第50話 秋葉原管弦楽団編 着替えました
「ぐおっ」
「すご。2.5次元……リアル四季子やば」
ヴァイオリンを手にした女性奏者が台無しな唸り声を上げ、隣のホルンの女性が目を見開いている。
手早く巫女装束に袖を通したさとりを待ち受けていたのは、オタク女子の称賛の眼差し。いずれも演奏会に臨む綺麗な装いなのだが、口を開くとどうも残念な仕上がりとなる。
「あの、が、頑張ってください」
その瞬間「グャー」という可愛くない悲鳴。
「が、頑張るね! 四季子ちゃん!」
「ハァ、ハァ、どうしよ……本番より動悸が激しい……」
大丈夫だろうかと心配になる。声をかけなかったほうが良かっただろうか。
練習では凛としていたはずのお姉さん達の残念な声を背に、さとりはロビーへと向かった。
なんだか異形の姿が多いなと思いながら、ぱたぱたと廊下を急ぐ。コミマのように。
「お疲れ様です」
「おお、深川さん。お疲れ様。本格的だね」
「大塚さん」
今日はスタッフの知り合いも数人参加すると聞いていたが、まさか大塚だとは思わなかった。
ちなみに歌島姉弟も誘われたものの、遠方のため参加見送りとのこと。
なんでも事前の打ち合わせは電車を乗り継いで三時間、当日の会場も二時間ほどかかるとのことだ。家から十五分で到着してしまったのが申し訳ない。
「あ、もう机出すのは終わったんですね」
「ああ。男手があったので先に終わらせたよ。神棚の設営が始まっているから、二階に回ってもらえるかな」
「わかりました」
相変わらず小柄な体に似合わぬ低くて渋い声。ビッグサイトの西1ホールかと錯覚してしまいそうになる。
外から大ホールに入るのは今いる一階からなのだが、客席への出入り口は一階と二階に分かれている。
今回グッズ展示の『神棚』と呼ばれる場所は上に設置されている。ちなみにグッズは『ご神体』と呼ばれているらしい。
さとりがぱたぱたと階段を上がると、数人で机の配置をあーだこーだと話し合っているようだった。その様子を眺める異形の姿もあるが、とりあえず何かしてくる様子はないので放置する。
「おお、神棚に巫女さん」
「今回本格的だな」
「え、四季子コス……」
口々に感想を述べられる。自分としてはコスプレのつもりはないのでコメントがしづらい。
ただ、千早まで羽織ってきたのは気合が入りすぎだろうか。
「あれ、あの。蔵……クラマさんが敷布を持ってくるって言ってましたけど」
「あ、そうだっけ。リハまだだよね」
「あっ、じゃあ聞いてきますね」
知らない人しかいない中での好奇の視線に耐えきれず、さとりはホールへの扉を開けた。
「わ……」
規則正しく並んだ客席、準備が進む舞台。
いくつかの客席に異形が座っているようだが、彼らも演奏を楽しむことがあるのだろうか。
客席の階段を降りるにつれ、舞台上の雰囲気が伝わってくる。
リラックスした表情の中、少しの緊張と高揚感。
打楽器のセッティングと椅子の展開をしているようだ。ちらほらと異形の姿もあるが、悪さはしていないようだ。ぼんやり見ていたり、ふらふらウロウロしていたりしている。
何人かの奏者が巫女装束のさとりに気づき、好奇の目を向ける。
「蔵前さん、あの……」
「おお、深川さん。すごい! 良いね! その羽織ってるのも自前なの?」
「えっ、ありがとうございます……一応、全部私のです」
開口一番、嬉しそうにさとりを褒める。
その声にまた数人の注目を集めた気がする。さとりは極力気にせず用件を言う。
「あの、敷布って」
「敷布? あっ、神棚のか!」
完全に忘れていたようだ。
さっきよりもさらに大きな声になる。さっと立ち上がり、楽器を椅子に置いて頭を抱える。
「あー、やば。あれがないと設営できないよね。忘れてた……ありがとう。すぐ持って行くから、上で待ってて」
返事をしようとしたとき、椅子に置かれた蔵前の楽器の弦に微妙なノイズが『みえ』た。
気のせいかと思ってよく『みる』が、やはり何かおかしい。何だろうか。
「どうかした?」
「……あの、蔵前さん。楽器、よく点検してくださいね」
「楽器? 俺のヴィオラのこと?」
不思議そうな顔をする蔵前。
「何か気になることがある?」
「いえ、あの……」
どう説明して良いかわからない。
万全の状態で演奏をして欲しい。
ただ、不吉なことを言うとまた昔のように距離を取られるかも知れない。
初めてのコミマで面倒を見てくれた蔵前にどう思われるかと考えると、言葉が続かなかった。
「あー、いや、ちょっと違和感はあったんだけどね。歌島姉も、深川さんは目が良いって言ってたからさ……うーん、やっぱそうなのかな?」
「クラマさん、リハまだだし、替え持ってるなら弦替えて来たら? 昨日の前日練でもたまに引っかかってたじゃん」
後ろの人がそう指摘する。
「そうする。えっとまず神棚の敷布だな……悪いけど、リハ始まったら俺抜きで始めといて」
後ろの人は「了解ー」と軽く返す。
「ありがとね、深川さん。今日ぐらいはいけるかと思ったけど、やっぱり替えるよ」
「普段からメンテしとけよー」
「うるせえ。こう見えて副団長は忙しいんだよ」
蔵前から借りた大きめの敷布を使い、ご神体を設置すると神棚の設営ができた。
今回の曲に関連するグッズやゲームそのものが展示され、なかなかに見応えがある。
どこからか聞こえてくるオーケストラの音。刻々と本番の時間が近づいてきている。
「うん、いい感じじゃない」
ミーシャが満足げにうなずく。黒のゴシック風ドレスを身につけているので、ひと房の白い毛がよく映える。
神棚と呼ばれる机には、明らかに成年向けの作品も飾られているが、パッケージはそこまで過激ではない。なぜか顔の汚れた女の子が、悲しそうな目でこちらを見ている程度だ。
去年までなら拒否反応もあったかも知れないが、コミマを経験したさとりは少し耐性ができていた。
(あ、これ……)
自分に似ているという巫女のキャラクターが、パッケージに描かれている。半眼でミステリアスな雰囲気だが、やはり自分とは似ていないと思う。
隣には設定資料集とぬいぐるみもあり、比較的多く場所を占めている。
「そろそろチラシの挟み込み準備お願いしまーす」
「はーい! それじゃあ、下に行こっか」
階段を降りると、すでに大塚たちが机をいくつか並べて導線の確認をしている。
「ちょい狭いか」
「いや、こんなもんじゃない?」
「前回のロビーは広くて良かったよね」
さとりはパンフレットの入ったダンボールの開梱を手伝い、机の上に積んで準備をする。
「大塚さん、外にそれっぽい人がいるけど、待機列はどうします?」
「正式なものはもう少し後で。二十人たまったら作ってしまって構わないよ。予定通り柵沿いに二列で」
「了解ー」
また開場まで二時間以上あるが、もう来場者がいるらしい。
「おーい、スタッフ込みで記念撮影!」
「げっ、もうそんな時間か」
「チラシ挟み込みの人は十一時だっけ。急げ急げ」
急にバタバタと慌ただしい雰囲気になってきた。
ホールに入ると、ずらりと勢ぞろいした演奏者たちが舞台上で待っていた。
客席の一番後ろからカメラマンの声がかかる。
「スタッフは客席一番前の通路にお願いします!」
「さとりちゃん、隣良い?」
「もちろんです」
隣にミーシャが立つ。白と朱の巫女服と対照的な、黒のゴシック風のドレス。舞台下にあってふたり並ぶとよく目立った。
「よし次、コスのふたりは壇上で、指揮者を挟むポジションで!」
「ええ……」
その後も何度か注文を受けながら、無事に記念撮影を終えた。
すぐさまチラシ挟み込みの開始時間。
他の演奏会のチラシをこのパンフレットに挟むらしい。見覚えのない人が数人いるのは、その他の団体の人らしい。
「それでは手順を説明します。奥から順に上に乗せていって、最後にアンケートを乗せる、こっちの机の人に渡す。ここまでが前半部隊。後半部隊はペグシルを差してパンフレットに挟み込み、こっちのクロークカウンターに積んでいってください。積みきれなくなったら床のダンボールへ」
机のチラシはなかなかの枚数だ。予定では一時間で終わらせることになっている。
「今回は八百部ぐらいです。よろしくお願いします!」
「はい」
「よろしくー」
「じゃあ始めましょうか」
さとりとミーシャ以外は手慣れているのか、それぞれに動き出す。前半作業の人は早速チラシを取り、後半作業の人はパンフレットの準備を始めている。
リハーサルの音が聞こえてきた。どうやらホールに設置されているマイクで集音し、壁に備え付けられているモニターに映し出しているようだ。
「おっ、あっちも始まったな」
残念ながらゆっくり見る暇はないが、チラシ挟み込みの作業音楽のようになっている。
しばらくチラシを取る作業を続けていたが、あまり減っているように見えない。
「ちょっと暑くなってきた」
「歩き続けているようなものですからね」
「それもそっか。衣装ちょっと暑いなあ……」
ドレス姿のミーシャが額に汗を浮かべている。ふたりはチラシを取る流れから外れて小休止。
「じゃあ、後半の人と交代してみたらいいんじゃ……」
「いいよー、代わるよ」
聞こえていたのだろう。後半作業にあたっている男性が了解してくれた。
「すみません……じゃあ交代します。ありがと、さとりちゃん」
「いえ……」
その後も作業は続き、さとりも徐々に手慣れてくる。
チラシを取って重ね、ミーシャに渡す。
それを繰り返す。
「袖が引っかかりそうなのに上手く作業するんだね」
「慣れて……あ、いえ」
この姿もずいぶん久しぶりだ。慣れているとはもう言えないと思う。
「ん? ……あっ、このペン足りないかも。大塚さんに確認してくれる?」
「あ、はい。わかりました」
言葉に詰まるさとりを見て、何か察したのだろう。ミーシャはきれいに話を流し、別の話題を振ってくれた。
大塚にペンの在庫があるかを確認しながら、さとりはミーシャの気遣いに感謝するのだった。




