第71話 C99冬 3日目 西1ホールの巡回
一般入場の勢いが少し落ち着いた頃合いに、田尾手が「もういいだろう」と切り上げを宣言した。
すでにお昼に近い。
付きっきりで対応してくれた地区の男性スタッフもふっと息をつく。
「この時間で拾い上げたのは五人か。素晴らしいね」
「……何か、しようとしていたんですよね」
「ああ、最近のコミマでね、色々とイタズラ……では済まない事態があってね」
「……」
ちらりと見えた、不審者の手荷物。
明らかに火気を伴うものが含まれており、コミマの持ち込み物に違反している。
最近コミマでそれに類する騒ぎがあったとも聞いている。
コミマを守るということは、これを続けなければいけないということだ。
「入場のピークは過ぎた。さすがにもう不審者をピックアップするのも困難だ。こっちも忙しくなるから、西1から西2を回ってアトリウム、これを続けられるだけお願いしたい」
「わかりました……」
すでにかなり疲れてはいるが、まだ始まったばかりだ。
田尾手と地区のスタッフに見送られ、さとりは玉と共に巡回を開始した。
「疲れましたか?」
さとりの問いに、玉はふるふると首を振った。あまり口を開いてはくれないらしい。
「あの、さっきはありがとうございました」
『……』
目を細める玉は相変わらず無言だが、どこか誇らしげな表情に思えた。
数時間ぶりに戻った西1ホールは、参加者の熱気なのか一段温度が高く感じられた。
手近なところで『やゆよ』ブロックの様子を見てみる。
「う……」
朝は机椅子が並ぶだけだった通路。
今そこには、幟のように肌色の目立つポスターが掲げられ、獲物を探すようなギラギラした目の男性たちが通路を行き交っていた。
列ができているわけでもないが、人が多くて流れが悪い。今日のジャンルは男性向け。これほど雰囲気が違うのかと圧倒される。
さとりは今日ブロック担当でなくて良かったかもしれない、と思ってしまうのだった。
「おや、お嬢。お疲れ様です」
「お疲れ様です。大門さん。すごいですね……」
「まあこんなもんですよ」
大門はなぜか自慢げに通路の様子を見た。
「ずっと広域巡回でしたね。大変だ」
「いえ、大門さんの方が」
「ふっ、こちらは好きでやっていますからね」
そういえば、三日目が自分の好きなジャンルだと言っていた。
こんなに……エッチなジャンルが好きだとは。
男の人は大概そうだとは聞いていたが、男性向けの中でもかなり癖の強いジャンルのように見える。
「ちょっと刺激が強いですよね」
「あ、その……」
本来であれば、未成年のさとりが見て良いものではない。
ただ現実として区分けが不可能であるため、ポスターなどは局部を隠すことで対応しているという。
「いや。セクハラですね……あ、トーポンさん、前のポスターの乳首が見えていますよ」
「まじか。Dさんありがと!」
Dさんとは大門のことだろうか。
「塗ってしまっては?」
「閉会のときプレゼントしたいからさあ」
「ああ、それでは塗れませんね」
穏やかでさわやかな大門が、エッチなポスターを前にサークル参加者と話をしている。
普段の姿とのギャップを感じるが、大門自身は平然としている。
「本当にお知り合いが多いんですね」
「そうですね、長いですから」
そういうものなのか。
確かにさとりも数人知り合いのサークルができた。何倍もスタッフをやっているのなら、何倍も知り合いがいてもおかしくない。
「このジャンルが好きなんでしたっけ」
「ええ。個人的には、ここが一番コミマらしいと思いますので。あくまで個人的に」
妙に個人的であることを強調する。
「ここがコミマを代表してると思われると、色々誤解を招きそうなので」
「はい……」
確かに、家族には見せられない。
薄々そういう本も多いと聞いたことはあるが、こう集まると迫力がある。
ちらりと玉の方を見るが、相変わらず平然としていた。
「一番コミマらしい、んですか?」
「ええ。私はコミマに持ち込まれる同人誌のことを芸術作品だと思っていて……エログロナンセンスという言葉は知っていますか。大雑把に言うと戦前に流行った芸術の流行りなのですが……エログロナンセンスという表現領域は、単なる刺激性ではなく言わば『性と命とばかばかしさ』を抱え込んだ、常識を壊すものであってですね。コミマの場は、まさにその『常識を壊す表現』が許容される場で、作家の表現衝動の受け皿として極めて相性が良いわけです。さらに基本的には商業的な迎合や合理性の外にあって、だからこそ異端な表現が自然体で発現されると思っています」
(急な早口……)
大門が熱く語るがよくわからない。
言葉の端々を拾うと、どうも大門は芸術のひとつとしてこのジャンルを見ているようだ。
行き交う男の人たちにそんな雰囲気はあまりないのだが。
「そうなんですか……」
「はは、よくわからないですよね。すみません。柄にもなく語ってしまって」
「この場所が好きなんだということはわかりましたよ」
さとりの言葉に、大門は嬉しそうにうなずいた。
前を通ったサークルで、また声をかけられる。
「Dさんお疲れ! 入稿前に見てもらった見本誌ちゃんと通ったわ、ありがとう。見本誌チェックの人は苦い顔してたけど」
「いや、それはそうでしょう。筆が乗っているバイゲンさんの本は凄まじいですからね。私もここの島の受付をできたら良かったのですが」
「しゃあないしゃあない。トーポン氏の方に行ってたんだろ。Dさんひとりで全部は見れねーよ。じゃあまた寄ってくれ」
「ええ、また後で」
誰が受付をしたのだろう。
血みどろの女性のポスターは、少なくともこの場所以外で見せてはいけないものだと思う。
来年からは成年となるので、こういったサークルも受付することになるかもしれない。
大丈夫……だろうか。
ただ、本の内容はともかく、大門と親しげに話す男性は気の良いおじさんにしか見えない。
「優しそうな人なのに……」
「優しいですよ。作品はああですが」
それはそうだ。残虐な本を描く人が残虐とは限らない。頭では理解していたつもりだったが、今ようやく実感できた気がする。
「概して芸術なんてそんなものですよ」
そういうものなのだろうか。
大門もサークル参加者も、共通して生き生きとした表情を見せている。
細かいことはわからないが、とにかく『生きるエネルギー』に満ちていることだけは確かなようだった。
大門と別れたさとりは玉を引き連れ、何となく人の少ない通路を選びながらホールを歩く。
外周の通路は広いが、人の流れが激しい。
島中の通路は比較的人が少ないが、やや狭い。
どこを通っても手狭なのは変わらない。
「はあ……」
外周の柱のあるところに人の流れのないポケットを見つけると、そこに避難してひと息ついた。
これだけ人が多いと、不審者探しもひと苦労である。
そんなさとりの様子を、玉はじっと見ている。
足りない身長を恨めしく思いながら、改めて周囲を見回す。ここは……
「あら、さとりちゃん」
「あっ、ポエさん」
「うふふ、ポエです」
ふわりと笑うポエ。ここの向かいの島は彼女がブロック長をしている『むめも』のエリアだった。
「どうしたの? もしかして『むめも』ブロックに興味がある?」
「あ、えっと、色々見て回っていて」
「そうなの」
普通なら広域巡回をする時間ではないのだが、あまり深くは聞いてこなかった。
「ポエさーん、お疲れ様でーす」
「はーい、お疲れ様です!」
通りすがりに知らない女性から声をかけられて返事をする。
「お知り合いですか?」
「今日の『も』ブロックのサークルさんね。受付で仲良くなったの」
「そうなんですか……」
それだけで名前……しかもあだ名で呼ばれるものなのかと思ったが、ポエのスタッフ証に目が留まる。
「あ、名前……」
スタッフ証に大きく『ポエ』と書かれている。
そういえば今回からスタッフ証の名前を、ハンドルネーム表記にできるようになったのだ。
さとりは相変わらずフルネームをぶら下げているが、ポエのようにハンドルネームにしても良かったかもしれない。
「うふふ。可愛いでしょう。サークルさんも呼んでくれるのよ」
「そうだったんですね」
確かに、苗字より親しみが湧くかもしれない。
ポエのようなスタッフにとって、今回のハンドルネームの試みは相性が良さそうだった。
そんなことを思っていると、鋭い声がした。
「帽子のお兄さん!」
誰かと思ったが、隣のポエだ。
別人のように芯のある声だが、音量は大きくない。
まっすぐに飛んだ声は、周囲の動きを一瞬止める。
「走らないで、くださいねっ」
見えない圧があった。
付近の異形も何事かとポエの方を向いている。
道行く人々は一瞬周りに注意を払い、秩序をもって通行にあたる。
混沌としかけた外周通路が、一気に沈静した。
隣のふわふわした女性スタッフが起点であることは間違いないのだが、狐につままれたような感覚だった。
「ポエさん」
「はいっ、どうしたの?」
先ほどの圧力など欠片も感じさせず、ポエは穏やかな笑顔を向けた。
知っているポエが戻ってきたと胸をなでおろし、言葉を待つポエの視線にどう答えるか迷う。
「あの、えっと……しっかり声が出て、すごいなって」
「あら、ありがとう。うふふ。私は私のブロックが好きなの。だから好きな人たちがいる、このコミマを全力で守りたいの」
「そ、そうですか」
ポエに感じていたのは母性に思えたが、その実、違う方向でかなりの迫力がある。
母性は母性でも、まるで子を守る野生の動物のようだった。母は強し、といったところだろうか。ポエは未婚だそうだが。
この人もまた謎が多いと思う。
「どうしたの?」
「えっ、いえ……あの、聞いていいのかわからないんですけど、ポエさんの普段のお仕事は何かなって」
とっさに口をついて出た言葉だが、気になっていたことは確かだ。
「あら、進路を決める年頃かしら?」
「それは……そうなんですが、それとは別に」
「個人的に興味を持ってくれたの? 嬉しいわあ」
ポエは可愛らしく人差し指を口に添えて「んー」と考える。
どこまでも可愛らしい人だと思うのだが、さっきの一瞬の迫力はなかなか忘れられない。
この人もまた、スイッチの切り替えられるベテランスタッフのスキルを持っているということだろう。
「国家公務員、よ。スタッフのみんなには言ってないから内緒ね」
「はい……」
何だかそれ以上聞けない雰囲気を感じ取ったさとりは、穏やかな笑顔の前にただただ頷くのだった。




