第63話 C99冬 2日目 広域巡回
練習させてもらった長崎に礼を言うと、さとりは改めてトラックヤードを眺める。
ホール側にも外側にも列が並べられ、広いはずのトラックヤードがやや手狭に感じられた。
ホール側の列は短く、投影場所がよく見える。
どうやら今の時間、近くで見るのは異形だけのようだ。ぱっと見た限り、狐の姿はない。
「どこにいるんだろう……」
前回の夏コミで牛がいた場所も見るが、やはりいる気配はない。
足元をちょろちょろと動く小さい異形の姿を感じながら、さとりは足を踏み出そうとする。
(そういえば……)
不意にあの牛の言葉を思い出す。
『声を上げよ。さすれば小者らも意を汲まん』
「あっ」
前回の夏コミの、スロープ下でのことを思い出す。あの時、異形たちが流れの整理を手伝ってくれていたように見えた。
もしかすると、呼びかければ今回も……
さとりは投影場所の前まで移動する。
「あの、狐さんか牛さんを、知りませんか」
数体の異形がちらりとこちらを見た気がするが、投影の方が大事のようだ。注目を集められた感触はない。
(あっ、そうだ)
さとりははたと気づく。そもそも問いかけたところで、さとりには彼らの声が聞こえないのだ。
思い直して言い方を変える。
「もし狐さんを見つけたら、私が探していたことを伝えてください」
先ほどより声を張ってみた。今回はちらほら反応があった気がするが、やはり投影の方が大事なようで、それ以上の反応はなかった。
「深川さん、何かあった?」
「んっ、長崎さん!」
急に声をかけられ、びくりと身体が跳ねた。
「いや、その、何でもないです!」
見られただろうか。聞かれただろうか。
今の時間あまり人がいないこともあって、声がよく届いてしまったのかも知れない。
何とか誤魔化そうとする。
「あっ、だっ、誰もいないので発声練習を……」
「あはは、ここで? 大丈夫大丈夫、さっきもちゃんと声出てたから!」
「だ、だと良かったです」
なぜか恥ずかしい。
長崎は愉快そうに笑って、ちょいちょいと自分の見ている列を指す。
「ここで発声練習しなくても、本番で練習できるよ」
「あ、だ、大丈夫です。また次の場所を見に行くので!」
「そう?」
ちょっと残念そうな長崎だったが「気をつけてね」とさとりを見送ってくれた。
先ほど切り貼りをした列まで来たとき、長崎の方を振り返る。一分も歩いていないはずだが、思った以上に姿が遠い。
さとりが見ているのに気づいた長崎が、右手を挙げて挨拶をしてくれた。さとりは何となく会釈で返す。
(こんなに遠く……)
声を聞かれたことは恥ずかしかったが、それを聞きつけて何かあったのかとこの距離を駆けつけてくれたのか。
悪いことをしたと思うと同時に、心強さも感じる。
(声を上げるって、こういうことなんだ……)
長崎と同じように、異形たちも助けてくれるのだろうか。
それはまだよくわからない。
アトリウムに出たさとりは、入場と東からの人の流れに目を見張った。
もはや人数の概算を数えることもできないほどの人の密度だが、流動性があるので見た目にすごい迫力になっている。
出てすぐのところで、小太郎が大声で誘導していた。そういえば午前中アトリウムの借受だった。かなり大変そうだ。
「現在企業へは西1ホールの外から行けまーす! 外に出てスロープへ進んでくださーい! 南へは西2を進んでくださーい!」
「コタくん」
「ん? おっ、サト、お疲れ様。どんな感じだ?」
少しのどにダメージを感じる話し方だ。大丈夫だろうか。冬コミの空気は乾燥していて、声を張り続けるのはきつそうだ。
そんな大変な中、異形を探し歩いているさとりだが、成果はない。
「うーん……あんまり」
「そうか。無理しないようにな」
「うん……」
でも、無理をしないとコミマが終わるかも知れない。
災い。
それを見抜いて、避けなければいけない。
ただ、今のままではあまりに抽象的すぎる。
「すみません。帰りたいんですが、どういうルートで行けば良いですか」
少し体調の悪そうな参加者が、小太郎に聞いてきた。
何かふわふわしたものが顔の周りを覆っている。異形だろうか。
「あそこが東に行く流れなんですが、出て右に曲がる前に列から抜けると駅方向に行けるので……あの流れのなるべく左に寄っていると帰りやすいみたいです。迷ったらまたスタッフに聞いてみてください」
淀みなく答える小太郎。
立ち姿も堂々としていて、頼もしく見える。
「わかりました。ありがとうございます」
「あっ、ちょっとすみません」
「はい?」
良いものか悪いものかわからないが、少し視界が悪そうだ。
さとりは手を伸ばし、参加者の耳のあたりを手で払う。
「ほこりか何かがついてるので……取れました」
素直にどいてもらえた。
ふわふわの異形はアトリウムの床に落ち、遊ぶように跳ねながら人混みに消えていった。
「ありがとうございます。気づかなかったです」
「いえ、お気をつけてお帰りください」
その参加者は少し晴れやかな顔になって東への流れに向かっていった。
激しい人混みではあるが、晴れた視界ならば大丈夫だろう。
「何かいたか?」
「うん」
小太郎は「そうか」とだけ言うと、それ以上何も言わなかった。この距離感がとても有り難く感じる。
「あー、ところで」
「うん?」
スタッフ帽子を直しながら言葉を探している。
どうしたのだろうか。
「……巫女の格好、目立って良いよな」
「うん」
特に冬コミは黒系の上着を着た人たちが多く、紅白の巫女装束はとても目立つ。
さらにスタッフであることを示す帽子と腕章が加わると、スタッフを探す参加者にとっては助かるだろう。
考えてみれば、スタッフが目立つことは良いことだ。
「えっと……か、格好良いな」
「ありがとう」
よくわからないが、褒めてくれているようだ。
少なからず愛着のある衣装。素直に嬉しい。
「そういえば、何か探してるって」
「あ、うん……」
小太郎はさとりが『みえる』ことを知っているが、今回のことを詳しく話してはいない。
少し心苦しさを感じている。
「それなら、階段の上からの方が探しやすいんじゃないか?」
「あ、そうだね」
こうやって、助けてくれるのに。
スタッフが休憩できる商談室への階段で、さとりはひとつ息をつく。
「どこにいるの……」
きっと今日もまた、十数万人が来場するのだろう。そして人間との比率を考えると異形も万単位で来ていてもおかしくない。
そんな中から……いや、見つけ出さなければならない。
弱気を抑え、改めてアトリウムに目をやろうとした時、穏やかな声がかけられた。
「おや。深川さとりさんじゃないか。どうかしたのかい」
地区の田尾手だった。
この入場で慌ただしい時間にこんなところをうろついているなんて……と思うが、我が身を思い出すと全く他人のことは言えなかった。
「お疲れ様です、えっと……探し物を」
「探し物ね。もしかして、夏コミで君が見た牛のことかい?」
「えっ」
「図星のようだね」
涼しげな笑顔が何となく怖い。
前回夏コミで牛のことは話した。当てられてもおかしくはないのだが。相変わらず人となりが掴めない。
「会ってどうするんだい?」
「もう少し……詳しく話を聞きたくて」
「うーん……」
田尾手は少し考えているようだ。
よく見ればスタッフ証の名前が田尾手ではない。よく読めないが難しい漢字ふた文字のようだ。ハンドルネームだろうか。
「じゃあ、僕からも当たってみよう。明日ここに来るといい。そうだな……朝来た時間で良いよ。できればお酒と器があるといいなあ。何時頃の電車で来るんだい?」
「えっ……あの、ホテルからのバスで」
「ホテル?」
「あっ……」
言ってはいけなかったかもしれない。さとりはホテルの宿泊者ではないのだから。
「ああ、リングス宿泊スタッフのバスか。なるほどね。わかった」
「その……」
何か言われるだろうか。
地区に所属しているということは、ホールのスタッフと違って管理者のようなもののはずだ。
不正だと言われるかもしれない。
「じゃあその時間にね」
「えっ……?」
だが田尾手は気にした風もなく、階段を下りようとする。
「うん、どうかした?」
「あの、良いんですか?」
田尾手は変わらず笑顔だったが、少しだけトーンが落ちる。
「……はっきり白黒つけたい?」
思わぬ圧に、息を呑む。
さとりは辛うじて小さく首を横に振る。
「世の中、案外白黒つけなくて良いことの方が多かったりするんだよ。特にここではね。じゃ、また明日」




