第70話 C99冬 3日目 サークル入口
地区本部に来るのは初めてではなかったが、やはり場違いな感じがする。
見るからにベテランの数人のスタッフが、朝から何やら話し合っていた。
「やあ、おはよう。深川さとりさん」
「おはようございます」
入口で中を窺っていたさとりに、田尾手から声がかかった。得体が知れないとはいえ、知っている人の声は安心する。
「お、玉もいるね」
「……見えるんですね」
「ん? そりゃあね」
薄々感じてはいたが、はっきり言われたのは初めてだった。
玉は特に反応を返さない。
「玉さんのことはどう見えていますか」
「そりゃあ」
さとりの目をじっと見返してくる。
「綺麗な狐だよ」
田尾手の答えに、心のどこかで『やっぱり』と思うのだった。
朝に来たときは何もなかったアトリウムに、いつの間にか机でゲートが作られている。
通行証を確認する場所がいくつもあるが、ピーク時にはそれでも列ができるらしい。
まだ入場は始まっていないが、気の早いサークル参加者はもう建物の外で列を作っているのだとか。
「じゃあ次回の練習として、サークル入場の監視をしてみようか」
「監視、ですか」
「牛曰く、入口で人に憑く悪意を見抜くのだろう?」
「そう、言ってました、けど……」
人の悪意など見られはしない。
悪意を好むであろう異形は何度か見たことはあるが。
「大丈夫。練習だよ。感覚をつかんだり、見やすい立ち位置を確認したりね。ちょっとでも怪しいと思った人は、性別と見た目を教えてほしい」
「わかりました」
少し時間には早かったが、サークルの入場を開始したらしい。
「おはようございます! お手元にサークル通行証をご準備ください!」
各サークルの元へと送付されるというサークル通行証。まれに偽物で通行しようとする人もいるらしい。そんな役割を担う十数人の中に、見たことのある顔も混じっている。西1ホールや西2ホールからも借受として人員が出されているようだ。
「ひらがなの『あ』から『な』は西2ホールです! 『に』から『れ』は西1ホールです!」
「おはようございます!」
今のところスムーズに人が流れている。そんなサークル参加者の流れに交じって、異形の姿もちらほら見える。どうも彼らは人の真似をして楽しんでいるようだ。
「……」
元々アトリウムにも異形はいたが、これでさらに増える。
そして開場後は一般入場と共にまたたくさんの異形が入って来るのだろう。
隣に立つ田尾手にはどう見えているのだろう。
反対側に立つ玉はどう思っているのだろう。
「ん……」
その時、入場してくる参加者の中に、黒い虫のような異形を肩に乗せた人を見つけた。
「すみません、あの人なんですが。えっと、灰色のコートの男の方」
田尾手は「そうだね」と短く言って、地区のスタッフと思しき男に指示をする。
指示を受けた男性スタッフはひとつうなずいて、灰色コートの男性に声をかけた。
「すみません、少しよろしいでしょうか」
「はい?」
男は不思議そうな顔をしている。
首周りの黒い異形は、ゆっくりとその位置を変えている。
「手荷物確認をさせていただけますか」
「手荷物? ここで? ……まあ、いいですけど」
「ありがとうございます」
男性スタッフが中を覗き込んで確認するが、特に何もなかったようだ。
「これ皆にやってるの? 怪しい人向け?」
男性は気を害した様子はなく、冗談めかして質問をする。
田尾手がスッと前に出て、協力への感謝を口にしてから説明する。
「ある程度法則性はありますが、皆さんからするとランダムですね。女性にやるのはしんどいですよ」
「なるほど。乱数ってわけね」
「そうなんです。すみません」
「いえ。お疲れ様です」
いい人だった。
疑ってしまったことを少し後悔しながら、さとりは一歩前に出た。
「あ、すみません」
「はい?」
「ちょっと埃が」
そう言って、男性の肩のあたりを払う。黒い虫のような異形はあまり触りたくなかったが、このままくっつけておくのも何となく気持ち悪い。
いつもよりあっさりと落ちた異形は、床に落ちる直前に小さくしなやかな足に蹴飛ばされた。
ぎょっとして思わずその足の持ち主を見る。そこには何事もなかったかのように平然としている玉の横顔があった。
「あっ、と、取れました。一日頑張ってください」
「ありがとうございます。スタッフさんも頑張って」
少し晴れやかな表情になった気がする。
このサークル参加者の一日が、良いものになりますように。
心からそう思いながら、西1ホールに向かう背中を見送った。
「……すみません」
不審者ではなかったことに、謝罪の言葉を口にする。
荷物を確認してくれた当のスタッフは涼しい顔をして、笑っている。
スタッフ証にはハンドルネームらしき名前と、西南地区本部所属であることが書かれている。先ほどの参加者への対応を見てもベテランなのだと雰囲気で伝わって来る。
「いや、これも業務なので」
「空振りを気にして本命を逃すほうが怖いしね」
田尾手もフォローする。
手荷物確認に使った机を見ながら「でも」と続けた。
「入場のピークには人を増やしたほうがいいかな」
じっくり見るのであればそうかもしれない。
もうふたりぐらいは欲しい、と地区の男性スタッフと相談している。
「まあ、そのときはゲートをひとつ閉鎖して……」
そこまで言ったところで、今までとは明らかに違う、濁った黄色い煙を纏った参加者を見つけた。
「すみません、あの男の人をお願いします。えっと、白いマフラー、茶色のコート、リュックは緑です」
「ああ、了解!」
男性スタッフは的確に指された参加者を見つけ、声をかける。
「すみません、少しよろしいですか」
「何? 急いでるんだけど」
いきなり挙動不審になる。
そもそもサークル入場序盤のこの時間に「急いでいる」というのもおかしい。
男性スタッフも同じことを思ったようで、少し表情が険しくなった。
「どちらに急がれていますか」
「か、関係ない」
「いや失礼、皆さんあまり急ぐような時間ではありませんので」
「いいから何?」
とにかく話を切り上げようとしている。
さり気なく田尾手が立ち位置を変え、逃げ道を塞いでいる。
「手荷物を確認させていただきたい」
「は? そんなこと聞いてないけど」
「いえ。アピールにも書いてあります」
「……でも」
「よろしいですね」
最後まで渋る男に、地区スタッフが圧をかけた。静かだが通る声に、周囲のスタッフも注意が向く。
さとりと言葉を交わした時や先ほどの男性の時は温厚そうに見えていたが、このあたり切り替えもまたベテランスタッフのスキルなのかもしれない。
ちょうど人のいなかった入口が一時閉鎖され、通行証を確認していたスタッフがこちらの応援に回る。流れるような対応だ。
「……」
スタッフが田尾手に目配せをし、計四人で荷物を確認する。
アトリウムの空気が、少し緊張感を帯びた。
「……これは?」
「お、終わった後に、友達と新年を祝う」
「持ち込み禁止物ですね。アピールにも書いてあります。別室によろしいですか」
さとりの位置からは何も見えなかったが、中を覗き込んだだけでわかる物、わかる量だったのだろう。
男は観念したのか、項垂れたままうなずいた。
「……わかりました」
荷物を確認した男性スタッフは、数人のスタッフと共に男を地区本部へと連れて行ってしまった。
残ったのは、どこか満足げな表情でさとりを見る田尾手。
「素晴らしい。お手柄だ」
「いえ、あの……」
決して自分の手柄ではない。
少なくとも彼のように荷物を改めることなどできなかっただろう。
不意に、去年の冬コミで由布子に言われたことを思い出す。
『仲間がおるんや。その仲間は組織になってて、助けてくれるんや』
仲間、と言っていいのだろうか。
相変わらず素性のわからない田尾手のことも。
顔を合わせてから一時間ぐらいしか経っていない地区の男性スタッフのことも。
であれば、その一翼を担えるよう、頑張らなければいけない。
「その調子でどんどん頼むよ。これから人も増えて来る。地区本で応援できる体制を作っておかないとね」
「……はい」
静かな決意と共に、さとりはうなずいた。
それからは幸いにも目立った事件はなかった。
サークル入場がひと段落し、ゲート用に置かれていた机が速やかに撤収される。
あれほど入場のサークル参加者でにぎわっていたアトリウムも、今は数えるほどの人しかいない。
ただ、地区のごみが集積される場所はアトリウムにしかないということもあって、ごみ集積所の周辺にはスペースの準備がひと段落したサークル参加者の姿があった。
この時間帯に怪しい人はいないようだ。地区のスタッフから受け取ったホットレモンを口にしながらひと時の休息。
「一般入場が来ますので、ご自分のサークルスペースへお戻りください!」
やがて、ホールに戻るよう大きな声でアナウンスが響き、一般入場の先頭が東へと続くエスカレーターから現れた。
あの列はこのアトリウムで二手に分かれ、それぞれ西1ホールと西2ホールの入口シャッターへとぴたりと付いた。
さとりが立ち位置として選んだのは、二手に分かれる分岐点。恐らく身長が足りなくて奥が見えないため、田尾手が膝ぐらいまでの踏み台を用意してくれた。
『ただいまより、コミックマート99冬、3日目を開催いたします!』
ここでもまた、大きな拍手に包まれた。
入場を待ち焦がれた一般入場者が川のように流れだし、しばらくすると力強い勢いをもってそれぞれのホールに吸い込まれていく。
このあたりの参加者は前日から待機していた人々であり、その本気度が窺える。異形もまた混じっているが、彼らも同じく夜を明かしたのだろうか。
しばらくその濁流を見送っていると、ほんの少し密度が落ちた。そしてその先に、また濁った黄色い煙を目にする。
「あれは……難しいですね」
「どれ?」
「黒い帽子を被った男の人で、今は……」
流れの真ん中あたりにいる。
止めて引っ張り出すのは無理だろう。
諦めかけたその時、
『任せよ』
艶のある声がした。
声がした方を振り向いても誰もおらず「えっ」と思っている間に、その男がみるみる列から押し出され、転がり出るようにして外側に跳ね飛ばされた。
「あっ、あの人です!」
さとりの声に、地区の男性スタッフが素早く反応する。
「失礼、手荷物の確認をさせてください」
「いや今は」
「何か音がしたので」
「チッ」
男はかばんを蹴飛ばすと、スタッフが床を滑るかばんに目を奪われている隙に入場の流れに飛び込んでしまった。
「くそっ……まあ、危険物を置いていったので良しとしようか」
そう男性スタッフが言う。
チラリと見えたかばんには、花火セットのようなものが見えていた。
取り逃がしたのは痛いが、彼の言う通りだ。
おぼろげだった危機感が、輪郭を持った。
明らかに、コミマは狙われている。




