第74話 C99冬 3日目 杏の贈り物
ぐるりとホールを回って、西1ホールの本部へとたどり着いた。かなり歩いたこともあって、さすがに空腹が限界に近い。
「さとりちゃん、お疲れ様!」
「お疲れ様です、柳さん」
そんなさとりを迎えたのは同じ『やゆよ』ブロックの柳だった。疲れているようにも見えるが、戻って来たさとりを明るく迎え入れる。
「えっと、待っててくれたんですか」
「ええ。ふふっ」
「?」
なんだか楽しそうな柳の手にはお弁当がふたつ。それもシウマイ弁当だ。
混雑のピークを乗り切った西1ホールの本部は、ほどよい疲労感と達成感が漂っている。
柳の笑顔と周囲の雰囲気につられ、さとりにも笑顔が浮かんだ。
「一緒にお弁当食べましょう。裏で良い?」
「はい。あっ……あの、上の商談室にしませんか」
「いいわよ。そうよね、ゆっくりしたいわよね」
裏のスタッフ控室はそれなりに混み合っている。ゆっくり食べたい時や長めに休みたい時はアトリウム二階の商談室を推奨していた。
玉も連れ添っている現状、裏の控室はかなり手狭になってしまう。他の人には見えないのだが、さとりの気が休まらない。
柳と連れ立って商談室に入ると、ふたりほど男性スタッフが壁にもたれかかっている。どうやら仮眠中のようで、さとりと柳は何となく声のトーンを落とす。
「お疲れですね」
「今日は一般参加者も多かったから」
さとりの知らないところで大変な混雑対応だったのだろう。柳もよく見れば消耗している。
さとりは全く手伝っていないし、弁当まで待たせてしまったのを申し訳なく思う。
「大丈夫大丈夫。そんな顔しないで」
「はい……」
いつか由布子が言っていた『準備会は組織だ』という話を思い出す。それぞれが役割を担い、無事に終わることを目指して動いている。
自分は役に立てたのだろうか。
そんなさとりを励ますように、柳が明るい声とともにお弁当のふたを開けた。
「ほら見て。ブロックのみんなから杏を預かってるのよ」
『ふおっ』
隣で変な声が上がった。
驚いてそちらを見てしまう。
柳には、さとりが顔を背けたように見えたのだろう。
「……あれ? こんなにいらなかった?」
余計なお世話だったかと影が差す。
「あっ、いえ、とってもたくさんで、その……びっくりしてしまって」
さとりは慌てて首を振り、改めてお弁当を見る。普通はひとつしか入っていない杏が、見えているだけ五……いや、六。シウマイの数より多い。
杏のスペースを確保するためか、ご飯が少し圧縮されて形が変わっており、できたすき間に杏が押し込まれている。
「あの、ありがとうございます」
「ふふ、良かった」
柳が安心したように笑う。
一方、落ち着きがないのは隣に控える玉である。
『サトよ、こ、これを我が貰うて良いのか?』
(どうぞ。バレないように少しずつ食べてくださいね)
玉が食べやすいよう杏をふたに取る。
ふたりで「いただきます」と手を合わせ、ずいぶん遅いお昼ご飯。
ふたりとも空腹だったこともあってか、しばらくは黙々とお弁当を食べる。半分ほど食べ進んだところで、同時にお茶を口に含んだ。
「ふふっ」
その様子がおかしかったのか、柳が笑う。
だがふっとひと息つくと、どこか気遣う表情を見せた。
「何だか大変そうね」
「えっ……?」
何のことかわからず、首を傾げる。
「さとりちゃん。地区で特別巡回やっていたんでしょう?」
「あ、はい……」
「普通の巡回と一緒?」
巡回自体は普通のはずだが、田尾手と知恩寺のあれは何と言えば良いのだろうか。
巨牛の言う『掃除』があれだったのだろうか。
田尾手はあまり詳しく話さないので、よくわからない。
「うーん、普通……でもないような、同じのような」
「どうしてさとりちゃんなんだろうね」
理由はある。だが、柳に話すのは少しためらわれた。
微妙な表情の変化を察したのか、柳はすぐさま話題を変える。
「あ、でも今日のブロックはちょっと刺激が強かったかも」
「ちょっとだけ見ましたけど、そうでしたね」
大門と話した時のことを思い出す。
男性向け……成年向けの本がこれでもかと並び、見たことのない空間が作られていた。
この世の中にあれ以上成年向けの本の密度が高い場所はあるのだろうかとすら思う。
「大門さんが、お知り合いが多いみたいで」
「ね。おかげでネゴがスムーズでとても楽だったみたい」
ネゴとはネゴシエーションの略で、サークルとの協議全般を指すらしい。
スムーズな頒布に協力するため、売り子の数や列の方向、残部数などを確認していくスタッフの大事な業務だ。
「あと、一般さんも経験積んでる人が多かったから、話が通じやすくて案外やりやすかったよ」
柳は「精神的な問題を除けばね」と付け加えて、またお弁当の続きを食べ始めた。
ほんの少し、混雑対応も面白そうだと思う。それは大門や柳や、由布子たちと困難な業務に当たるのが、何だか楽しそうに思えたからだ。
(でも……えっちすぎる)
ブロックの力になれなかったことは少し悔いが残ったが、あのジャンルで凄くやりたいかと言うと……
うん、また機会を待とう。
とりあえず今は、残っているお弁当を食べきることに集中しよう。
先に折弁当を食べ終わった柳は、ペットボトルのお茶も飲みきっていた。
「とりあえず混雑のピークは過ぎたし、あとは巡回を続けて……」
そこまで言って、首を傾げる。
「あれっ、杏いつの間に食べたの?」
「えっ」
杏はひとつも残っていない。
これではさとりがおかずより先に杏だけ食べてしまったように見える。
(玉さん……)
当事者である玉は、どこかわざとらしく目を合わせようとしなかった。
ホール本部に戻ると、由布子、長崎、大門、そして小太郎が迎え入れてくれた。
「さとりちゃん、お疲れ様ー」
「お疲れ様。休めた?」
「お疲れ様です」
「おかえり」
「あっ、た、ただいま……」
次々に挨拶され、最後の小太郎にだけ返事をするような感じになってしまった。
ただ「おかえり」と言われると、ここが自分を迎え入れてくれる場所なのだと思えた。
「地区からは何も聞いてへんけど、時間いつまでとか聞いてる?」
「いえ……閉会時間までかもしれないですけど」
「うーん、そうなんか」
そういえば終わりの時間を聞いていない。
さすがに一日中ずっと地区への借受ということはないと思うのだが。
「姉ちゃん、俺もサトについて巡回していいか?」
「あー、ええよ。成年向けやからあんまりコタにブロック巡回さすのも良うないやろし」
小太郎は同い年なので、まだ未成年。本の中は当然見ることができないし、ポスターもなかなか際どい。
準備会としても、本に成年向けであることを表示するようサークル向けに通知している中、未成年のスタッフが成年向けエリアを巡回するのは由布子の言う通り良いとは言えないだろう。
「もう出るか?」
「うん」
ブロックからはみ出したふたりで、久しぶりの巡回。
混雑のピークは過ぎたとはいえ、まだまだサークルは残っているし、人通りもそれなりにある。
落とし物、座り込み、その他トラブル。注意して見るべき点はたくさんある。
「フュージョンは終わったみたいだぞ」
「そっか。それは残念」
コミマの業務の中で、一番自分に合っていて、一番役に立てたと実感できるのがフュージョンだった。
「今日はブロックの混雑対応、未成年にはさせられないって、またスロープ下の案内に回されてさ」
「そうなんだ。あそこ問い合わせ多いし大変だよね」
小太郎の声は、少し喉を痛めているようにも聞こえる。またずっと声を上げていたのかもしれない。
「ああ。今日は海外の人から『タクシーが来るのはどこですか』って聞かれて困ったよ」
「英語?」
「英語。あたふたしてたら通りすがりの一般参加者のおじさんが通訳に入ってくれてさ。いや、授業で習ってても無理だな。早口すぎて全然」
そう言う小太郎だが、結果的にはちゃんと案内ができている。由布子が言っていた通り、周りの誰かが助けてくれる場所なのだ。スタッフ、サークル、一般の立場に関係なく。
「助けてもらえて良かったね」
「ああ。でもひとりで対応できるように英語勉強しなきゃなって思ったよ」
「ふふっ」
変わった動機かもしれないが、勉強に身が入るのは良いことだと思う。
さとりも小太郎も高校二年の冬。さすがに受験を見据えて勉強に重きを置かないといけなくなってくる。
(でも……)
来年の夏……次の夏コミまでは、ここにいよう。それが自分のやらなければいけないことだと思う。
アトリウムに出たところで、不意に言葉が途切れる。
閉会を気にし始めた時間帯特有の、ゆるやかな達成感と心地よい疲労感。
そして、スタッフとしてはもうひと踏ん張り。
「……」
これからどうしようか。西2ホールの様子も気になるが、あまり進んで行こうとは思わない。
多賀谷シャッターを通ってトラックヤードに出るか、また西1ホールに戻るか……
「……サト」
「うん?」
小太郎の方を見ると、少し硬い表情をしている。
「地区に引っ張られたのは、何か探すためなのか?」
「えっ……」
小太郎はさとりが『みえる』ことを知っている。まだ小さかった頃に共有した秘密。
それにしても、核心を突いている。
「どうして?」
「何となく……」
血は繋がっていなくても姉弟だな、と思う。ふたり揃って勘が良い。
「……うん、多分、そう」
「そうか」
小太郎はそれだけ答えた。
昔も今も、さとりの言葉をそのまま信じてくれた小太郎。それがさとりにとって、間違いなく心の支えになった。
ひとりだけで抱え込んでいたら、どうなっていたかわからない。
「何か手伝えることがあったら言えよ」
「うん。ありがとう」
感謝の言葉を口にする。
さとりを信じてくれる小太郎と、迎え入れてくれる『やゆよ』ブロックがある。
それだけで、さとりは頑張れる。




