第59話 C99冬 1日目 柳さんとつばめ饅頭
本部のスタッフにすぐバトンタッチすると、のどの渇きに気づいて飲み物を手に取った。
「どうしたサト」
「あの人が……」
「あ、柳さんの」
小太郎も覚えていたらしい。
「柳さん、さっき見たけど……」
控室を覗くと、柳がミルクティーを飲んでいた。休憩時間のようだが、さとりと小太郎の視線に気づいたようだ。
「うん? どうかしたの?」
「あの、柳さんを探しているっぽい人がいて……」
事情を話すと、柳は困ったように笑う。
「それかあ……嬉しいけど、どうしようかなあ。まあ知り合いかもしれないし、一応顔だけ見とこうかな……」
緩慢な動きで立ち上がり、控室からホールをちらりと覗く。
「あっ」
柳のかすれた声が聞こえた。
「つばめちゃん……」
どうやら知り合いだったらしい。
呼ばれた女性は、柳の顔を見た瞬間に瞳が潤み、間を置かずして一筋の涙が頬を伝う。
「柳、ちゃん……」
「わ! ちょっと、待ってつばめちゃん!」
つばめをなだめながら、柳はアトリウムへと付き添って行った。
由布子に何度も頭を下げていたが、混雑に余裕があるということもあって由布子は快く送り出した。
「大丈夫かな」
「さあ……知り合いだったんだなあ」
「そうみたいだね」
少なくとも下の名前で呼び合う仲だ。漏れ聞こえてくる話から推測すると、再び漫画を描いてほしいとお願いしているようだ。
やがてふたりは離れ、その声も聞こえなくなる。
どうなっているのか気にはなるが、柳がいつも通り落ち着いていたのできっと大丈夫だろう。
(柳さんは落ち着いていたから、きっと……あれ?)
心の中でそこまで考えて、息を呑んだ。
きっとの続きを、想像できない。
(柳さんは、スタッフを続けてくれる……よね?)
途端に不安になる。
同期の年上の素敵なお姉さん。
理解の速さとはっきりした受け答え。
一緒にスタッフでいたい。
(ただの、私の願望……でも)
きっと柳は、サークル参加をしたいと思っている。自分の本が転売されたことにショックを受けたことは話してくれたが、漫画を描くことが嫌いになったわけじゃない。
漫画が好きなことが端々から感じられて……そうだ。
(柳さんの描く漫画も、読んでみたいって、思った)
だがそれは、サークルとしての柳を選ぶということであり、同期スタッフとしての柳とはお別れになる。
(柳さんは、どっちだろう……ううん。決まってる)
漫画が好きな柳は、漫画を描くほうを選ぶ。
何となく、さとりにはそう思えた。
「大丈夫、スタッフ続けるから。サークルでは出ないわ」
それが柳の第一声だった。
つばめとの話し合いを終えた柳は、さとりと小太郎に笑顔を見せた。つばめの姿はない。
「どうして、ですか……」
笑顔なのに、どこか表情が晴れないように見える。それは本人にもまだ引っかかる部分があるせいだろう。
「それは……スタッフとしてコミマを支えたいかな。ほら、ちょっとイラストを描けるスタッフがいると便利じゃない? サークルで出るよりそっちの方が」
「柳さん、それはちょっと違うと思いますよ」
柳の言葉を遮って、小太郎が声を上げた。
「サークルさんあってこそのコミマです」
「……」
「だってよく考えてくださいよ。スタッフ、サークル、一般……この中で一番いらないのはスタッフですよ」
まっすぐな言い方に、さとりも柳も目を丸くする。
「そりゃいるならいるに越したことはないですけど……極端な話、スタッフいなくても回るんですよ! 俺、うまく言えないですけど、サークルの柳さんを下に置いてほしくないです」
さとりと柳に見つめられているのに気づいて、小太郎は言葉の勢いを弱める。
「あ、最後は、柳さんがやりたいかどうかの話、だと思います、けど……」
「やりたいかどうか、か……」
苦笑いをする。大人がよく見せる表情だとさとりは思った。
「柳さん、サークル参加、したいですよね」
「えっ」
「夏コミのとき、漫画のことを教えてくれましたよね。柳さん、とっても楽しそうでした。漫画描くことが好きなんだなって、わかりました」
「それは……」
まだ迷っている。
背中を押そうとするさとりも、どこか心が痛いような気がする。
せっかく仲良くなれた年上のお姉さん。
学校や地域以外に年上の同性が知り合いにいることの心強さは、それだけで日々の生活の自分も支えてくれていた。
でも、柳の幸せが一番だと思う。
「あー、ちょっとええやろか」
「ユウさん」
控室に姿を見せたのは、ブロック長歌島由布子。そういえば、改めて見回すと他のブロックのスタッフの姿がない。
気を使って外してくれていたのだろう。
「柳さん、サークル参加するん?」
「それは……」
由布子の問いに、言葉を濁す。
すぐ否定しないということは、まだ迷っているのだろう。
そんな柳の様子を見て、由布子は申し訳なさそうに言った。
「ほんなら、朝イチの見本誌だけでも手伝うてくれたら助かるんやけど……」
「え?」
「ん?」
お互いに漏れた間抜けな声に顔を見合わせ、そして視線が由布子に集中した。
「ん? せやから、サークル参加する日は、朝イチだけスタッフやってもうて、あとは自分のサークルへ……」
「そんなことできるんですか!?」
思わず聞いたさとりの声が、つい大きなものになる。
それではまるで、サークルとスタッフの兼業である。
「え、何やさとりちゃんもサークルで出るんか?」
「違います! 柳さんです!」
「姉ちゃん、スタッフ参加しながらサークルで出られるってことなのか?」
「な、何か手続きとか……」
「というか、姉ちゃんどうして黙ってたんだよ!」
「やかましい! いっぺんにしゃべんな!」
さすがに『やゆよ』ブロックの面々で控室を占拠し続けるわけにもいかず、アトリウムの端で一旦仕切り直しとなった。
柳の隣には呼び戻されたつばめの姿もある。
周囲の参加者は特に興味を示さないが、アトリウムをウロウロする異形は何となく注意をこちらに向けているのがわかる。
「……まあ、大体の事情はわかったわ」
「すみません、お騒がせして……」
柳から事情を聴き取った由布子が、ふっと息をついた。
「ほんまは個人情報にも関わることやから、あんまり安易に言われへんのは前置きしとくとして……今回はまあ、結果的に知り合いやったし」
「すみませんでした……」
恐縮するつばめ。何度も何度もスタッフに尋ねたことを反省しているらしい。
「ほんでや。柳さん」
「はい」
柳が居住まいを正す。
本題だ。
スタッフとサークル、両方でコミマに参加できるのか。
「言うてくれたら良かったのに。サークルしながらスタッフしてる人も、なんぼでもおるで」
「そ、そうなんですか?」
拍子抜けする。
聞けば、特に手続きや申請の必要もないらしい。
「……いや、なんぼでもは言い過ぎか。『やゆよ』はおらんけど、まあどこのホールにも何人かおるよ、掛け持ちスタッフ」
「そうだったんですか……」
「スタッフ登録用紙にも無かった? サークル参加してたらジャンルコードはなんぼやとかサークル名は何やとか」
「……あれは、漫研からの学漫参加とかそういった団体を想定しているのかと」
「あー、なるほど。『人身御供は私です』っちゅう感じやと思とったわけかあ」
由布子は軽く笑ったが、柳は神妙に頷いた。それを見て笑みを消す。ひとりの人間の、今回のコミマとの関わり方を誤らせたのだ。笑い事ではない。
「私の説明不足やった。当たり前やと思ってることも、ちゃんと言葉にせなあかん。もしこの件で柳さんがC99冬を見送ったんやったら、ほんま申し訳ない」
由布子が勢いよく頭を下げた。
「それは大丈夫です。頭を上げてください。まだその……夏コミのことは決めていないので」
ゆっくり顔を上げた由布子は、柳の目を真正面から見る。
「スタッフは強制されるもんでもないし、柳さんで決めてくれはって良いんですけど、個人的なことを言うと、頼りになるからスタッフ続けて欲しいとは思うとる」
「ありがとう、ございます」
「わ、私も! 柳さんとスタッフしたいです!」
思わず声を出していた。
伝えなければと思った。
願望を、形にして、言葉にして。
そう教えてくれたのは、他ならぬ柳だった。
「わ、我儘を言っていいなら……願望を言っていいなら、柳さんの本も読みたいし、一緒にスタッフもしたいです!」
予想外だったのか、全員目を見開いてキョトンとしている。
止まっていた空気の中から、最初にぷっと吹き出したのは由布子だった。
「あはは、さとりちゃんも言うやん」
「あ、も、もちろん柳さんが決めることですし……」
「ふふっ」
ようやく柳が笑った。
自分が笑われているようで恥ずかしさを感じたが、それよりも場の雰囲気が柔らかくなったことが嬉しかった。
柳は天を仰いで、わざとらしく声を出す。
「あー、次の本、ヘタなものは作れなくなったわね」
「柳ちゃん」
つばめも嬉しそうに、柳の名を呼んだ。
柳は穏やかな笑顔を浮かべ、さとりにメガネの女性を紹介する。
「改めてこちら『つばめ饅頭』……昔一緒に本を描いていた仲で」
「ペンネーム……」
うめくように口にした小太郎。さとりも同意見だった。目の前のメガネの女性に、饅頭のイメージはない。
「あはは、締まらないですよね。四谷といいます。昔はお饅頭みたいに太ってて、あだ名をそのままペンネームにしちゃって。えっと、柳ちゃんとは中学が同じで漫画クラブでした。でも、高校から離れちゃったから」
「つばめちゃんは進学校に進んで、大学もこっちだったものね。それにしても痩せすぎじゃない。最初つばめちゃんかどうか自信が持てなかったわ」
「あはは、色々ありまして」
それでペンネームに饅頭がついていたようだ。自虐的にも思えるが、覚えられやすさはあるかもしれない。
「柳さんのペンネームは」
「柳、よ」
「そのまま……」
本名を元にペンネームをつける人もいるにはいるが、珍しいらしい。少し恥ずかしいのか、柳はほんのり頬を染めている。
「本名で通してたところでペンネームをバラされるのは、ちょっと恥ずかしいわね」
「柳ちゃんは良いじゃない。私なんて『つばめ饅頭』よ?」
一同が穏やかに笑う。
四谷つばめも、先ほどまでの思い詰めた表情とは別人のようだ。
再会できて良かった、と心から思うさとりだった。
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