第73話 C99冬 3日目 追跡
有翼の虎を見送ったさとりは、大きく息をついた。その場にへたり込んでしまいたかったが、巫女装束を汚すわけにもいかない。
「お疲れ様、深川さとりさん」
「えっ、あの、お疲れ様です……」
「玉もご苦労だったね」
『……』
いつの間にか元の大きさに戻った玉。相変わらず愛想が無いが、田尾手に対しては取りつく島もない。
そんな玉に余裕の笑顔で返すと、田尾手は周囲に目をやった。
「皆もご苦労であったな。あとは各々楽しまれよ」
玉に加勢しようと立った異形にも、かなり遠巻きにしていた異形にも労いの声をかける。どういうことだろうか。
「ああ、彼らも助太刀しようと構えていたからね」
「そう、でした」
途中から何となく集まってこちらを窺う気配はあったが。
彼らにはあのような恐ろしい気配は感じない。格が違う、言うなれば勝ち目のない無謀な戦いだったはず。
「あの、知恩寺さんは……」
「あれは、何というかな。人の悪意が好物でね」
田尾手の説明はよくわからない。人でなかったことだけは確かだ。
そういう異形の仲間なのだろうか。
「それで悪意の集まる西2でコミマを楽しんでいたようだけど、それに乗っかった奴らが度を過ぎてしまった」
田尾手は「これからその後始末さ」と笑う。
何となくぼかして言っているようにも思えたが、深く知りたいわけではないさとりは「そうですか」と頷いておいた。
「じゃあまた巡回を続けてもらえるかな。ああ、もう遅いから、お昼にするといい。お弁当が回収されてしまう」
そう言われて思い出したかのように空腹を訴えるさとりのお腹。恥ずかしさから逃げるようにして、田尾手に背を向け歩き出した。
「それにしても」
田尾手はそんなさとりを見送りながら、小さく笑う。
「巫女が神使と異形を従え、凶事を退ける……ふふっ、世が世なら説話になるような話だなあ」
ひとりくつくつと笑う田尾手は、知恩寺が飛び去った方を振り返ると目を細めた。
西2ホールは西1ホールと対称のつくりになっていて、西1ホールに慣れたさとりにとっては何だか変な感じだ。
『疲れたろう』
「えっ、あっ、はい!」
急に玉に話しかけられ、思わず声が出た。
周囲の参加者が何事かとさとりを見る。
「あ、す、すみません。何でもないです……」
慌てて何もないことをアピールする。
参加者は妙な行動をするスタッフにはあまり興味がないようで、自分は関係ないとわかれば足早にそれぞれの目的地へと向かっていった。
『驚かすつもりはなかった』
(いえ、今のは私が悪いです……)
小声で玉のせいではないことを伝えておく。
先ほどの出来事についていけず、少しぼんやりしていたのは確かだ。
もし玉ではなく他の参加者から話しかけられていてもそうなっただろう。
「……よし」
お腹は空いていても、気を引き締めないといけない。
そう思っていると、後ろから声が聞こえた。
「今日も大漁だったな」
「従順な豚ちゃん共で良かったぜ」
聞き覚えのある声。
だが、どこで聞いたか思い出せない。
「早く帰って紅白流しながら酒飲んで寝ちまいてえなあ?」
「……」
片方の声が止まった。
ふとそちらを見ると、男性スタッフがふたり。西2なのだろう。ふたりとも何だか小太りで似たような体型だ。
さとりに気づいた片方が、形だけの笑顔で挨拶をする。
「ん? お疲れー。あんた西2……じゃないよな?」
「はい」
「……」
もう片方は黙ったままだ。心なしか顔色が悪い。
よく見ると、ふたりとも肩のあたりに黒い小さな異形がくっついている。
「あの、そちらの方、どうかしたんですか?」
「ん?」
「……」
話を振られても反応しない。隣の男もさすがに様子がおかしいことに気づく。
「おい、急にどうした? 体調悪いのか?」
落ち着きなくちらちらと隣の玉の方を見ているようだが、視線が定まらない。
(あ、この人)
よく見れば、昨日ふぶきのサークルにいる時に見かけた、態度の良くない西2スタッフだ。
あの時は足元の異形を避けていたように見えたが……
(見えてい……ない?)
玉を見ているというよりは、玉の周辺から遠ざかりたがっているようだ。
ちらりと玉を見ると、楽しそうに目を細めている。
『こやつは見えてはおらぬな。感じておるだけよ』
言ったそばから、玉の気配がぐんと強くなる。
ふたりの肩に乗った異形は、振り落とされたいとしがみついたように『みえ』た。
『急に真っ暗な夜道に放り出されたような感覚じゃろうな。ふふ』
笑うんだ……と思いながらも手に汗を感じる。
隣にいるだけのさとりですらそうなのだから、直接その気配を向けられた男性スタッフはどれほどだろう。
案の定、顔面蒼白となっていた男性スタッフは、ふらふらと玉から離れるように足を踏み出す。
「ちょっと……トイレ」
「あ、ああ」
近くのトイレは……アトリウムだろうか。しかしどういうわけか、多賀谷シャッター……西1ホールに向かって逃げるように歩き出す。
『追うぞ』
(えっ、あの、玉さん!?)
楽しんでいませんか……?
追い始めた玉を放っておくわけにもいかず、さらにさとりも玉を追う。
「何だあ……?」
ひとり残された男が、ぽつりと呟く。
それに答えるものは誰もいなかった。
「なんっ、何で追っかけて来るんだよ!」
「そういうわけでは……」
スタッフとしての矜持はあるらしい。会場内では走らず、ただ早足で逃げる。
ただ、男は少なくない人々に阻まれるのに対し、なぜだかさとりの目の前の通路は都合よく空きができ、両者の差は全く開かなかった。
(歩きやすい……)
さとりは人の流れを作ってくれている異形を横目に見る。もしかしたら玉が何か伝えたのかも知れない。
すぐ西1に入り、外周をどこまでも歩く。
男の背中にいた小さく黒い異形は、どうやらトカゲに似た形らしい。
やがて『む』ブロックに差し掛かったところで、聞き慣れた声がした。
「あれ、深川ちゃんじゃん。どした?」
「牛込さん」
偶然にも、西2の男性スタッフの前を牛込が阻んだような立ち位置になる。
「……あっ、お前、西2の」
「なっ、何だよ誰だよ」
昨日のことを思い出したのか、牛込の目が据わる。
「西1に何しに来た」
「ト、トイレだよ」
「はあ?」
牛込が怒りの表情を見せ、男は半歩後ずさった。
「訳わかんないこと言ってないでちょっとこっち来い」
「は!?」
さすがに人目につくことを気にしたのか、ホールの外に出て、トラックヤードの端へと移動する。
男は逃げるかと思ったが、渋々ついてきた。
「で、西1に何しに来た」
「だから……」
さすがにこの期に及んで『トイレ』とは言えず、力なく目を伏せる。
「いや……追われて……」
「誰に」
「……こいつに」
指差してくるが、目を合わせない。
牛込はさとりを見て首を傾げている。
「そうなの?」
「いえ、西1に戻って来ただけです」
「だよねえ」
玉が一歩前に出て、同時に気配を強めた。
男は何とか立っているという様子だったが、首回りにいた黒いトカゲはついに力尽き、ぽとりと床に落ちた。
「かっ、勘弁してくれよ!」
泣き言を口にする男に構わず、玉は地面に落ちたトカゲを思いきり蹴飛ばした。
敷地の外へと飛んでいくのが見えたが、やはり良くない異形だったらしい。
玉は気が済んだようで、またさとりの横へと戻ってくる。
「ところであんたらさあ、参加者のことクソミソに言ってんじゃん」
「な、何でそれを……」
「私も聞いたからに決まってんだろ!」
牛込のターンが始まった。
「あんた、田橋。それはちょっと違うんじゃないの? 楽しみ方がさ」
「ひっ」
凄む牛込は、先ほどの玉に似た威圧感を発している。スタッフ証を確認し、名前を呼ぶ。
「何でそんなことするわけ?」
「……その、面白れーから……」
ぽつりと答えた。
「大勢の人間がさ、俺の一声で動いたり止まったりすんだぜ……こいつら、俺が列を崩したらどうなんだろなとか」
理解を求めるような目で牛込を見る。
牛込には響かないようだが。
「ここでは全員俺に従うんだぜ。こんな気持ち良いことあるかよ。俺無職なのにさ」
自虐的に笑う田橋。
さとりは考えたこともなかったが、それを面白いと感じるスタッフもいるのかもしれない。
「くだらない……」
「まともな人生送ってる奴にはわかんねえよ」
「人生のせいにしてんじゃねえよ!」
吐き捨てるように言った田橋を、牛込が一喝した。
ついでと言わんばかりに玉が気配を強め、田橋の腰が引ける。すかさず牛込が追い打ちをかけた。
「あんたはコミマスタッフの楽しみ方を間違ってる。そんで、そのせいで人生の捉え方も間違ってる!」
ヒートアップする牛込を、さとりは止めることができずただ見ていることしかできない。
「コミマの威を借りてくだらない承認欲求満たすより、もっと他に良い方法があるだろうが!」
「じゃ、じゃあ言ってみろよ!」
田橋の反論に牛込は一瞬考える素振りを見せたが、すぐに答えが出たようだ。
「……あんた無職だったね。住所は?」
「……松戸」
「へえ、ちょうど良い。田橋」
牛込は柏と言っていただろうか。さとりは千葉に明るくないが、松戸と柏は隣町だったような気がする。
獲物を見つけたような獰猛な目で、牛込がニヤリと笑った。
「な、なんだよ」
「正月明けからの働き口が見つかったな」
「は?」
大晦日の昼下がり。田橋の間抜けな声が小さく漏れた。




