第56話 C99冬 1日目 朝礼にて
夜間通用口からアトリウムを経由してホールへと入る。
シャッターは開いているが照明はまだ落とされたままだ。
さとりも小太郎も四カ月ぶりとなるコミマの西1ホールだが、夏とは随分様子が違う。
「暗いね」
「そのうち明るくなるよ」
本部に人は集まっているが、他の机が並んでいるエリアには誰もいない。
昨日の設営日ではスタッフが作業していたり、チラシ撒きの人がいたり、異形がうろついていたりしたので、今は無人の光景と言える。不思議と寂しさを感じないのは、どこか開場を待つ高揚感のせいだろうか。
「おはよー、寒いね」
「おはようございます」
同じブロックの人を見かけたからだろう、牛込がふたりの近くにやって来た。
「ユウちゃんは?」
「姉ちゃんは本部で巡回セットの確認してます」
由布子と長崎が、本部で何やら話をしているのが見えた。今回のブロック責任者のふたりだ。
「ごめーん、シャッター開けるんで、手の空いてる人は手伝ってー。三人ぐらい!」
何となく近場にいた『やゆよ』ブロックの三人で顔を合わせる。人数もぴったり合っていることもあって、自然と足が向いた。
「ありがとう。じゃあシャッターを開けるんで、前を守ってて」
「了解」
本部スタッフの指示に、牛込が返事をする。勝手知ったるという風だ。
「女子ふたりはアトリウム側ね。準備できたら合図出して」
「はーい」
隣のドアからアトリウムに出る。ほんのり温かい。
階段の陰の部分だが、ちらほらと異形の姿が見えた。
「横に手を広げて、通せんぼのポーズね。まあ今は誰も通る人いないけど、一応安全のため」
牛込の指導に返事をして、同じように手を広げる。
安全。
コミマでは安全が第一なのだ。
何かあると、即開催の可否に関わる。けが人が出ようものならニュースになり、叩かれ、管理を問われ、また叩かれる。
そうなるだろうとホール長大塚が集会で言っていた。
突然牛込が、シャッターを叩いた。
「いいよー!」
その合図に応えるように、ゆっくり背後でシャッターが上がる。
さとりはアトリウムへと目をやる。スタッフが数人いるだけなので、安全上の問題はなさそうだ。
あと数時間もすれば人であふれる。不思議な感覚だ。
(あの牛は……いないよね)
アトリウムにその気配はない。
あれほどの巨体であれば、すぐにわかりそうだが。
夏コミで牛の元へ案内してくれた狐の後ろ姿を思い出す。
まずは彼(?)を探すしかない。
この会期中に見つけられれば良いのだが。
「オッケー、ありがとー! とりあえず今は片方でいいから終了です。助かりました」
いつの間にかシャッターが開ききり、ホールの……自分の担当する『やゆよ』ブロックがすぐそこに見えた。
「うー寒い寒い」
小太郎が手をこすっている。
ホールに入ると、確かにひんやりしているように思えた。
「アトリウムの方があったかいかも」
「マジかー」
「いやどっちも寒いよ……やはり若さか」
神妙な顔をする牛込だった。
「ふたりは高校生だよね。若いねー。スタッフで高校生も珍しいね」
「そうなんですか」
「大学の漫研とかオタク系のサークルで、先輩から誘われてスタッフになる人が多いからね」
それは知らなかった。
伝手やコネがなくスタッフになるのは少数派なのだとか。
「牛込さんもですか?」
「いや、私はノーコネだよ。入場列に並びたくないからスタッフになった」
あまり前向きな理由に聞こえなかったが、なぜか牛込は誇らしげにしている。
「私は別に大手の本とかそこまで興味なかったし、開場前の列に並ぶ元気はないねえ」
「午後からの入場だとダメだったんですか」
「いや、祭りじゃん。祭りに遅れて参加するのも癪じゃん」
勢いに押され、とりあえず頷いて返すふたり。
「つまり、朝から夜まで参加できて、弁当も出るスタッフが一番良いって思ったわけ」
「なるほど……」
それだけ聞くと確かに良さそうだが、色んな苦労を無視している気がする。
「歌島弟はどうして? ユウちゃんに引っ張ってこられた?」
「まあ、そうです」
「だよねえ」
見ればわかると言わんばかりの牛込だが、小太郎は少し不満そうだ。
さとりにはよくわからないが、世間では弟は姉に逆らえないらしい。本当だろうか。
「深川ちゃんは?」
「えっと、私もユウさんに誘われて……」
「はっはっは。見境ないな、あいつは」
楽しそうに笑う。
ずいぶん親しいようだ。年が近い同性ということもあるのかもしれない。
「おはようございます!」
「「「おはようございます!」」」
机と椅子だけが並ぶホールに、大塚の挨拶に応えるスタッフの声が反響する。
冬の冷たい空気が足元にまとわりつくが、これでも暖房はついているらしい。
「世間ではインフルエンザも流行っている中で、出入り口に新しい装置を設置しました。東では先に導入していたのかな? 要は入場者の体温をモニタリングする装置らしいです。基本的に触らないでとのことで、万が一参加者に接触して壊れるようなことがあればすぐに地区に言うので本部に伝えてください」
本部員の報告に、うなずく人や首をかしげる人がいる。
さとりも首をかしげる。発熱者を監視するのは良いが、それからどうするのだろう。探し出して帰ってもらったりするのだろうか。
「サークルさんはじっとしているので、割と体温が上がりません。しんどそうにしている人がいれば声をかけて、応答がしっかりしているかを確認するようにしてください。ではブロック別に移ります。お弁当は珍しくもう来てるので、順次食べるようにしてください。以上」
ブロック別に分かれたスタッフ。
さとりも三回目のスタッフ参加ということもあって『やゆよ』ブロックの人たちを『いつものメンバー』と認識し始めていた。
その中で、別のブロックから移動してきた男性がいる。
「大門さん、おはようございます」
「おはようございます」
ブロック員の出席を確認していた由布子に挨拶をしている。
昨日設営日で一緒に作業をした大門だったのだが……
(うーん……)
色々憑いているように見える。
悪いものかどうかは判断できないのだが、昨日も憑いていたのでたまたまではないようだ。
「大門さんは長いんでまあまあ顔なじみやとは思いますけど、一応自己紹介お願いします」
「大門です。前回までは『にぬねの』でした」
幾人かが「あー」と反応する。遠いブロックになるのであまり関わることは無かったのだろう。
「今回は3日目が自分のジャンルなので楽しみにしています。スタッフ経験は長いのですが『やゆよ』ブロックは初めてなので、よろしくお願いします」
小さく頭を下げる大門に『やゆよ』のブロック員が拍手をする。
「心強い」
「でも3日目……?」
気づいたスタッフが小さくつぶやいた。
そう、今回の3日目のジャンルは、それなりに人を選ぶ。
「ちなみにジャンルとしては」
「ええ、ちょっと濃い系のエロ、ですね」
少し言葉を選びながら、しかしはっきりと大門はそう表現した。
「ちょっと?」
カタログを確認する限り「ちょっと」で済む感じではなさそうだったが……
さとりは18歳になったので、見本誌チェックができる年齢ではある。
あるのだが、今回やるかどうかは未定である。
「スタッフ歴はどのくらいですか」
「C52夏から皆勤賞です。ひと通り何でもやりますので」
「おお、こら頼もしいわ」
単純に計算してスタッフ参加が約50回。
ということは四十代も半ばのはずだが、どこか若々しさがあって年齢を感じさせない。
ただ……
「あの、大門さん、体調はいかがですか」
問うたさとりに、大門は「ああ」と苦笑いをする。
夏コミで体調を崩したことを思い出したのだろう。
「前回はご心配をおかけしました。すっかり大丈夫ですよ」
「いえ、それなら良かったです」
「お気遣いありがとうございます、お嬢」
大門の『お嬢』という呼び方に、柳と牛込が不思議そうな顔をしていたが、後で何か聞かれるかもしれない。
「ちなみに『にぬねの』から見て西2はどうでした?」
「えっ、西2?」
もうひとつ気になっていたことだったが、春日が問うた。
唐突にも思えるが、大門のいた『にぬねの』ブロックと西2ホールの『つてとな』ブロックは、西1と西2の間の通称『多賀谷シャッター』越しに隣接しているといえる。
何人かが耳だけを大門に向け、空気が張りつめる。
「うーん、そう、ですね……」
言葉を探す。
ほんの数秒ではあったが、その表情もあって十分に理解できた。
「はい、わかりました!」
大門の返事を待たず、春日が元気に声を上げる。
その瞬間、緊張した空気が一気に緩み、大門もつられて笑みを見せる。
「ああ、そういうことですか。まあお察しください、と言っておきますね」
一同が軽く笑い合う。
ベテランの妙だろうか。大門は『やゆよ』のブロック員とすぐに打ち解けることができそうだ。
だが、
「……言うて、笑ろてる場合やないけどな」
小さな声。
いつもと違って冗談の気配のないブロック長の言葉は、隣に立つさとりだけに拾うことができた。




