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第58話 C99冬 1日目 開場後の西1ホール

『ただいまより、コミックマート99冬、1日目を開催いたします!』


 ホール内が大きな拍手に包まれた後の西1ホールの入場は比較的穏やかである。

 ただ、外周にはそれなりのサークルが配置されており、ホールの外は多くの人たちが並んでいる気配がする。

 

「ユウさん」

「おっ、さとりちゃん。平和やな」

「はい、あの……ちょっとブロックを離れても大丈夫ですか」

「ん? そらちょっとの間ならええけど、どないしたん」

「えっと、外周のあれを見に行こうかと思って」


 さとりの言う「あれ」とは、今回も行っている漫画の試し読み投影。

 相変わらず西1ホールの外壁面に限られていたが、いくらか好意的な反響があったらしい。

 

「あー、あれか。まあええよ。今は混んでへんし、そこの壁の裏やし。行っといで」

「ありがとうございます」


 さとりは外周『れ』ブロックの脇の非常口を通って外に出た。


 明らかにホールよりも空気が冷たいが、風がないせいか寒さはあまり感じない。

 大手サークルの列が数本あるが、雰囲気としては落ち着いている。無理に走るような参加者もあまりいないようだ。


「わ……」


 今回もシャッターとシャッターの間に、大きく漫画が投影されている。前回よりも画面が大きくなっただろうか。

 その装置に、異形がまとわりついている。

 よく見ると排熱のスリットがある方に固まっており、暖を取っているようにも見える。

 相変わらず表情はよくわからないのだが、快適なのだろうか。

 この場所で群がっている異形の中に、二足歩行の狐の姿はなかった。

 もちろん外周にあの牛の巨体もない。


「いない……」


 ぐるりと外周を回ってみたが、お目当ての姿を見つけることはできなかった。

 空振りに終わったが、まだこれからだ。 


「戻りました」

「お疲れ、サト」

「おー、おかえり。どうやった?」


 軽い声で様子を尋ねる由布子。

 さとりは一瞬言葉に詰まったが、心配をかけまいと笑って誤魔化した。

 

「……まだあんまり」

「そらそうか。みんな休憩がてら見るやろしな」


 列に並んでいた人も一部は見ていたようだが、やや頒布の流れの早いサークルだったこともあり、ゆっくり見ている人はいなかった。

 

「それじゃあの、ブロック回っています」

「俺も行くよ」

「あっ、うん」


 外周にいなかったとすれば、ブロックをぐるぐる回っている方が出会える確率が高いように思える。

 

 先ほど登録受付をしたサークル参加者と目が合い、柔らかい微笑みを向けられる。

 小さく会釈をしながら、巡回を続けていく。


「少しずつ人が増えてきたな」


 小太郎の言葉の通り、開場直後はがらんとしていた通路も、それなりの人が流れ込んでいる。

 サークルの頒布物を手に取る人、それを覗き込む異形、ただ通り過ぎるだけの異形や、少し迷っている風の人もいる。


「いない……」

「うん?」


 小さくつぶやいた声が、小太郎にも聞こえてしまったようだ。


「異常なし、だよね」

「ああ」


 言い直したように誤魔化してしまった。探し物を言ったところで、手伝ってもらえるわけではない。

 これはさとりだけの業務だった。

『やゆよ』ブロックを縫うように見て回ったが、目立った混雑や対応が必要な列などはなさそうだ。

 探し求めている狐の姿はない。


「……また、外周に見に行こうかな」

「ああ、落ち着いてるしいいんじゃないか。ほら、牛込さんも巡回してる」

 

 小太郎が見ている方に目をやると、確かに牛込が巡回している。さらにその向こうには長崎の姿もちらりと見えた。

 

「一度本部に戻って、姉ちゃんに言っとこうぜ」


 出席サークルの受付状況を整理していた由布子は、さとりの姿を見つけると「どないしたん?」と首を傾げた。

 

「あの……また外にあれを見に行っていいですか」

「ん? あっちのシャッターの方のあれか。まあええよ。列もできてないんやろ?」

「いいんですか?」

「目立った混雑もないからブロック員は巡回しかしてへんし、あっち行くのも巡回みたいなもんやろ」

「そ、そうなんですか……?」


 随分大雑把だが、ブロック長が言うなら良いだろう。

 

「姉ちゃん、俺も行く」

「はいはい。ええよー」 


 小太郎には気のない返事を投げると、またサークルの受付状況の確認作業に戻った。

 事務作業の邪魔をしてはいけないと、本部を出たふたりは、人の密度が上がってきたのを肌で感じながらホールを歩く。

 

「ちょっとこっちに行っていいかな。違う場所で投影されてるのも見たくて」

「いいよ。というか、巡回なんだし好きなところに行けばいい」


 出口のシャッターから方向を変え、ほとんど来たことのないエリアへと足を踏み入れる。

 机のブロックPOPには『も』とあり、ここはポエがブロック長をしている『むめも』ブロックの担当エリアだとわかった。

 さすが外周の人の密度は高い。なかなか見通しも悪く、思うように狐の姿を探すことができなかった。


「はあ……」


 人の流れのないスポットで立ち止まると、ため息をついた。

 上手く行かない。もどかしい。 

 

「サト、何か気になることがあるのか?」

「えっ、うん……」


 小太郎は答えを待っている。

 もっと上手くやれれば、こんなに心配をかけることもないのに。 


「あまり、うまくできないなって……」

「スタッフ?」

「うん」

「……サト」


 小太郎が否定しようとしたその時、聞き慣れた声がした。

  

「お嬢、歌島弟」

「あれっ、大門さん」

「どうしてこんなところに? 『やゆよ』を巡回していたんじゃ」


 巡回のルートからは大幅に離れているし、外周の手伝いをしに来たにしては、どこかの列を見ているわけでもない。

 

「ああ、その……」


 言いにくそうにしている大門は、ちらりとホールの奥の方を見る。

 

「ははあ、『にぬねの』が気になってたんですね」

「ええ……」


 さとりや大門の担当する『やゆよ』ブロックから、元いた『にぬねの』ブロックは、ホールの角が邪魔になってちょうど見えない位置にある。

 どうにか観察できそうな外周……しかも見つかりにくそうな『むめも』ブロックから、こそこそ様子を窺っていたのだろう。

 

「子離れできない親みたいですね」

「そうかもしれません」

 

 自分でもそう思っていたのか、照れくさそうに頭を掻いた。


「あとで任せてきた人達が、上手くやっているか心配で……まあ杞憂だったん……」

 

 不意に言葉が途切れた。


「大門さん? あ……」

 

 大門の視線の先を追ったさとりも理解した。

 明らかに悪い異形を肩に乗せ、サークルスペースを眺める男。


「あの灰色のもこもこした上着の人……」

「……ええ。お嬢もわかりましたか」


 目を離さないように話す。

 どうするべきか迷ったが、大門に任せるのが一番だろう。


「歌島弟、歌島姉に連絡はつきますか」

「はい、多分……」

「百々さんと合流したい。無線で大門を探すよう伝言を」

「わかりました」


 素早く携帯を取り出し、発信する。

 由布子が電話に出るのを待つ間、小太郎はさとりに小声で話しかける。

 

「どうした?」

「動きが、ちょっと……」


 サークルスペースを見る目は、好きなものを探すそれではない。

 サークル参加者の隙と油断を狙う暗い目だ。それは、肩に乗せた異形と同じ。


「何か、やるかもしれなくて」

「そうか……あ、姉ちゃん? ちょっと緊急で頼みが……」


 小太郎が電話している声を聞きながら観察を続けていると、

 

「あっ」


 思わず声が出た。

 隣の大門も、表情にこそ出さないが気持ちが昂ぶっているのを感じる。


「……本を取りましたね」

「私も見ました」


 大門と顔を見合わせ、頷き合う。

 視線を外しながら、積んである本を下から抜いた。

 ふたりで追おうとするが、先に大門に制された。 

 

「相手は大人の男なので、私が行ってきます。お嬢は本部に連絡を」

「はい」

 

 確かに、あまり自分では力になれない。

 大門の背中を見送りながら、朝に共有されたホール本部の電話番号を呼び出す。

 その呼び出し音を聞きながら、男の肩に乗る異形と目が合った。

 それは嫌らしく目を細め、まるで馬鹿にするような笑みに見えた。

 やがて大門が男に話しかけ、男はがっくりとうなだれる。体格の良い強面に詰められ、あっという間に観念したようだ。


「……」


 異形はつまらなさそうに肩から飛び降りると、振り返りもせず雑踏に消えていった。

 

 異形には良いものも悪いものもいる。

 良くないものが混じってしまうのも確かだ。

 あの牛は、これを見抜けとでも言うのだろうか。


「荷が重いですよ……」


 その言葉は誰にも届かず、ただ西1ホールの冷たい床に溶けていった。


 

 どこか消沈して帰ってきたさとりを、由布子が温かく迎え入れた。

 窃盗事件が起こったこともあり、本部は静かに忙しくなっている。


「大変やったなあ。あれは大門さんで対応してくれるし、さとりちゃんはゆっくり座っとき。あ、参加者対応してもらえると助かるわ」

「わかりました」


 本当は一カ所に留まるより動き回って狐の異形を探したいのだが、足の疲れを感じるのも確かだ。

 お言葉に甘え、座らせてもらうことにする。


 地図の広げられた机。

 そこにスタッフが座ると、見るからにインフォメーションという体になる。


「あの、落とし物を拾ったんですが」

「ありがとうございます。落とし物の受付は、そこから出てアトリウムの中央に……」

「東への行き方がわからないんですが」

「そちらに見えるシャッターから外に出ると、地図で言うここに出るので、こういうルートで……」

「企業に行くルートは?」

「そこからアトリウムに出て、長いエスカレーターがあるので、それに乗ってください」


 思っていたよりスムーズに答えられる自分に驚いていた。まだ経験豊かとは言えないが、それでも参加者に案内できている。

 そんな時だった。


「あの」


 化粧っ気のないメガネの女性。

 コミマならどこにでもいそうな彼女だが、どこか思い詰めた表情なのが気になった。

 それよりも彼女は設営部に荷物置き場の、柳が描いたPOPのことを尋ねていた人だ。

 

「今回出ていないサークルが、落選なのか、申し込みしていなかったかを知る方法ってありますか」

「それは……」


 手に負えない質問だ。

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