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第48話 C98夏 3日目 無事の閉会

「あっ……」


 黄色い煙はすぐに消え、見間違いだったのだろうかとも思ってしまう。

 どうするべきかと考えているうちに、その時間を迎えてしまう。


『これにて、コミックマート98夏、3日目を終了いたします。お疲れ様でした!』


 万雷の拍手を聞きながら、さとりは西2ホールに背を向け、自分の担当する『やゆよ』ブロックへと足を向けた。

 拍手も収まり、ホールの中では撤収を呼びかける声も聞こえてくる。

 ちらりと目をやれば、そこかしこで異形が踊っている。彼らもまた喜んでいるのだろうか。

 1日目2日目に比べても、残っている人が多い。

『楽しい』が集まるこの場所は、閉会してもなおその余韻が色濃く残っていた。

 

 柳の話を聞いて、想像していた以上に『人生に関わる場所』なのだと認識した。そう思うと、この景色も少し違って見える。ただ集まって騒いでいるだけではない。

 自身の担当した(といってもブロック業務をあまりしなかったせいか、その感覚は薄いのだが)『やゆよ』ブロックを眺めながら、多くのサークルの人たちが達成感で満たされた表情を見せていた。


「深川さん、お疲れ」

「お疲れ様です」

「あ、無理しないでいいよ。余裕あったらちょっとずつ荷物を壁際に持ってって」


 夏の暑さはどんどんと体力を奪い、さとりに机を持たせるとどうも危なっかしい。さとりは早々に言外の戦力外を言い渡され、主に本部の片付けを手伝っている。 

 

 机の撤収はスタッフの集まるホール本部ももちろん例外ではなく、むしろスタッフしかいないせいもあっていち早く机が畳まれている。


「深川さーん、水飲んでー」

「えっ、はい」

 

 備品は開会中にも片されていたが、困るのは飲み物である。

 準備会では余った飲み物を業者へ返却するのだが、それは箱が未開封の場合のみ。封が開けられていると、スタッフで飲まなければならない。

 そう言われたさとりが冷えていない水を飲んでいると、何やら出入り口が騒がしい。

 

「大門さん!」

「まだ無理しちゃだめですよ」


 熱中症で倒れていた大門が戻ってきたようだ。傷病者相手の救護室が、閉会と同時に追い出すわけもなく、恐らく大門が無理に帰ってきたのだろう。

 

「せめて、撤収は……」


 さとりがひと目見ても、本調子でないとわかる。小太郎が肩を貸しているほどだ。

 どうしようかとオロオロするさとりだったが、そこへホール長大塚が現れた。

 

「大門さん。本部で荷物を見張ってもらっていいかな。ぜひ本職にお願いしたい」

「……わかりました」


 方便だとは思うが、荷物番もまた必要であることは確かだ。本部の机もすでになく、見ようによってはかなり無防備にスタッフの荷物が置かれている。

 

「深川さんたちはそのまま本部周りの撤収……と、大門さんが無理しないか見張りも頼むね」

「はい」


 小声で付け加えられた後半の言葉に、さとりはうなずいた。



 

 撤収は、スタッフだけの仕事ではない。

 片付けを終えたサークル参加者はもとより、一般参加者も積極的に机や椅子を畳んで運んでいる。

 不思議な光景だとさとりは思う。

 

「そうなの『にぬ』あたりの内壁がどんどん伸びちゃって、大変だったみたい」

 

 ペットボトルのゴミ袋を縛りながら、ポエが大門に話しかけていた。

 

「そうですか……『にぬねの』は大変でしたか」

「でもさすがね。ちゃんとコントロールはできていたみたいよ」

 

 それを聞いた大門は、どこか寂しそうに笑う。

 大門の大きな体に覇気がなく、少し小さく見えた。


「概ね無事に乗り切れたのは良かったですが、細かいところで参加者へ迷惑をかけていないか心配ですね」

 

 横で話を聞いていた小太郎が、首を傾げる。


「そこは素直に喜ぶところじゃないですか?」

「……?」

「だって、大門さんが育てた人たちでしょう? 立派にスタッフ業務を果たしてくれたことを喜ぶとこじゃ?」

 

 言われた大門の表情は晴れないが、ポエがくすくすと笑う。

 

「大門さんの気持ち、少しわかるわあ」


 誰かのリュックを壁際に寄せると、ポエは手をはたきながら言った。

 

「大門さんは、頼ってほしかったのよね」


 その声は、大門と同じようにどこか寂しさを感じさせた。

 

「もう自分はいらないんだって感じて、寂しくなってるのよね。成長の嬉しさより、そっちが大きくなっちゃう。もしかしたら助言も『老害の口出しだ』なんて思われてるんじゃないかって、どんどん悪い方に考えちゃうの」

「ああ、そうかもしれませんね……」


 大門は腑に落ちる部分があるのか頷いているのだが、さとりには今ひとつ理解できなかった。

 それは小太郎も同じらしい。

 

「でもそれじゃ、ブロックの人たちに失礼じゃないですか」

「小太郎くん」 

 

『にぬねの』の副ブロック長の名前を出し、声が大きくなった小太郎を、ポエがすぐさま制した。

 だが、大門が逃さず顔を上げる。

  

「ブロック員に、失礼?」

「す、すみません……」


 体調を崩して弱っている大門に、今言わなくても良いことだ。ポエに制されてそれを理解した小太郎だったが、大門はまっすぐ小太郎を見た。

 

「いや、歌島弟の率直な意見を聞かせてもらいたい」

 

 言われた小太郎は目を泳がせながら、それでも自分の考えを言葉にする。

 

「その……残った『にぬねの』の人たちは結構頑張ってたと思うんです。でも、今の大門さんはそれを認めてくれてないっていうか……」

「過小評価している?」

「それが近いかもしれません。ちゃんと頑張って取り廻せるのに、できてないって思われるっていうか、ちゃんと見てくれてないっていうか……」


 さとりは見ていなかったが、ブロック長不在の『にぬねの』ブロックは、それでもギリギリで体制を整え、混雑対応にあたっていたらしい。

 

「そうねえ。私の『むめも』ブロックはちょっと離れてるけど、『にぬねの』は特に問題なかったんじゃないかしら。無線で頻繁に情報共有していたけど、聞いてるだけでも『にぬねの』の様子がよくわかったわ。あ、本部仕事の様子は大塚さんに確認した方が良いと思うけど」

「そうですか……」


『にぬねの』ブロックは本部から最も遠い。つまり本部と連携の取りにくい。それを乗り切れたのであれば、もはや言うことはない。

 大門はため息をつくと、やはり寂しそうに笑った。


「……どうやら老害になっていましたね。彼らには後で謝っておかないと」

「違いますよ、大門さん。感謝と、あと褒めてあげないと」

「ふふ、そうですね」


 今度はまた違った笑顔を見せた。

 撤収の進む西1ホールに目を向けながら、眩しそうに目を細める。

 さとりはその雰囲気にどこか覚えがあった。

 そうだ。それは……ちょうど一年前の自分と同じ。

 自分が必要とされなくて、力なく笑っていた姿が重なる。

 あれは、だから……

  

「あの、大門さん」


 だから、さとりは思わず声をかけた。

 

「大門さんが良かったら『やゆよ』ブロックに来てくれませんか」

「『やゆよ』に?」


 思わぬところから思わぬ声がしたためか、大門が一瞬固まった。

 

「私も、コタ君も、柳さん、エレンさん……経験が足りていない人が多くて、今日みたいに経験者が急病で欠席したりするととても困るんです」

 

 そこまで言うと、小太郎とポエが驚いたようにこちらを見ていることに気がついた。

 少し声も大きかったかもしれない。帰路につくサークルさんも、通りがかった異形も、こちらに目をやっている気がする。

 大小の注目を集めていることに気づいて、声が小さくなる。

 

「その、だから……大門さんが来てくれたら、安心だなって……」


 さとりの言葉の終わりの直前、ボールのような一つ目の異形が大門の体を登って頭に乗った。

 さとりは驚きはしたが、どうやら悪いものではなさそうに見える。


「『やゆよ』か……」


 その異形は、大門の顔と同じくらいの大きさがある。重くはないのだろうか。

 一つ目はちらりとこちらを見る。口はないので意思はよくわからない。

 

「それも、良いかもしれませんね」

「えっ」

「歌島姉が良いのなら、次は『やゆよ』でやることを真面目に考えます」


 そう口にする大門は、憑き物が落ちたような晴れやかな表情をしていた。

 実際は異形が乗っているのだが。

 

「姉ちゃんもダメとは言わないでしょ」

「あら。もしダメって言われたら『むめも』に来て欲しいわあ」


 冗談めいた口調ではあるが、言葉は嘘ではなさそうに感じた。


「大門さんモテモテじゃないですか」

 

 小太郎のからかいに、大門はふっと笑う。

 そして頭に乗っていた異形は、さっと床に降りてアトリウムへと駆けていった。

 今度こそ憑き物が落ちた大門の表情は、ちゃんと無事にコミマを終えた参加者のそれになっていた。

 

「光栄ですね」


 異形が駆けていった方をちらりと見るが、もう人混みにまぎれて見えなくなっていた。

 あの異形は何だったのだろうか。

 大門の後押しをしてくれたようにも感じたが、よくわからない。

 でも……


「お疲れー」

「また年末に!」

 

 すぐ汗がにじむ夏の夕方に、笑い合う参加者たち。どこか、神社の夏祭りと似ている。

 夏祭りにも異形はその姿を見せていたが、彼らもまた楽しんでいたのだろうか。

 これまで意識して関わらないようにしていたが、ちゃんと向き合うべきなのかもしれない。

 コミマの中でも、外でも。

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