第76話 C99冬 3日目 もう閉会
由布子がふらふらと復活し始めた頃、ようやく場が落ち着いてきた。
九条は着物を正し、元の雰囲気に戻っていた。
「えっと……これ、聞いて良い話だったんですか?」
色々と聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
「好みの話なんか、別に隠すことでもないやろ」
まだ腹をさすりながら、椅子に座った由布子が無理に笑う。
その話だけではなかったのだが、九条の生業のことなど、聞いてもよかったのだろうか。
「日常生活では知らんけど、コミマで自分の好みなんか隠してどないすんねん。一緒やったら仲良うなったらええし、自分に合わんかったら見んかったり見んふりしといたらええねん。誰も見ろて強要せえへんわ」
コミマでは、そうかもしれない。だが日常生活の延長にコミマがあるのではないだろうか。だとすれば切り分けられるものでもなく……
「……でもその、それで離れる人も、いるかもしれないじゃないですか」
それが、怖い。
特にコミマスタッフを通じて知り合い、仲良くなった人に離れられるのは。
だが由布子の返事はあっさりしたものだった。
「そんなんその程度やったっちゅうこっちゃろ」
胸がきゅっと痛む。
もしかしたら柳や牛込が、気味悪がって離れていくかもしれない。
その時自分に、ここまで割り切ることなどできないように思う。
「例えばさとりちゃんは、大門さんが今日みたいなジャンルの本が好きや言うて、ほな幻滅しました、サイナラーってなった?」
「それはないです」
急に引き合いに出されてしまった大門だったが、さとりはすぐに否定できた。
ジャンル自体は苦手といえばそうだが、言われてみればただ大門の新たな一面が見えただけだ。
確かにちょっと驚きはしたが……
「せやろ。私はさとりちゃんと九条が何をどう見てようと気にせえへんし、だから何やねん言う話なんや」
受け入れて、もらえた。
変なものが見えているとわかった上で。
普通の人と違うと知った上で。
「ありがとう、ございます……」
なぜか胸がいっぱいになり、目が熱くなる。
そんなさとりを、由布子が優しく見ている。
「ああ、さっきはさとりちゃんらの悩んでることを軽く扱うように言うてごめんな。もう何も言わんし、私からは何も聞かへん。もちろん誰にも言わへんし」
気遣いが嬉しい。
本当に自分のことを尊重してくれていることが伝わってくる。
「もしいつか、さとりちゃんが話してええかな、聞いてもらいたいなて思うたら、話してくれたらええし」
「はい……」
由布子が言うように、いつか話せるかもしれない、とさとりは思った。
そうなった時、やっぱり特に気にしないかもしれないし、もしかしたら興味を持つかもしれない。
どちらにしても、目の前で笑みを浮かべる女性が、自分を気味悪がって離れていくところなど想像もできなかった。
「ほんでや、九条」
由布子は九条の顔を正面から見据え、一転して硬い表情を見せている。
「あんまり見くびってくれんなや。ちょっと目がええんとかBL好きやとか、別にどっちでもええわ。それで離れていく程度やと思われとったことが腹立つわ」
本音なのだろう。
その目は九条を強く射抜く。
「……あほ」
「知っとるわ」
余裕で受け流す。
それに対し、九条はまだ整理しきれていないように見える。
九条もまたさとりと同じように、知られて離れていってしまった人がいたのかもしれない。
「そういうわけや、九条。さとりちゃんはもうカミングアウトしたし、それならそれで『やゆよ』はさとりちゃんのやりたいようにさせたる。それがブロック長としての私の矜持や」
「……」
由布子の力強い宣言に、誰も言葉を発しなかった。
「すみませーん! そろそろ閉会だから、いつも通り撤収の呼びかけお願いしまーす!」
誰もが押し黙る中、本部内のスタッフに呼びかけがあった。
残っている参加者による撤収のお手伝いはとても重要だ。そして、呼びかけをするのとしないのとでは、手伝ってもらえる率がかなり違ってくる。
「……ああ、もう閉会や」
由布子は椅子から立ちながら、会話の終わりを示す。
閉会後もまた、撤収のためスタッフは忙しくなる。
「さとりちゃん、日を改めてさしてもろてええやろか。今度東京行くわ。あ、せっかくやし初詣でもさしてもらおかな」
まだ真面目な雰囲気が抜けきっていないが、口元だけは笑いながら言う。
冗談のように言っているが、おそらく本当だろう。
そして本部から出ようとしている九条に声をかける。
「おい、九条」
「……何やの」
「次も『らりる』頼むで」
「……言われんでも」
九条は振り向きもせず、本部から通路に出る。そのまま『らりる』ブロックに向かうようだ。
さとりが追いかけようとすると、
「さとりちゃん」
由布子に呼び止められた。
「あー、えっと……また『やゆよ』で一緒にスタッフしよな」
少し影が落ちる由布子。さとりの返事に確信がなかったのかもしれない。
「はい、よろしくお願いします」
そんなブロック長に、さとりは迷いなく頷いた。そしてようやく由布子の表情が和らぐのだった。
本部から出たホールで、その姿を見つけるのは容易いことだった。
「九条さん」
「……何ですのん」
「あの、すみません。誘っていただいたのに」
「……はっ」
九条は鼻で笑う。
「誤解のないよう言うときますけど、さっきのんは、歌島はんにああ言わせるための方便やから」
目を合わせようとしないまま、九条が続ける。
「これで次回深川はんが自由に動ける言質が取れましたやろ。あの女はアホやけど約束は破らへん。うまいこといきましたなあ」
「九条さん……」
これは、嘘だと思う。
九条は『やゆよ』ブロックのその先、自分の担当する『らりる』ブロックに目を向けたまま、こちらを見ようとしない。
「あの、ユウさんは……」
何が見えるかまでは聞いてこなかった。
それを話したくなったらで良いと。
そしてそれは、九条に向かっても言っていたと思う。
あくまで「私たち」を尊重してくれている。さとりは、ふたりのブロック長が仲良くじゃれ合っているのを見るのが好きだった。
早く戻って欲しいと思う。
「……」
「あ、その、九条さんの好きな本のことは……えっと、その……」
由布子の言うように誰が何を好きでも構わないし、ここはそれを受け入れてくれる場だと思う。でも個人としての恥ずかしさもわかる。
暴露されたのは気の毒だが、あれで冷静になれた……いや、冷静ではなかったかもしれない。
「フォローせんでもよろし。余計にしんどなります」
「あっ、はい……」
しゅんとする。先ほどの由布子や、他のスタッフたちに比べて気の利いた会話ができない。
「ほなぼちぼち閉会やし、撤収呼びかけに行きまひょ。手え抜くと大塚はんがやかましおすえ」
「……はい。一緒に頑張りましょう」
せめて、今だけは。
その思いが通じたのかどうか。九条はちらりとさとりを見た。
「……あんじょうお気張りやす」
『これにて、コミックマート99冬、3日目を終了いたします。お疲れ様でした!』




