閑話 冷たく静かな西1ホールで
早めのコミ印チェックをひと通り済ませ、翌日分の搬入荷物に異常がないことを確認した、ブロック長会議までの時間。
「何を言い出すんや。藪から棒に」
「真面目に聞きよし」
「お前が言うか!?」
本部から少し離れた『よ』ブロック。一見険悪な雰囲気のふたりは、歌島由布子と九条静女である。
声が届いたスタッフの多くは一瞬目をやるが、このふたりの関西人はいつもきつめの言葉でやりあっているため「またか」とスルーされる。
そんな中、近くにいたポエこと百々詩音が近寄ってきた。なお今回のコミマからスタッフ証への記載がハンドルネーム可となったので、会場内では名実ともに『ポエ』となっている。
「どうしたの?」
ふわりと平和な声が、ほんの少し空気を和らげる。由布子はポエに感謝の目を向けるが、九条は特に反応しない。
「ポエ、聞いてや。九条がうちのブロックのシフトに口出ししよるねん」
「ひとりぐらい動かせますやろ」
険のある声。
いつもと少し様子が違うように感じたポエだが、九条は由布子から目を離さない。
色よい返事が聞けるまで食い下がらんとする雰囲気がある。
「いやブロック員も急に言われたら困るし、本部にも言わなあかんし手間やがな」
「ちょうどええわ。これからブロック長会議やしなあ。ええから言う通りにしなはれ」
「あんたな……」
そろそろ我慢の限界と言わんばかりに、一歩踏み出そうとする。
しかしポエが先に割り込んだ。
「九条さん、さすがにそれではわからないわ」
「百々はん……」
「理由がないと応じられないし、逆に理由があれば考慮できるわ。同じブロック長なのだからわかるでしょう? それから、百々はやめてね」
「……」
ポエが誇らしげに掲げるスタッフ証を無視しながら、九条は考え込む。
納得しているのかいないのか、難しい表情のまま九条は口を閉じている。
もうしばらく反応はなさそうだ。
「ユウちゃん、何があったの?」
「こいつがうちのさとりちゃんを外周の借受に出せ言うて」
意外な名前が出てきて、キョトンとするポエ。
「さとりちゃんを?」
ポエは頬に手を当てて、明日の外周の状況とさとりのことを思い出す。
「こう言っては何だけど……さとりちゃんは、混雑対応には向いてないと思うわ」
ポエも由布子寄りの意見になりそうだが、ようやく九条が口を開いた。
「探しものが、ありますのや」
「探しもの?」
ポエと由布子は顔を見合わせるが、お互いに心当たりがなく首をかしげている。
「それはあの子にしか見つけられへん」
「落とし物? それなら……」
九条がゆっくり首を横に振る。
探しものだが落とし物ではない。何だろう。
「あの子、目がよろしやろ。あの子にしか探されへんもんを探さなあかん。それは多分、ホールの中やと見つけにくい」
「……」
ようやく理由らしきものが出てきたが、それにしても抽象的な言葉しか出てこないので実体が掴めない。
「それは誰も手伝えないの? 探しものならみんなで探したほうが……」
再度首を横に振る。
どこか無念さを滲ませながら、九条が小さく息をついた。
「わてならある程度は……でも、あの子には敵わんのや」
絞り出すように、そう言った。
そんな九条を見てふたりは再び顔を見合わせる。お互いに困惑の表情を見せ、そして相変わらず掴みづらい九条の言葉の実体が理解できない。
「……頼んます」
深く頭を下げた。
そこまでする九条を見たことがない。
ポエも目を見開いて驚いているが「どうするの?」と言うように由布子を見る。
(言い方はともかく、まだ一応こっちに選択権は残しよるんよな……)
搬入の車も出払った西1ホールは、また明日を待つ静寂に包まれている。
そんな中、
「はあ」
という由布子のため息が妙に大きく聞こえた。
(何もわからん)
理由を言えない深川さとりの外周行き。
引き下がる気配のないほどの、だが他の人には言えない事態。
あの九条が頭を下げている。
ここまでされるのならば、九条の望みを叶えてやるべきなのだろう。
そして何より、由布子自身の『勘』がそうしたほうが良さそうと告げている。
「……腹立つわ」
口をついたそれは、何に対してだったのだろう。
もしかしたら由布子自身に向けてのものだったのかもしれない。
「何か知らんけど、そないした方がええんやろ……頭下げなあかんぐらいなんやし」
返事はない。
表情も見えない。
「九条。顔上げえ。話しにくい」
ゆっくりと顔を上げた九条の表情は硬い。
「理由、私には言われへんのか」
「……」
首を振る。
ちらりとポエを見ると、由布子に小さく首を振った。言いたくないことを言わせてやるなということだろう。
「……はあ。他の調整もあるから、ちょっと考える。とりあえず今はそれでええか」
九条は硬い表情のまま、ゆっくり頷く。
また皮肉でも飛んでくるかと思っていたのだが……
「しゃべれや。調子狂うやろ。ぼちぼちブロック長会議も始まるさかい、本部で温いもんでも飲んどけ」
「……よろしゅう」
ぽつりとそれだけを言う。
憎まれ口のひとつさえも、最後まで出てこなかった。
本部へと戻る後ろ姿こそ、いつも通り背筋を伸ばし、足取りも確かで凛としているのだが。
その姿を複雑な気持ちで見送っていると、ふわりといい香りがした。
ポエが寄り添ってくれている。
「ポエ……」
「ユウちゃん」
隣接するブロックの女性ブロック長三人組。
お互いの住まいが離れていることもあり、コミマの外で会うことはないが、それなりに長くこの西1ホールで助け合ってきた。
つもりだった。
「そんな信用ないんやろか、私。まあないか」
自虐的に笑う。
数少ない関西のノリを理解してくれる仲間、だと思っていた。少々きつめのやり取りも、コミマでは良い刺激だと思っていた。
九条はそうではなかったのだろうか。
「これでもまあまあ、ちゃんとしとったつもりなんやけどな……」
ああも露骨に本音を隠されるとさすがに傷つく。
あの京都人から見て、自分は信頼に足るものではなかったということか。
「ユウちゃん、ちょっと違うわ」
「違うか?」
またふわりといい香りがした。
ポエがこちらを向いたらしい。
「九条さんは、怖がってた」
「怖がってた?」
思いもよらないことを言われてポエを見る。彼女は思った以上に近い距離で微笑んでいた。
「九条さんはユウちゃんのことが好きだから、何か言って嫌われたくなかったんじゃないかな」
好き? 九条が? 自分を?
仲間ではあるが、仕方なく付き合ってくれていると思っていたが。
「ユウちゃんは気づいてなかったかもしれないけど、九条さんが一番元気になるのは、このホールでユウちゃんとお話している時よ」
「……」
そうなのだろうか。
案外人を見ているポエが言うことだが、今ひとつピンとこない。
「ふたりを見ていると、凄くわかるわよ。仲良しなんだなって。なんて言ったらいいかしら。ふたりの会話って、お互いのかなりギリギリな部分まで踏み込んでるっていうか……私や、他の人には真似できないもの」
「それは」
そうかも知れない。
お互いに時に鋭い言葉でやり合っている自覚はある。だが傷つけられた覚えはないし、自分も九条を傷つけるようなことまでは口にしてはいないと思う。
言われてみればそれは、お互いをよく知った上での戯れあいとも言えた。
「九条さんも、そんなふうに話せる人がいて、嬉しいんじゃないかしら。だから、あんなに楽しそうな顔を見せるんだと思うし」
ポエが言うのなら、そうなのかも知れない。
なら余計に『なぜ』とも思ってしまう。なぜあれほど言葉を濁した風にしか言えなかったのか。
「ほんなら」
「ううん……誰にでも、話したくないことってあるじゃない」
「……」
冷たく静かな西1ホール。
そろそろブロック長会議が始まるだろうか。
「はあ……」
自分のため息が、妙に大きく聞こえた。
「ポエ」
「うん?」
まだ少し硬い声になってしまった。
改めてポエのほうを見る。
「手間かけるなあ」
それを聞いたポエは、ふわりと笑う。
「私はこれが楽しいから」
「ほうか。ええ趣味しとるわ」
「ふふ」
ひんやりした空気の中で、ほんの少し温かい空気があった。




