第65話 C99冬 2日目 西2のやっていること
品出しがひと段落し、サークルスペースから机越しに会場を見る。
思えばこちら側からの景色を見るのは初めてかもしれない。行き交う人々はやはり楽しそうで、たまに混じる異形たちの足取りもどこか軽い。
ただ、一部スタッフに憑いている異形の様子だけが気がかりなのだが……
スペースの横から女性の参加者に声をかけられた。
「やほ、深川ちゃん」
「牛込さん」
同じ『やゆよ』の牛込だった。
スタッフ証は外していて、完全にオフの状態である。
「歌島ちゃんから聞いてさ、見に来ちゃった。あ、一冊くださーい」
さらっと一冊購入してしまう。
あの表紙の本を買われるのはさとりとしては複雑なのだが、ふぶきのサークルなので何も言えない。
「ブロックは大丈夫なんですか?」
「うーん、大丈夫じゃない。このあと私が東に行く余裕はあるみたい。あ、話して大丈夫だった?」
「多分」
ちらりとふぶきの方を見ると、ちゃんと聞こえていたようで小さく頷いた。
「別に構わないわよ」
「すみません」
ふぶきの配置が端だったことも幸いし、ふたりはスペースから半分ほどずれ、頒布に影響が出ないようにする。
「売り子どう? 楽しい?」
「えっと、まだ十七歳で頒布のお手伝いできなくて」
「あっ、そうじゃん!」
とはいえ、サークルスペース内の細々した作業は手伝っている。
「あっ、エレンさん」
「ん? あ、本当。ちょっと疲れてるねえ」
目の前の通路を歩く三人組のスタッフ。その中に目立つ顔立ちのエレンがいた。しかし、どこか元気がないように見える。引き寄せてしまったのか、足元と首回りにまとわりつく異形もいる。
それよりも隣のスタッフの男。あの後ろに憑く妙な異形は何だろうか。
男性スタッフ同士で楽しそうに話している。
「いやー、今日も楽勝だったな」
「あー、メスどもは走らねえしな」
「普段走ってないから怪我すんだろ。ちゃんと理解してるから無理しないんだろ」
「ははっ、そうかもな……おっと、そろそろ『回収タイム』か?」
「あー、そうなんだけど今日はまだ人が多いな。ったく、早く帰れよな」
さとりはその会話が理解できず隣の牛込を見ると、憤怒の表情で男性スタッフを睨んでいた。
「……何あいつ。スタッフ証見てやろうか」
「う、牛込さん!」
立ち去る三人組を見ていたが、後ろを歩く男の足元に、イタチのような異形が転がり出た。
「えっ」
しかし、男はひょいとそれを避ける。まるで、『みえ』ていたかのように。
「一般参加者をあんな風に言うなんて、信じられない……何考えてるの」
隣で牛込が怒りをあらわにしていた。
そこまで言われて、ようやくさっきの会話が参加者を指すものだと気がついた。
しかしさとりは、後ろを歩いていた男の動きの方が気になっていたのだが。
「このホールは、いつもあんな感じよ」
「えっ……」
ふぶきは感情の消えた声で、ただそう言った。
「台車通りまーす」
突然、サークルスペースに台車が入ってきた。
それはふたり組の男性で、少なくともサークルのお手伝いと言う雰囲気ではない。
何より……
(黄色い煙?)
片方の男の背中に、うっすらとだけ黄色い煙が見えたような気がした。
「どもー、お疲れ様です」
男はそう言うと、ちらりとスタッフ証を見せる。
「えー、こちら今日は新刊十五冊ですね」
「……ええ」
ふぶきは箱の上に置かれた本の束を手渡す。
スタッフの男性は当然といったようにそれを受け取り、台車の箱の中に入れる。
「はい確かに。どうもー」
そして、隣のサークルに対しても同じようなことを始めた。
「あの……ふぶきさん、お金は」
「……」
さとりの言葉に答えない。見本誌でも何でもなく、無料で十五冊の本を渡す……
濁った黄色い煙の気配を散らしながら、サークルの本を次々と回収していく。
あれは何なのだろう。目の前で見ていたのに、理解が追いつかない。
牛込もまた絶句していた。あまりの異様な事態に、先ほどまで見せていた怒りが消し飛んでいる。
「このホールは、いつもあんな感じよ」
そんなふたりを見て、ふぶきはさっきと全く同じセリフを口にした。
「一冊お願いします」
「はい。ありがとうございます」
「……中で話しましょうか」
まだ断続的に購入者がいる。
スペース脇とはいえ三人でいると邪魔になってしまう。
「深川さとりには前回少し話をしたわね」
そう。さとりは聞いていた。
このホールでスタッフがサークルに本を納めさせていることを。聞いただけでは意味がわからなかったが、目の当たりにしてようやく理解できた。
「このホールではね、特定のサークルがスタッフに新刊を上納しているのよ。お金は……どうだったかしら。最初は払ってくれていたと思うけど」
「そんなこと……」
本当に本が欲しいスタッフもいるのかもしれないが、ふぶきから見ればただで本をもっていかれているだけ。
後日ネットで出品されることも多いが、そのうちのいくらかは、今のように渡した本だと思っているようだ。
「あまりコミマのことを知らない初参加でかつ実力のあるサークルに目をつけて、配置や当落を有利にするのと引き換えにね。だから、サークル側にもメリットが全くないわけじゃない」
それに釣られてしまったのよ、とふぶきは吐き捨てる。当選を続け、良いスペースに配置される。だがそれは正規ではない手段であり、後ろ暗いことだった。
「そしてそれは罠でもあった」
「罠?」
「あいつらの権限で、いつでもブラックリストに載せられるそうよ。その後の当落はわからないって言われたけど、拒んだいくつかのサークルはそれ以来コミマで見てないわ。そんな前例があるから、私たちは黙って従うしかないの」
「そんなことって……」
「甘い言葉に乗った私たちが悪いのだけどね。渡せば確実にスペースがもらえるし」
いつの間にか共犯になってしまったサークルは口をつぐみ、背徳の配置で同人誌を頒布する。口止めの本を上納し、また次回の参加を約束される。
鉛のように甘く重い毒が、西2ホールを覆っていた。
「深川さとり」
ふぶきはさとりの名を呼び、居住まいを正す。
「一年前の冬コミで、私の受付をしてくれて、ありがとう。そして、ごめんなさい」
「ど、どうしたんですか」
「前の冬コミでどういうわけか西1に配置されて……でも私はコミマスタッフ全体がああだと思っていたから、良くない態度を取ったわ」
「いえ、そんな……」
どんな言葉をかければ良いのかわからない。
『スタッフは準備会を代表しているつもりで参加者対応する』
基本として教えられたことだが、では今目の前にいる彼女に何と声をかければ良いのか。
準備会を代表して謝罪? それとも、スタッフ証を外している今は、一緒に憤るのが正解?
困りきって助けを求めようと牛込に目をやるが、同じように固まっていた。
「一体、西2は……」
抑えた声が震えている。
一度西1に戻るべきかと思っていると、別の方から会話が聞こえてきた。
先ほどエレンと巡回をしていた男性ふたり組である。
「やっぱ西1出身は軟弱だな。休憩多すぎだろ。ま、顔は良いから許してやるけど」
エレンのことを言っているのだとすぐにわかった。夏コミであれほど生き生きしていたエレンが軟弱? 何を言っているのだろう。
「そういやお前も前回西1だったんだろ。どうだったよ」
「つまんねえ良い子ちゃんホールだよ。旨味も楽しみもねえ。あ、女はレベル高かったかも」
「和服のキツそうな女だろ」
「いやいや巨乳のブロック長がいてさあ。まあ見た目だけだけどな」
思い当たる人物がいる。思わず牛込と顔を見合わせた。
サークルに聞こえるような声で、品評会が始まる。どうも話を聞く限り、ポエを西1ホールに誘ったものの断られたようだ。それで陰口で憂さ晴らしをしているらしい。
「あいつら……」
握りしめた手が震えている。
そんな憤怒の牛込を見て、さとりは逆に冷静になることができた。
「牛込さん、落ち着いてください。今私たちでどうにかなる話じゃありません」
「でもっ……!」
ふと思い出す。西1と西2は人材交流をしていたはずだ。
普段からあのような言動があるなら、西1ホールのスタッフも知らないはずがないと思うのだが……
怒る牛込を抑えつつ、何とかふたり組の男性スタッフをやり過ごすことができた。
「牛込さん、まずは大塚さんに相談しましょう」
「……そうだよね。ありがとう、深川ちゃん。頭冷やせた」
「いえ、あの、私も同じ気持ちだと思います」
さとりが精一杯笑顔を作ると、ようやく牛込からも力が抜けた。ゆっくり息を吐き、首を回して気持ちを切り替える。
「ごめん、東の知り合いに挨拶行くから、また深川ちゃんも戻って来たら一緒に大塚さんに話しに行こう」
「わかりまし……あっ」
牛込の後ろを通り過ぎるひとりの男性スタッフに、思わず声を上げた。
「クラマさん」
「はい! ん? 失礼、どこかでお会いしま……あ」
数秒遅れて気がついた、クラマこと蔵前。
「ちょ、ちょっと深川さん、こんなところで何をやってるの!?」
焦った小声でさとりに詰め寄る。
よほど意外だったのか、落ち着きなくキョロキョロと周りを見回す。
「サークルのお手伝いですけど……」
「お手伝いって……『ポジティブ大渋滞』で?」
「はい……」
奇しくも一年前に蔵前とこのサークルの受付をしたのだった。ずいぶん前のように感じる。
「お疲れ様です、蔵前さん」
「げっ、牛込さんまで」
偶然なのだが『やゆよ』の関係者だけが三人集まってしまった。
そんな様子を牛込の後ろに立つふぶきが無言で見ている。
「えっ、ふたりともこちらと知り合いだったの?」
「だったというか、なったというか……」
「そうなんだ」
蔵前は今回も西2の所属になっている。このあたりではないブロックの副ブロック長のようだが……
先ほど聞いてしまったような西2スタッフのことは知っているのだろうか。
思えば前回の夏コミで、ふぶきから話を聞いた後に、蔵前とも少し話したのだった。
何か知っていそうな雰囲気ではあったが。
ふぶきの視線を感じる。
サークルにとって、このホールは……
「それであの、蔵前さん」
さとりは意を決して口を開いた。




