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第47話 C98夏 3日目 大門の不調

 人とぶつからないよう、最大限の急ぎ足でふたりの方へと向かう。 

 大門にいつもの力強さはなく、目の焦点もどこか怪しい。


「大門さん、水分は取ったのかしら?」

「水分? ああ、そういえばしばらく……」


 言われてようやく気がついたようだ。朝から数時間。この暑さの中でもし水分を全く取っていないのであれば不調とならないわけがない。


「なるほど、これが……熱中症、ですか」

「大門さん、何を納得しているの。とにかく休みましょう」


 動き始めたふたりを助けようと、さとりが前に出る。


「だ、大門さん! ポエさん!」

「お嬢……」

「さとりちゃん。見ての通りよ。今は大門さんをどこかで休ませないといけないわ。反対側、支えてもらえるかしら」

「はい!」


 移動が楽とは言えない混雑だったが、スタッフ間の会話を聞くともなく耳にした参加者たちは何も言わずに道を開けてくれた。


「すみません、あ、ありがとうございます」

 

 さとりは頭を下げながら、近くの非常口から外へと出ようとする。


(あ、そうだ……)


 ここに案内してくれたかのような四本脚の異形にもお礼をと思ったが、いつの間にか姿が消えていた。


「さとりちゃん、どうかしたの?」

「あ、いえ、何でもないです」 


 偶然なのだろうか。

 まだよくわからない。




「すみません……」 

「いいから。今は水分よ。ちょうどさとりちゃんが補給に来てくれたし」


 大門を日陰の地面に座らせたポエ。さとりは残った一本のペットボトルを取り出して、ポエに手渡す。

 それは偶然にも、熱中症の対処用の経口補水液。平時に飲むものでもないので、最後まで残っていただけなのだが、今の大門に一番適した飲み物だ。

 

「あら。素晴らしいわね。大門さん、飲める?」

「ああ、はい……」


 飲み下す力も弱々しく見える。

 大人の男性の大門がこうなってしまう……改めて熱中症は恐ろしい。

 

「これは救護室ね」

「いえ、そんな」

「ここは無理するところではないわ」

「迷惑が……」


 なおも抗う大門を、ポエが手で制する。

 さとりから見ても目の焦点が怪しい。ポエの言うように救護室に行くべきだと思う。


「大門さん。今の時点で運ばれるのが、一番迷惑をかけない方法よ」

「……はい」


 ポエの連絡を受けた本部スタッフの車椅子。速やかに大門を回収すると、小走りに外周を駆けていった。

 その背中を見送っていると、ポエからいつもの優しい声がかかる。


「さとりちゃん、こんなところまで補給だなんて、大変ね」

「あ、えっと、たまたま……」


 異形に案内されたのかもしれないのだが、そんなことを言えるはずもなく。

 

「そう、良かった。経口補水液のお陰で助かったかもしれないわね」


 たまたまここに来た自分と、たまたま残った経口補水液。良い方に転がった偶然を喜ぼう。

 今はただ、大門が重症化しないことを願うのみ。

 

「ありがとう、さとりちゃん」

 

 感謝を向けられるべきは自分なのか、思うところはあるものの、さとりはポエに「はい」とうなずいた。




 空になった補給袋を持って本部に戻ると、本部のスタッフが女性参加者の問い合わせを受けているようだった。少し揉めているようにも見える。


「でも、準備会の方のイラストですよね」

「印刷物でしたら準備会で用意したものだと思うんですが……この写真のようにダンボールに描かれたものですと、設営有志の方かもしれなくて、何とも」

 

 設営と聞いて、思わずそちらを見る。ちらりと見えた携帯の画面には、見覚えのあるイラストが表示されていた。


「ちょっとわからないですね、すみません」

「わかりました……」


 さとりより少し年上のその女性は、肩を落として人混みへと消えていった。


「あ、深川さんお疲れー。補給ありがとね。あ、お昼届いてるからブロックで食べてね」

「お、お疲れ様です……」


 にこやかに迎えてくれる本部スタッフ。まだあまり知らない人からの労いの言葉に慣れていない。同じホールの仲間ではあるのだが。


「お疲れ様。暑かったでしょう」

「あ……柳さん」

「うん? どうしたの、さとりちゃん」

 

 設営日のイラストの当事者である柳がいた。混雑対応から戻ってきたところらしい。

 先ほどの参加者のことを簡単に話すと、柳は困ったように笑った。

 

「サークルをしていたから、絵柄を知っている人がいたのかも知れないわね」

 

 それにしては真剣に問い合わせていたような気もするのだが。

 ふと、柳はどんな本を出していたのか聞きたくなる。


「柳さん、絵が上手いと思います。柳さんの漫画、読んでみたいです」


 さとりの言葉に、困ったように笑う。

 

「……さとりちゃん、今からお昼?」

「あ、はい。そうです」


 顔に出ていただろうか。さとりを見て柳がお昼に誘う。

 

「おにぎり弁当しか残ってないわよ」

「頑張って食べます」


 


 思った通り、さとりに比べて柳は食べ終わるのが早い。焦って食べようとするさとりを手で制しながら笑う。

 あまり冷えていないお茶を口に含んで、ふっと息を吐いた。

 

「食べながらでいいから、ちょっと、聞いてもらえる?」

 

 行儀が良くないとは思ってはいるが、かじったおにぎりを味わいながらうなずく。

 

「私、小さい頃から漫画が好きでね。イラストもそうなんだけど、漫画。昔、私立ブライアント大学附属高校っていう漫画があってね……うん、知らないよね。すっごい迫力のある劇画調の絵なんだけど、ギャグ漫画なの。その雰囲気のギャップが作り出せるのは漫画だけだと思ったの。それで……」


 急に知らない漫画のプレゼンが始まってしまったが、少しずつおにぎりを食べながら相槌を打つ。

 クールに見えて熱く語る柳のギャップも、仲良くなれた証のようでどこか嬉しい。

 穏やかに見るさとりの目に気づいたのか、早口だった柳がはっと我に返る。

 

「えーっと、つまり漫画が好きなの」

 

 恥ずかしそうにしているが、さとりはよくわからないままうなずいた。

 柳が漫画好きであることはよくわかった。


「中学の頃からそういうクラブに入って、漫画仲間に囲まれながら楽しくやってたんだけどね……」


 暇があれば絵を描き、漫画について勉強し、だんだんと上手くなるのを実感してまた練習を重ねた。

 やがて同好の士があつまるというイベント……コミマを知り、少しずつ情報を集め、憧れを形にする。


「その仲間とサークル参加したのは高校生になってから。電車で二時間以上かけてね。憧れのコミマだから、嬉しかったなあ……ほとんど売れなかったけどね」

「柳さんもですか……」

「も?」


 思わず漏れた言葉に、柳が反応する。

 

「あ、いえ。知り合ったサークルの方も、全然売れなかったって」

「そうなんだ。あ、食べてね。私はまたそこからすっごく練習して、小さめのイベントなんかにも頑張って上京して、自分の漫画が読まれるのがすごく嬉しくて、手渡しで売るのがとても楽しくて」


 さとりがまたおにぎりを口に含むのを確認して、柳は話を続けた。

 

「でも、漫画仲間だった子が、転校しちゃうことになってね。またコミマで会おうねって言ってて、その次のコミマでは会えたんだけど、それっきり。まあまあ売れるようにはなってきてたからソロでも参加を続けて……その子に次は会えるかも、また次に会えるかもって思って参加を続けただけど……」


 最後のおにぎりを口に入れて、柳の言葉を待つ。

  

「ある時、自分の本が転売の標的になってるって知っちゃったの。私は委託とかしないで会場だけで頒布したかったからなんだけどね。私がつけた値段以上で取引されて……自分の手を離れて独り歩きする評価が怖くなっちゃって。『転売されるのは委託しないからだ』なんて批判もされて……私、何やってるんだろうって、立ち止まっちゃった」


 最後に食べた沢庵が、思ったよりも大きな音を立てる。 

  

「それでね。もう漫画もその子も諦めちゃった」


 本当だろうか、と思う。

 まるで自分に言い聞かせるように辛い表情でそんなことを言われても、信じられない。

 それに……

  

「もうお互いにいい大人だもの。いつまでも漫画描いてもいられないわ」


 そんなことを言いながら、どうしてコミックマートに関わるスタッフを選んだのか。

 自分よりも色んな経験をしている大人の柳に口を出すことはしなかったが、どこか違和感を覚えていた。


「柳さん……」

「聞いてくれてありがとうね」


 かける言葉の見つからないさとりに、柳はあまり晴れない表情のままお礼を言うのだった。


 

 

 アトリウムに出たさとりは、思わずため息をつく。無神経なひと言で、柳を困らせてしまった。

 あまり踏み込んではいけない部分だったと思う。

 自分の『みえる』ことのように。


「アトリウム、増えてる……」


 イベントが終盤に向かっているせいか、帰宅するであろう人の流れも見られる。

 どういうわけか異形もそれに混じってウロウロしている。

 彼らはきっと、人の真似をすることで楽しんでいるのだろうと思う。

 

「お気をつけて」


 人と同じように彼らを見送る。

 そして出口から視線を戻す途中。


「えっ……」

 

 西2ホールの中から、あの濁った黄色い煙がうっすらと染み出してくるのが見えた。


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