第75話 C99冬 3日目 九条の誘い
一斉点検を終え、いよいよ終わりが見えてくる。
コミマの終わり、そして一年の終わり。今ごろ実家の神社は忙しくしているはずだ。
撤収済みのサークルも目立つが、頑張ってもうひと回りしようかと思っていると、由布子から声をかけられた。
「さとりちゃん、ちょっとええか」
椅子に座りながら話す由布子の隣に、九条が立っている。
そして後ろに、そのふたりを落ち着かない様子で見ている小太郎。
「コミマももうすぐ終わるんやけど……まず、次もコミマスタッフやってくれると思ってええんかな」
「はい。もちろんです」
少し気の早い話だとは思うが、ここまで来て夏コミを見送ることはできない。
由布子は複雑な表情を浮かべて頷く。
「ほか。ほんで……この九条が話あんねんて」
言われて九条が前に出た。
コミマでは少し浮く和装だが、すっかり慣れた。というより、今のさとりの巫女装束も和装だ。
「単刀直入に言います。次は『らりる』に来なはれ」
「えっ」
思ってもみなかった言葉にさとりが返事をできずにいたが、九条は構わず続けた。
「わてなら深川はんを自由にしたげられます。所属は『らりる』でも、借受にも出さへんし、混対もさせまへん。朝礼だけ出てもろたら、ホールも、地区も自由に回ってもろてええと思てますんや」
「そんな……」
少しずつ理解していく。それはつまり『やゆよ』ブロックを離れるということだ。
由布子は椅子に座ったまま、小太郎もその後ろに立ったまま黙っている。
「深川はんがコミマをどないしたいんか。何をやれたほうがええんか、色々考えたら、わての『らりる』におるんが最善なんと違います?」
「……」
それは『みえる』ことを言っているのだろう。
九条は理解者であり、田尾手と共に秘密を共有している。だから、由布子に隠し事をする後ろめたさはないが。
「ユウさんは、どう思っているんですか……」
すがるように、由布子に言う。
「さとりちゃん、これはさとりちゃんが次C100夏でどこのブロックやりたいかの話やから、私のことは」
「何で、ですか」
遮って声が出た。
「私を、コミマスタッフに誘ったのは、ユウさんじゃないですか」
「それは……」
「前、ユウさんは『勘』って言ってましたよね。あの、だったら、次に私がどっちのブロックにいた方がいいと思いますか?」
「さとりちゃん……あんな、何でも勘が働くわけやないねん」
正直な人だ、と思う。
でも、ここで嘘でも『やゆよ』だと、自分にいて欲しいと、言って欲しかった。
「なんかわからんけど、さとりちゃんには九条と一緒にやらなあかんことがあるんやろ」
「……」
九条は目を伏せ押し黙る。
小太郎もまた、重い空気を察して心配そうにさとりを見ている。
「こいつは、何も言いよらん」
気まずい沈黙。ホールの喧騒が大きく聞こえる。
隠し事のある後ろめたさ。
到底信じてもらえないような、巨牛のこと。
次の夏の、コミマの災い。
それを避けなければならない使命。
目を伏せたままの九条のことも理解できる。むしろさとりはそちら側の立場に近い。
沈黙を破ったのは、由布子だった。
「さとりちゃん、何か見えとるんやろ?」
「えっ……?」
いつもの由布子と違い、淡々とした声。
思わず小太郎を見ると、慌てて首をぶんぶん振っている。
九条も驚き、目を見開いている。彼女が話したわけではなさそうだ。
「さとりちゃんの地区の借受は、さとりちゃんが見えてるそれに関係するもんなんちゃうん?」
「どうして、それを……」
見てきたかのように言う由布子。責めるでもなく、怒るでもなく。ただ事実を並べて確認するだけのような。
「勘や。と言いたいとこやけど」
ふっと由布子の雰囲気が和らいだ。
「これまで見てきたさとりちゃんと、ない頭で考えた推測と、それと……今の三人の反応やな」
三人はお互いを見て、困ったような、あまり納得いかないような表情を見せる。
ただ由布子だけが、口元に笑みを浮かべている。
「コタ、帰ったらじっくり話し合おうやないか」
「姉ちゃん、それは……」
「コタ君は悪くないです!」
「はは、嘘や」
屈託なく笑う由布子。
気がつけば由布子のペースで話が進んでいる。
「さとりちゃんは誰にも知られとうないんやろ? そんなんうちの弟が言うわけ無いやん。たとえ姉でも」
言われた小太郎は、恥ずかしそうに視線を泳がせている。
秘密を守ってくれていた嬉しさもあるが、ただこの中で由布子にだけ黙っていたのは少し心苦しい。
「ほんでや、九条」
「何どす」
ぶっきらぼうに答える九条だったが、次のひと言で凍りついた。
「あんたも見えるんやろ」
あまりにも真っ直ぐに核心を突く由布子。今度は小太郎が驚いて九条を見る。
「ほんで、さとりちゃんの方がよう見えるんやろ。前に自分で言うてたしな。ははあ、あんた何かそういう関係の仕事しよるんか。あわよくば、さとりちゃんを引き込もうと思うとったんやな?」
どこまでが勘で、どこからが想像だったのだろう。そしてそれは、最初の部分を除いてさとりも知らない話だった。
『みえる』ことが、仕事? いや……祓いの方だろう。田尾手もそんなことを言っていた。あれは比喩ではなく本当だったのだろうか。
「……あほ。コミマでそんなんせんわ」
否定は後ろの部分だけだった。
「……ほな、見えるんやな」
「……せや」
嘘をついたり無視したりもできたかもしれないが、九条は小さくかすれた声で肯定した。
それを聞いた由布子が、ふっと息をつく。
「ああ、しょーもな!」
全員がまた驚き、由布子を見る。
「何を隠しとるんか思うたら、なんか見えとるだけかいな。そんなんやったらスッと言うてくれたら良かったのに」
「そんなん?」
ぴくりと九条が表情を引きつらせる。
そしてさとりもまた『みえる』ことがきっかけで受けた仕打ちを思い出して体を硬くした。
幼少の頃の辛い思い出が、不意に思い出される。
嘘。
疎外。
不信。
何かが『みえた』ところで、何も良いことはなかった。
「あんた、わてが、わてらがどんだけ……」
九条も似たような覚えがあるのかもしれない。
震える声を絞り出し、由布子の頭を掴み、自分の方へと向けさせる。
だがそんな九条の感情を受ける由布子は、茶化す気配は全く感じられない。
「苦労しよんやろうな。そこは私には理解しきらん。あんたも話してくれへんかったしな」
九条が由布子の頭から手を離す。
「まあ、わざわざ話すことでもないやろうけどな」
解放された由布子は、椅子から立ち上がり、手ぐしで髪を整えた。
「でもな」
改めて見せる由布子の表情に、どこかいつもの調子を感じた。
「あんたがBL本必死に買い漁ってんのに比べたら、はるかにしょーもない話やろが」
「は?」
「えっ」
「ん?」
由布子以外の三者が、三様に声を漏らした。
それはあまりにも、唐突に思えた。
頭が切り替わらないまま、由布子が畳み掛ける。
「知らんと思うたか。休憩長めに取って、わざわざバレんように洋服に着替えて、髪も下ろしてJUNEのジャンルに急ぎ足で行っとるやろが」
「あ、あっ……あんさん」
言葉の出ない九条を置いて、なおも由布子は続ける。
「いや、着物がアリバイ工作やとはなあ。ただなあ、休憩明けにちょっと髪のまとめ方が違うときがあってな」
「……」
九条が押し黙った。
同時に、何か恐ろしい気配があたりに満ちた。
「ほんで後をつけてみたらまあ楽しそうに買い物してはって、いやー、ええ笑顔するんやなって……おん? 九条?」
「……ほな、それが遺言やて伝えとくわな」
ついに九条が、由布子の首に手をかけた。
「殺す」
「ぐっ、なっ、ほら、そ……れに比べっ、たら大した、話や……ないっ、やろ。アホやめろ殺す気か」
振りほどいた由布子が、首をさする。
なおも両手を構えた九条が、猛禽類の目で由布子の首を捉え続けている。
「殺す気に決まってますやろ」
「待てや」
片手で九条を制しながら、コホン、とひとつ咳をする。
「逮捕されたら、今日買うた新刊も読まれへんぞ」
「ぐっ……」
これは効いたらしい。そして今日も好きな本を買いに出ていたようだ。
ゆっくりと手を下ろし、代わりに固く拳を握りしめた。
「ほな、腹ならよろしやろ」
「あほか! よろしないわ!」
「一発だけや」
「あかんに決まっ……ごぼっ」
和服美人の細い右腕が、由布子のみぞおちに綺麗に入っているのが見えた。




