第57話 C99冬 1日目 サークル受付気もそぞろ
まだ出席の鈍い西1ホール。ひんやりした空気の中には、一足早く準備を始めるサークルと、ふらりふらりと巡回するスタッフ、そしてウロウロする異形の姿だけがあった。
アトリウムからしか入って来ないので、彼らは彼らなりにルールを守っているということなのだろうか。
そういえば町中でも車道の真ん中を歩いたりしない。他人の家にはズカズカ入り込むようだが……
「あれ? 『ほ』ブロックまで来ちゃった……」
いつの間にか『よ』ブロックの端を越えてしまっていた。といっても『ほまみ』ブロックのエリアだといって叱られるようなことはないが。
振り返ってみても『やゆよ』ブロックのサークルの姿は少ない。
「あれ……?」
数えるほどしかいない準備中サークル。
その中で、ふと見覚えのある表紙を見つけた。
向こうもこちらの視線に気づいたようだが、声をかけないのも変かもしれない。
「あの、おはようございます」
「おはようございま……あっ、前に来てくれたスタッフさん!」
「覚えててくださったんですか」
「今思い出しました。あれって去年の冬コミでしたよねー」
サークルの女性は正直に言ってカラカラと笑う。
サークル名の『ういろう大好き』はよく覚えている。ペンネームは思い出せないが……と、胸元に名札を下げているのを見つけた。ペンネームは『みまみま』だ。
「あ、これ? 良いでしょう? 年二回ぐらいしか会わないから、顔と名前の記憶があやふやな人も多いですしねー」
「そうですね。私も一年ぶりですから、助かりました」
と笑ってみせた。
みまみまもさとりのスタッフ証をちらりと見る。名前を覚えられたかもしれない。
「今日はこちらの担当じゃないので受付はできないんですけど、見覚えのある表紙が見えたので」
「見てってくださーい、ってまだ早いか」
「ふふっ」
気さくに話すみまみまに、思わず笑みがこぼれる。確か、続き物の漫画を描いていたはずだが、続きはあった。そして、その隣に少し雰囲気の違うキャラの表紙。
「あれっ」
「あ、これは刀心の二次の本です」
髪をいじりながら、みまみまが笑う。
オリジナルだけでなく、二次創作も新刊らしい。
刀心というのは『刀心都市』というゲームで、この創作ジャンルとは違う日の配置となっている。恐らく申し込みの時点では出す予定がなかった本なのだろう。
「二次創作も描かれるんですか」
机に置かれた白黒コピーのイラストが描かれた紙……いわゆる『ペーパー』と呼ばれるサークルのお知らせに、そんな文字が見えた。
「いやー、あはは……オリジナルが完結して息抜きにゲームやってみたら、ちょっと描きたくなっちゃって」
創作意欲が旺盛なのだろう。
さとりの尊敬のこもった視線を感じたのか、みまみまは照れくさそうに笑う。
なんとなく二次創作の本を手に取って、中身をパラパラと確認する。
どうやら『七夜』というキャラがみまみまのお気に入りのようだ。
「じゃあ、次の夏コミは二次創作ですか」
「うーん、二次はオンリーで、コミマはオリジナルかな! ……受かれば」
「受かれば」
こればかりはどうしようも……無くはないのだが、曖昧に笑う。
実はスタッフ向けに、高当選率の封筒が用意されているのだが、個人情報も含むため、それなりに親しい人にしか渡さないのが鉄則らしい。
「あ、そういえば、設営日にお手伝いしてもらうと、サークルさんに当選率アップの何かがあったような……」
「えっ、本当に? 設営かあ。ありがとうございます! 行ってみます!」
「あの、でも今回の設営は昨日だったから……」
「あー、C100夏の設営を手伝うと、C101冬の当選率アップしてもらえるというわけですか……まあ、どうせまだ描いてるか、行ってみよっかな」
ブツブツ言っていたが、参加を決めたらしい。夏の設営はなかなか暑くて大変だが、大丈夫だろうか。
「ありがとう!」
スッキリした笑顔でお礼を言われてしまった。
「おーい、サト、巡回バッグの準備しようってさ!」
会話が途切れたところに、ちょうど小太郎から声がかかる。振り返ると、準備をするサークルの姿も増えてきている。
「あっ、じゃあすみません、頑張ってくださいね」
「はい、スタッフさんも頑張ってください」
みまみまに頭を下げて、本部へ向かう。
次回。
夏コミ。
それは災いが起こると言われたコミマ。
もう次なのだ。あと八カ月しかない。
「おはようございます、参加登録カードと見本誌の回収に参りました」
心に引っかかりはあれど、今日のサークルの受付は進めなければならない。
サークル受付のペアは小太郎になった。三回目のコミマで初めてのことだ。
「ありがとうございました。こちらで受付完了です」
半歩前に出て、テキパキと受付をこなす小太郎。重い見本誌バッグも持ってくれている。
参加登録カードをアルバムにしまっていると、視界の端をよぎる何か。
「あ……」
思わず声が出てしまった。
赤いボールのような異形だ。黒い格好をした参加者が多いこともあって、色味がよく目立つ。
「うん?」
「な、なんでもない。勘違い」
「そうか」
踏むと危ないと思うが、踏めるのは九条だけだろうか。
昨日九条に言われたことを思い出す。
『取次』
話の通じそうな異形に、あの牛へと取り次いでもらわなければならない。時折辺りを見回すが、前に見かけた狐はいない。
「じゃあこれ、お願いします」
「はい、確認します」
いそうな気はするのだが。
周囲に目をやるが、それらしき姿はない。
そもそも先程のみまみまですら一年ぶりに偶然会った。
居場所が固定されているサークル参加者ではない存在に、出会うことなどできるのだろうか。
「サト?」
「あ、うん。ごめん」
声をかけられて、自分の業務を思い出す。
参加登録カードに書かれた、サークル名と本名、印鑑。
コミマという非日常において、目の前のサークルさんは現実を生きる普通の人なのだ。
スタッフでしか見ないこのカードが、その現実を強く感じさせる。
「参加登録カードは大丈夫」
「じゃあ新刊一種、と。それでは受付完了となります。今日一日、よろしくお願いします」
さすがに上の空であったことを不審に思われている。
小太郎がバッグに本をしまうと、さとりを気遣う。
「サト、大丈夫か」
「うん……ごめん」
「いや、何もないなら良いんだけど……もしかして、見本誌チェックの方が良いか?」
少し的外れなことを言われたが、他のことを考えなくて済むかもしれない。
さとりがうなずくと、小太郎は快く交代してくれた。ただ、見本誌の入ったバッグはそのまま担いでいる。
小太郎の優しさを感じながら、次のサークルの受付作業に移る。
「おはようございます。見本誌と、参加登録カードの回収です」
準備されていた本を手に取ると、じっと表紙を確認する。
すぐにわかる。丁寧に作られた本だ。
きっと真面目で優しい人柄なのだろう。
開いたページからも、それが直接伝わって来る。
かすかにインキの匂いが鼻をくすぐり、この本を初めて開いたのが自分なのだと実感する。
穏やかな人たちが、ゆったりとした時間を過ごす本。
何でもない日常を切り取ったようなコマが、ページが、さとりの心を温めた。
最後にシールを確認し、サークルに声をかける。
「中身は問題ありませんでした。これで受付は完了です」
そこまで言って、サークルの女性にじっと見られていることに気がついた。
「あの、どうかされましたか」
「あ、ごめんなさい。こんなにしっかり読んでくれるスタッフさん、いなかったので。いつもパラパラって」
「そうなんですか」
確かに、成年向けではない本はさらっと確認する人が多いかもしれない。
ただ、サークルにとって初めての読者である以上、ちゃんと読みたいと思う。
「今までなんとも思ってなかったですが、読んでもらえると嬉しいものですね」
「ありがとうございます……でいいのかな?」
後ろで控える小太郎に目を向けると、笑って補足してくれた。
「さすがに時間に余裕があるときだけですが」
「あ、じゃあ早い時間帯なら読んでもらえる率が高い?」
「かもしれません」
「じゃあ夏コミでは早めに来ようかな」
笑うサークルの女性に、さとりもうなずいた。
「ぜひそうしてください」
早く来てもらえる方が、早く受付を済ませられてありがたい。
次の夏コミ。
みまみまと同じように、このサークルも次の夏コミに申し込み、そして当選するのだろう。
もしかしたら災いの起こるその場所にいるのかもしれない。
そうなると、この笑顔も……
(早くあの牛さんを探し出さないと……)
その後も小太郎と共に受付を進めるさとり。
辺りを見回す頻度が高くなりはしたが、あの牛も狐も、見つけることはできなかった。




