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第67話 C99冬 2日目 惑いのエレン

「おづがぇ、ざど……」


 ホラーな声に驚いて振り返ると、摩耗した歌島小太郎が立っていた。

 

「わっ、コタくん!? どうしたのその声!?」

「ごぇ……だじずぎだ」


 辛うじて読み取れる。

 

「声出しすぎた? え、大丈夫なの? まだ明日もあるよ?」

「ぃまがらゃずむ……」


 本部に向かう足取りは確かなので、体力的には問題なさそうだ。

 もしかして、アトリウムでずっと声を張り上げていたのだろうか。

 ただでさえ乾燥している冬のアトリウム。人が行き交い埃っぽくもなっている。のどがやられるのも必然だった。


「お、さとりちゃんお帰り」

「あの、ユウさん、コタくんが」


 そこまで言うと、由布子は苦笑いを見せる。

 

「あー……アトリウムの流れがちょっと厳しい時間帯があってな。それで全力で大声張り上げとったみたいやわ」

「そうなんですか……」


 やはり無理をしたらしい。

 そんな忙しい時間帯に抜けていたことに、少し罪悪感がある。

 

「まああとは休憩中心で行ってもらうから。明日にはマシになっとるやろ。あ、ところで時間大丈夫やろか。お願いしたいことが……」





 

 見慣れた小部屋は、いつもより雑然としているように見えた。

 ブロックごとに分かれた箱、そこに積まれた同人誌。本が多いブロックのものは、はみ出して積まれている。


「深川さんは説明いらないね」


 さとりをここに連れてきた本部スタッフは、にっこり笑ってそう言った。

 

「ほんとごめんね。外周の混雑が解消しなくて、フュージョン担当になった人が帰ってこれないんだ。ちょうど深川さんが戻ってきて良かった」

「いえ……フュージョンなら私でもできるので」

 

 頼られて嬉しいが、他の人でも良かったのではないかという気もする。

 だが、本部スタッフはさとりの謙遜を一蹴する。


「違う違う。あのレベルのフュージョンは西南だと深川さんにしかできないんだよ! 急で申し訳ないけど、よろしくお願いしますね」


 本部スタッフはそれだけ言うと、足早に小部屋を後にした。監修も必要ないくらいに信用しているようだ。

 

「……よし」


 誰もいない小部屋で小さく気合いを入れる。

 これだけは得意な業務だと言える。しかも今日は巫女装束。深川さとり「プラス」だ。

 

 手を動かしながら、考える。

 本来ならばフュージョンも考えながらやる作業のはずなのだが、何となく感覚でわかるようになってきた。


「西2ホール……」


 明らかに雰囲気がおかしいが、前回前々回と自分がスタッフをやる範囲において関わることはなかった。

 自分のいる『やゆよ』ブロックで手一杯のさとりは、お向かいのホールに足を伸ばすことを考えもしなかった。

 どういうわけか小太郎と東地区には行ったが。

 ……ひとまず西2ホールのことは今は置いておく。


「ふう」


 半分のブロックが済んだ。とはいえ、配置されているサークルの数が少ないブロックだったので、数はまだまだある。

 

「まずは……」


 積まれた本を手に取りながらまた考える。

 今日できることは、もうない。狐には言付けたし、田尾手も当たってくれるようだ。

 今は、もし明日の朝、あの牛には会えたとしたらを考える。


「どうしよう……」


 もう少し、何をすればいいのかを聞きたい。

 あの牛は『見よ』と言った。

 この目が初めて役に立てるのかもしれない。

 とすると、何が見えるのだろう。

 災いは、悪さをする異形によってもたらされるのだろうか。

 だが、良くないものかそうでないものかまではわかる自信はない。そこを頑張れと言うのだろうか。 


「それに、人が多いよね……」


 コミマの参加者は楽に十万人を超える。

 その中に混じっている異形もまた万を超えるだろう。

 それを見てどうするのか。何を見るのか。

 もし悪いものを見つけられたとして、排除するのか。


「うーん……」


 最後の『れ』ブロックの箱を閉じる。

 作業は終わったが、考えがまとまらない。

 とにかく、明日を待つしかない。


「力に、なれるのかな」


 その声は、不安一色というわけではなかった。

 頼られるプレッシャーと同時に、少しだけ、だが確かに感じる嬉しさ。

 小さい頃、神社の仕事を手伝って褒められたような、くすぐったい感じ。

 こんな感覚は久しぶりだった。


 小部屋を出ると、ずいぶん人の流れが穏やかになっていた。

 壁に寄りかかって本を読んでいる人の横から、首だけ長い異形が覗き込んでいる。おそらくもうすぐ帰るのだろうが、持って帰らなければいいなと思う。

 後ろにぴたりと幽霊らしきものを連れている人もいる。元々いたのか、ここで憑かれたのかはわからないが、悪い気配はなさそうだ。

 どうもこの場所では良い異形の方が多いように感じる。だが、


「あっちは……」


 西2ホールに目をやると、うっすらと濁った黄色い煙が漂っているように見える。

 あまり近づきたくはないのだが、コミマの平穏の為にはあれを何とかしないといけないのだろう。




 

『これにて、コミックマート99冬、2日目を終了いたします。お疲れ様でした!』


 

 平穏無事に閉会を迎えたアトリウムは、人も異形も忙しく行き交っていた。ただ、開場時間中のそれぞれ行きたい方向が交わる流れと違い、ほとんどが帰路につくため出口に向かっている。

 その雰囲気も開場時間に比べれば穏やかで、無事に終えられた今日の余韻が漂っている。

 

 ただ、スタッフはそうはいかない。

 まだ明日もコミマは続き、今日のうちにその準備をする必要がある。

 女子更衣室になっているレセプションホールだが、今は一般参加者の更衣室として使われているため混雑しているだろう。女子スタッフの着替え用に開放されている商談室に向かうさとりは、その途中で特徴的な赤毛のスタッフと目が合った。


「エレンさん……お、お疲れ様です」

「ああ、誰かと思ったら深川さんか。お疲れ」

 

 前回の『やゆよ』ブロックから今回西2ホールの所属となったエレンリードは、さとりの巫女装束を特に気にした様子はなかった。

 先ほどふぶきのサークルから見た時はかなり消耗していた。あれは体力的なものだけではないと思う。

 心配するさとりの視線を、エレンは面倒そうに受け止める。

 

「何?」

「いえあの、お疲れのようなので、大丈夫かと」


 エレンはふいと横を向く。

  

「関係ないでしょ」 

「関係、なくはないですよ」


 つい、反論の言葉が出た。

 同じブロックでスタッフをして……いや、この場所にいる時点で関係のない人などいない。

 コミマを楽しみ、そして繋げるという同じ方を向いている仲間のはずだ。

 スタッフ歴どころかコミマ歴すら短いさとりでもそう感じられる。


「な、何よ」


 思わぬ反論に、エレンは少し驚いたようだ。

 確かにエレンからすれば、この間の夏コミと少し違うように感じるかもしれない。

 今は巫女装束。深川さとり「プラス」だ。

 

「すみません。その、西2があんまり良くないって聞いたので」


 少々ぼかした言い方をしたが、エレンには十分伝わったようだ。

 

「噂通りかってこと? お生憎様。のびのび快活にスタッフ業務させてもらってるわ」

 

 嘘だ。

 もしそれが本当なら、もっと楽しそうに言うはず。

 疲れているのかもしれないが、それ以上にどこか自虐的にも見える笑い方ですぐわかる。

 

「エレンさんがやりたかったこと、やれていますか?」

「……ええ」

 

 どうして嘘をつくのかわからない。

 西2ホールで見かけたエレンの表情は、少しも楽しそうではなかった。

 

「じゃあ、もういいかしら」

「あっ、はい……すみません」


 ゆらり、と背中で揺れる異形が見えた。くすんだ白い紐のような、糸のような細長い異形。

 これの影響を受けているのだろうか。

 

「あの、西1に戻って来ないんですか」

「……わからないわ。そんなの」


 返事までに時間があった。迷っているのだと思う。

 

「あの、西1には、エレンさんを待ってる人がいっぱいいます。それだけは、伝えたくて」


 自分がそうだったからといって、エレンもそうとは限らない。だが、頼られた時の胸の高鳴りと、周りがサポートしてくれた時の安心感は、会場の外でもずっと自分を支えてくれる。

 自分の知る西1ホールは、そういうホールだ。だから、エレンにも戻ってきて西1で楽しくしてほしい。

 

「そう……」


 だがエレンは力なくそう口にするだけだった。

 さとりに背中を向けて、西2に戻ろうとする。

 

「考えとくわ」


 小さく聞こえたそれは、前向きな返事と思っていいのだろうか。

 エレンの背中でゆらゆらする異形を掴もうとしたが、するりとすり抜けてしまった。

 もう少し触れていないと、離れてもくれないだろう。九条なら、祓えたかもしれないが。


「エレンさん……」


 さとりは自分の手をぎゅっと握りしめ、その背中を見送るのだった。

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