閑話 ポエとさとりのお見送り
ポエこと百々詩音は、閉会のアナウンスを聞きながら心地良い達成感に包まれていた。
何度も巡回し、すっかり顔なじみになったサークルたち。ひとときの仲間と同じ時間を過ごせた感謝を拍手に変えながら、最後にひと回りサークルを見て歩く。
このやりきった時間帯に緊張の糸がゆるみ、急な体調不良や窃盗事件が起こらないとも限らない。
「ポエさんお疲れ様です!」
「お疲れ様」
今日の『むめも』ブロックのジャンルは、ホール全体がそうであるため男性向けのサークルが配置されている。
「撤収のご協力をお願いしまーす」
だがポエにとってはジャンルなど些事でしかなく『むめも』ブロックに配置されたサークルが今日一日を楽しみ、そしてそれを手伝えたかどうかの方が重要であった。
「あっポエさん。ありがとうございました」
閉会後のブロックを見て回っていると、次々に声をかけられる。
「今日は楽しめましたか?」
「はい、それはもう! 頒布もまあまあでしたし」
「それは良かったです。あ、元気があったら撤収のお手伝いよろしくお願いしますね」
「了解です!」
その返事で、サークルの男性の元気はまだ残っていそうに思える。
ひと通り『むめも』ブロックを見て回ったポエは、埃っぽい空気に喉の渇きを感じたため、本部へと戻ることにした。
本部の机はすっかりなくなっていたが、備品類がまだ片付いていないようだ。
冷蔵庫跡地に置かれた飲み物を手に取って、ふたを開ける。
乾燥する冬は水分が不足しがちだが、夏と違ってつい後回しにしてしまう。
今期は少し水分補給が足りていなかったと反省していると、目立つ巫女装束の少女と目が合った。
「ポエさん、お疲れ様です」
「さとりちゃん、お疲れ様でしたー」
元気がない。
聞けば地区本部に借受として派遣されていて、昼を取るのもずいぶん遅かったという。
「疲れたわよね」
「そう、ですね……」
地区本部で何をやってきたのかはわからないが、会期中ちらちら姿を見かけていたことを考えると、地区全体の巡回だったのだろうか。
それはあまりやりたくないな、とポエは思う。
「あ、さとりちゃん。お疲れ様。しんどかったら休んでてええよ。無理せんでも」
「いえ、もう少しですし」
ブロック長の歌島由布子の気遣いに、深川さとりは首を振る。
「頑張り屋さんね」
褒めたつもりだが、答えはなかった。
どこかまだ気を張っているように見える。スタッフは撤収時間も気は抜けないが、だからといって適度に気持ちも休めなければとてももたない。
家に帰るまでがコミマ。帰るまでのペースをしっかり考えて気も休めなければ。
ポエはふと思いついた。
「ユウちゃん、さとりちゃん貰ってもいい?」
「貰うてなんや。何や『むめも』にもあげへんで」
「違う違う」
夏コミのことを言っているのだろうか。ずいぶん気が早いなとくすりと笑う。
それにしても『むめも』に「も」と言うことは、他のブロックからもお誘いがあったのだろうか。そうなら『むめも』も手を挙げたいが。
「さとりちゃんは『やゆよ』がいいわよね。そうじゃなくて、今ちょっと借りていいかなって」
さとりが『やゆよ』を気に入っていることは見てわかる。由布子と相性が良いのだと思う。
「ねえ、さとりちゃん、今からちょっと付き合ってくれないかしら?」
「えっ?」
撤収作業が進む周囲を見て、心配そうな表情を見せるさとり。
「ん? あ、ポエもしかして」
「うん。ちょっと撤収サボっちゃう」
「はあー……まあええけど」
ブロック長の許可も出たので、遠慮なく連れ出すことにした。
困惑するさとりを連れて、アトリウム……を過ぎ、メインエントランスに向かってどんどん進んでゆく。
「こっちこっち」
会期中は東からの人の流れでとんでもない数の人がいた通路も、今は人の姿もまばらだ。
「あの、ポエさん、どこまで……」
「もう少しよ」
通行に苦労することなく、目的地へと到着する。
メインエントランスの出入り口。東地区からであろう、帰宅する参加者の流れが延々と続いていた。
「えっと?」
「うふふ、お見送りよ」
ポエは楽しそうに笑うと、人の流れを綺麗に横切りながら真ん中に立つ。
さとりも同じようにしてポエに追いつく。左右の扉から出る人たちの真ん中は、ちょっとしたポケットになっていてスタッフが立つのにちょうど良かった。
そして、
「お疲れ様でしたー」
ポエがそう言って、手を振り始めた。
誰か個人に向けてではなく、ここを通る参加者みんなに。
「お疲れ様でした、良いお年をー」
「良いお年をー」
つられて返事をする参加者もいる。
ポエはそんな参加者ににっこり笑ってお見送り。
「ほら、さとりちゃんも」
呆気にとられていたさとりに声をかける。
「おっ、お疲れ様でした……」
少しぎこちないが、小さく手を振っている。
素直だなあ、とポエは微笑ましく思う。
「お疲れ様でしたー」
「「「お疲れ様でした!」」」
若いグループの参加者が、元気に返事をしてくれる。
「ふふ、気をつけて帰ってくださいね」
「「はい!」」
楽しそうにはしゃいでいる。これから打ち上げだろうか。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。ありがとうございました」
白髪の目立つおじさんが丁寧に返してくれる。これからゆっくり年越しだろうか。
「お気をつけて。良いお年を」
「はーい、良いお年をー!」
「ありがとうございましたー!」
見送りを見るのが珍しかったのか、若い女の子ふたり組が少し驚いて元気に返事。重そうなバッグに今日の成果が詰まっていそうだ。
帰路につく参加者の列は途切れることはない。そして例外なく今日一日をやりきった達成感にあふれている。
さて、隣の深川さとりはというと……
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたー」
「良いお年をー!」
控え目に手を振るが、白と赤の衣装が目立つのか、よく声をかけられている。
本人の声にも少し慣れが混じり始めた。
「良いお年を!」
「良いお年をー!」
ポエとしては、秘密の疲れ吹っ飛び業務なのだが、深川さとりにとってはどうだろうか。
特に冬コミは、年末ということもあって独特の雰囲気がある。
「スタッフさーん、いぇーい!」
参加者の女性が、手を出しながら声をかけてきた。ポエはすぐさま意図を察し、ハイタッチを構える。
「いえーい!」
「い、いえー……」
ふたり連続でハイタッチをされ、パンッパンッと小気味の良い音が耳に届く。
「縁起良さそーう! ありやしたー!」
ハイタッチをされることはたまにあるが、やはり楽しい。何かスポーツの試合が終わったような、お互いをたたえ合う儀式。
「私もー」
「はーい」
パチッ!
「巫女さんも!」
「はっ、はい」
パチッ!
それを見た参加者が、次々にハイタッチしてくる。目とタイミングとノリが合えばあっという間だ。
「いえーい」
「えーい!」
「え、えーい」
隣の小さな巫女も、雰囲気につられてハイタッチを繰り返す。
すべすべの手、冷たい手、しわを感じる手。
温かい手、手袋、大きな手。
色んな手とタッチし、楽しかったことを再確認する。
「いえーい」
「お疲れ様ー!」
「お気をつけてお帰りくださいねー!」
「はーい!」
何だかよくわからないが、やはり楽しい。
少し手が痛いのだが。
「ふふっ」
「ふふっ」
さとりと目が合い、お互い自然に笑みがこぼれた。
少し元気が出てきたようだ。
「みんな笑ってるでしょう?」
「はい」
「ここで挨拶するとね……」
「スタッフさんお疲れ様でした!」
参加者が元気に挨拶してきた。
動じることなく挨拶を返す。
「お疲れ様でしたー」
「お気をつけてお帰りくださいね……何だっけ。そう、ここで挨拶すると、やって良かったな、無事終わって良かったなって思えるの」
この時間のこの場所は、特別だ。
だから、さとりにとっても同じだったら良いなと思う。
「さとりちゃんは、どう?」
表情を見ていれば、少しは気が晴れたと思うのだが。
「元気、出ました」
「良かったわあ」
ここに立つことでもらえる不思議なパワーは、前に由布子とも共有したことがある。
列の移動で何度か失敗し、落ち込んでいた日。あの時は関西人のノリの良さなのか、積極的にハイタッチをして回っては、参加者とけらけら笑顔を交わしていた。
『終わり良ければすべて良しやなあ』
あの時の由布子の言葉を思い出す。
そしてその時気づいたのだった。
参加者のコミマの最後をお見送りすることで、お互いにとっての『終わり良ければ』になる。
「じゃあ、もう少しいよっか」
「はい」
ふたりはまた、参加者のお見送りをする。
業務ではなく、ただの自発的な行動として。
コミマの最後を、お互いの笑顔で飾る素敵な時間。
「良いお年を」
「ありがとうございました!」
「お気をつけてお帰りください」
そんな時間も、永遠ではない。
やがて帰路につく参加者の密度も落ちていく。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
ふと人の流れが途切れ、振り続けた手を下げる。
「じゃあ、そろそろ戻ろっか」
「はい」
西へと戻る通路から見える空は、もうすっかり暗い。ここに来ていたほとんどの参加者は、これから家に帰って年を越す。
全力で楽しんだ余韻を味わいながら、好きな本を手に取りながら。
あるいは、もう次に出す本のことを考えながら。
コミマスタッフは、年が明けて反省会。そこから拡大集会まで少し間が空く。
そしてまた夏に、ここで再会する。
隣を歩く深川さとりが、ふと立ち止まった。
一度だけ振り返って、メインエントランスを見る。
「良いお年を」
誰に言ったかわからないが、どこかで返事が聞こえた気がした。




