

「大丈夫?」

「見本誌運ぶの大変ですよね。同人誌重たいですし」


 さとりのことをフォローするように、ふたりは飛び出した本を集めてくれた。

 

「あ、すんません、ありがとうございます」


 とっさに言葉が出てこないさとりに代わって、由布子が頭を下げて本を受け取る。

 さとりが無事なのを見届けると、そのふたりはどこかへ去って行った。

 

「さとりちゃん、怪我ないか?」

「あっ、あの……」


 失敗だった。

 失敗だったのに。

 誰も責めない。

 どうして。


「ごめんな、私が変なタイミングで話しかけてもうたから……」

「いえ、違うんです。私が……」


 悪いんです。

 そう続けようとした瞬間、


「何したはるん」

 

 冷たい声に遮られた。


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