第64話 C99冬 2日目 邂逅
さとりは商談室への階段からアトリウムで行き交う人と異形を眺めている。コスプレの中には異形のようなものをくっつけていたり、異形そのもののような造形の人もいて少し紛らわしい。
とはいえ、目当ての二足歩行する狐については人に真似できないし、異形の中にあってもよく目立つ。
それだけに、これほど探して見つからない現状に焦燥感が募る。
落ち着きなく視線を動かしていると、
「深川さとり」
階段の下から呼ぶ声が聞こえた。
「あっ、白……ふぶきさん」
「本名を呼びかけたわね……」
呆れ顔の女性は、サークル『ポジティブ大渋滞』の『ふぶき華夜』だ。ここにいるのは白河ではない。
「今回もスタッフなのね。お疲れ様」
なぜ階段を上がってこないのだろうと思ったが、そもそもスタッフ以外は立ち入り禁止になっていた。階段の下はコーンとコーンバーで仕切られている。
とことこと階段を降りると、ふぶきが物珍しそうにさとりを眺めていた。
「その格好は」
「えっと……私の、勝負服です」
「そう」
階段二段ほど高いさとりを、やや見上げるような体勢のふぶき。
「休憩?」
「そういうわけではないんですが……」
言葉を濁すさとりを見て首を傾げるが、特に深く追求するつもりもないようだ。
ふぶきは「ところで」と前置きして、またさとりの全身を下から上へと見やる。
「この間話したことなんだけど……」
何だっただろうかと思い出そうとするが、コミマでは色々ありすぎて、すぐには思い出せない。
そういえばふぶきと初めて出会ったのが去年の冬コミだった。一年はあっという間に過ぎる。
「良かったら売り子に来ない?」
関係ないことを考えていたが、ふぶきの話が続いていた。いつの間にか表情は曇っており、それが楽しい話ではないことを暗に示す。
「売り子ですか」
「もうそんなに忙しくはないわよ。ああ、スタッフ証は外してね」
聞けば、今回も西2ホールの配置だという。
ああ、そうだ。西2ホールのスタッフが、サークルに本を納めさせているという話だった。
さとりからすると意味がよくわからないのだが、それに関係するのだろうか。
「……多分大丈夫です」
「そう。待ってるわ」
スタッフとして、その目で見に来いということだろうか。
「あ、さとりちゃんお疲れさん。お昼来てるし、大丈夫そうやったら食べてまいや」
「わかりました。あの、ユウさん、休憩なんですが……」
「うん? どないしたん?」
少々言い出しにくいが、黙って西2へ行くわけにもいかない。
「あの。知り合いのサークルのお手伝いを、少し……」
「ほいほい。今日はもう混雑もないやろし、明日に向けて温存しといて」
あっさりと受け入れられた。
拍子抜けするさとりに、由布子が笑う。
「コタから聞いたで。アトリウムで結構頑張ってくれたんやろ。探しもんもそれはそれで疲れるやろし、ちょっと気分転換しぃや」
由布子の気遣いに感謝しながら、お弁当を受け取る。今日はサンドイッチがなく、がっつり系のお弁当が多いようだ。
(人がいっぱい……)
ホール本部の後ろにあるスタッフ控室は、順次お弁当を食べるスタッフが多く混み合っている。
少し遠くなるが商談室で食べる方がゆっくりできるだろう。
アトリウムに出て、先ほどまでいた階段を上がる。
小太郎の姿はなかったが、借受の時間は終わったのだろうか。
スタッフ以外立ち入り禁止のコーンバーを避け、階段を登ろうとすると、先に誰かの気配があった。
「あ……」
顔を上げて思わず声が漏れる。
あの狐がそこにいた。
階段の上と下で、見つめ合う……いや、
(手元を見てる? お弁当?)
狐の視線は少し下に向かい、そこにあるのは弁当……黄色を基調にしたパッケージのシウマイ弁当だった。
「あの」
当然黙っている狐に、声をかける。
今日一日探し回っていた異形に、こんなところでばったり会うとは。
「えっと、食べたいもの、ありますか?」
商談室で正対するさとりと狐。
「……」
果たしてあれで正解だったのかと不安になる。
相変わらず狐の反応は薄いが、何と商談室までついてきた。
誰もいない商談室のカーペットに腰を下ろし、お弁当を開く。
狐はその様子をじっと見ているようだ。
(ちょっとやりにくい……)
幸い商談室には誰もいない。ほとんどのスタッフはホールを出て階段を上がるより、本部裏の控室でお弁当を食べる。
「……いただきます」
視線を感じながら、とりあえず箸を取る。
たくさんあるシウマイやご飯はとりあえず食べて良いだろう。さとりがいくらか口に運んでも特に反応はない。
(うーん、食べづらい……)
狐は弁当を凝視したままで動かない。食べたいものがありそうな気はするのだが、さとりの箸は進んでも反応を見せない。
やがて米もなくなり、おかずもなくなり……残すところは最後の……
「あっ」
それをつまんだところで、初めて狐の視線が弁当からさとりに向いた。
「これ、ですか?」
目が雄弁に語っている気がした。とりあえず差し出してみようかと裏返しにした蓋の上に置く。
さすがに床置きで食べてもらうわけにはいかないので、顔のところまで持ち上げてみた。
「あれっ」
ほんの瞬きの間に、杏が消える。
落としたわけでもない。よく見ると狐が咀嚼しているようにも見える。
「良かった」
どうやって食べたのかは全くわからないが、とにかく食べてもらえたと思って良いだろう。
「あっ、そうだ」
杏を食べてもらうために狐を探していたのではない。
「あの牛さんに、できれば明日またお話したいとお伝えいただけますか」
狐はさとりのことをしばらくじっと見て、くるりと踵を返す。表情が変わったようには見えない。
何かあるかと背中をずっと見ていたが、そのまま振り返りもせず商談室を出ていってしまった。
伝わったのかどうか、最後まで確信が持てなかった。
アトリウムでスタッフ証を外し、一見ただの巫女のコスプレになる。
西2ホールはいつもいる西1ホールと対称な配置であり、見た目はほとんど変わらない。
だが、雰囲気が少し違うように思えた。
ひとまわり見渡すが、あの黄色い煙は見えない。
この間の夏コミで見えたような気がしたのだが……
ふぶきの配置は、西2の外周『あ』ブロック、アトリウム側。その机の列の向かって右端だった。
「ふぶきさん」
「あら。来てくれたのね。ありがとう」
「お疲れ様です。それであの……」
しまったなあと思いながら、ふぶきのサークルスペースを見る。
その気まずい視線をどう受け取ったのか、ふぶきが手伝いと思われる女性に紹介している。
「ああ、私の知り合いで、ちゃんと任せられる子よ。見栄え良いでしょ」
ふたりの女性は手を止め「はじめまして」と笑顔を向けてくれる。
さとりも「よろしくお願いします」と会釈した。
「新刊はもう少しで完売するし、既刊はそんなに買いに来る人はいないわ」
「えっと、あのう」
「あ、値段ならここに値段表が」
「いえあの、私が売り子できない本で」
そう言ってはみたが、ふぶきには伝わらなかったようだ。怪訝な顔をしている。
「えっと……今回のふぶきさんの本なんですが」
表紙が巫女装束の女の子である。それだけなら良かったのだが……その子はあられもない姿で顔の良い男性に後ろから抱きすくめられ、ぎゅっと目を閉じている。
そして隅にある『R18』の表示は、成年向けであることを示している。
どうして巫女装束の子をえっちな目に遭わせたがるのだろう。
「何? 巫女エロ本の売り子はしたくないって? 髪型が違うし大丈夫よ。気になるなら変装用の伊達メガネでもかけてみる?」
そう言ってどこからか取り出したメガネを見せる。
さとりは首を振って、本題はそこではないことを口にする。
「いえあの、したくないというか、できないというか」
「じれったいわね。はっきり言いなさいよ」
「あの、まだ十七歳なので……」
「あ」
突然ふぶきの動きが固まった。
やがてギリギリと首を動かし、表紙を見て、さとりを見て、また表紙を見る。かと思うと、ぎゅっと目を瞑って天を仰いだ。
「やだ。そういうこと!? もう早く言ってよ!」
ふたりのサークルの女性からもじっと見られ、視線が泳ぐ。
「あ、あー……えっと、じゃあ、と、とりあえずダンボールを畳む手伝いをしてもらって、えっと……」
そんなふぶきの様子を、手伝いのふたりは楽しそうに見ている。
「ふぶきさんや、やってしまいましたなあ」
「まさか未成年にエロ本を売らせようとするとはねえ」
「うるさいな!」
ふぶきはぷりぷりしているが、ふたりとも笑っている。仲は良さそうだ。
さすがにあの表紙の本だと、売り子よりもこちらの方が気が楽かもしれない。
「……じゃあ次、ゴミの分別をお願い」
「わかりました」
ゴミ箱代わりにしていたと思われるダンボール。その中にある紙ゴミとペットボトルを分けていく。
「せっかく手伝いに来てくれたのにゴミの分別とか」
「し、仕方ないでしょ! ……あ、ごめん。箱から新刊出して。それが最後だから。無くなったら完売ね」
「はいっ」
ふぶきが言っていたように列ができるような状態ではなかったが、立ち寄る人の姿は途切れることがない。
「ふぶきさん、この本はどうしますか」
箱の上に置かれた十数冊の本。新刊だとは思うが、ここに置いていて良いのだろうか。
「それは……そのままでいいわ。あまり触らないで」
「わかりました」
立ち読みで終わる人もいれば、購入していく人もいる。
幾人かの視線がこちらを向いていたのは気になったが、目立つ格好なので仕方ないだろう。
さとりはあえて気にしないようにしながら、目の前の作業に手を動かす。
そして、ふぶきがさとりを呼んだ理由に遭遇するまで、そう時間はかからなかった。




