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第46話 C98夏 3日目 いい人といい異形と

 違和感。

 東に行く人、企業に行く人。

 東から来た人、企業から来た人。

 西1のサークルに並ぶ人。

 五種類の人の意志が混じり、流れが交差し、動きが鈍く混み合う状態は必然だったはずなのだが……


(何か、おかしい?)

 

 人の流れが目に見えて良くなっている。

 さとりも手伝った列移動でスペースが空いた効果なのだが、それだけにしては、あまりにもスムーズに流れている。

 人々の足が自然と最適な道筋を辿る。まるで何か見えない力に誘導されているような。

 それは人ごみを歩く能力に長けた日本人だからか、少し譲ることがお互いの最速に繋がることを理解しているオタクの性分か。

 いや、


「あっ」


 小さく声が出てしまった。

 さとりは誤魔化すように列のパケットを送る。

 そして、改めて妙に流れの良いエリアに目を向ける。

 

(あれ、押して……あ、引っ張ってる)


 流れを無視して横切ろうとする参加者の首にまとわりつき、向きを変えて流れに戻す。

 地図を見ながら歩いて速度が落ちている参加者の背中を押す。

 異形たちが移動する参加者に『なんとなくこっちに進みたい(進みたくない)』の誘導を積み重ね、結果奇妙に整流されたエリアが生まれていた。

 

『小者らも存外役立つものぞ』


「牛さんが言ってたのは……これ?」


 人の流れが整っている原因は何となくわかった。だが、どうして異形たちがこんな行動を取っているのかがわからない。あの牛が何かしたのだろうか。


「スタッフさん?」

「あ、すみません、前の四人の方どうぞ! ……あ、また次の四人の方も!」


 参加者に声をかけられ、我に返る。

 今は任されたこちらに集中しなければ。

 ふうと息をついて、列に目をやる。先頭のひとりと何となく目が合った。


「スタッフさんも大変ですね。頑張ってください」

「……あ、ありがとうございます!」


 知っている人かと思ったが、知らない男の人だ。労われたことに一瞬遅れて気が付き、慌ててお礼を言う。

 男性は額に汗を浮かべながら小さく笑う。


(わあ……)


 サークルでもスタッフでもない一般参加者からの労いの言葉。突然のことに驚いたが、心に効く。

 さとりは小さく「よし」と気合いを入れ直して、パケットを送った。


 

 真夏の暑さがまるで体を締め付けるように、じわじわと体力を奪ってゆく。

 自分で持ってきたペットボトルはとうに空になっている。最後の雫を口にしたのはいつだろうか。

 小太郎のように声を上げているわけでもなく、一般参加者のように歩き回ってたくさんの本を運んでいるわけでもないのに。

 自分の好きなときに休憩できるわけではないのがコミマスタッフのつらいところかもしれない。自分が手を止めてしまうと、列を送る人がいなくなるからだ。

 

 そんなさとりに、ようやく救いの手が差し伸べられた。

  

「サト。さっき補給が来た。水もらっておいたから、少し交代しよう」

「ありがとう!」


 差し出されたペットボトル。待望の水。

 小太郎の申し出はありがたかったが、声を上げ続けていた小太郎の体力は大丈夫だろうか。それに、任されたエリアを一時離れることにもなる。

 

「あっちはいいの?」

「流れが安定してるからな。やっぱ参加者のレベルが高いんだろうな」


 どうやら異形たちのお陰で小太郎の業務負荷が軽くなっているらしい。それなら良かったと交代してもらい、さとりはスロープ脇の日陰に寄る。

 目の前には先ほどまで人を送り続けていた列。ちびりちびりと水を口にしながら、何人か背格好に覚えがあるとぼんやり考える。先ほどパケット送りをした人たちだ。


「いつも、ありがとうございます」


 並ぶ参加者もさとりのことを覚えていたのだろう。休むさとりに温かい声がかけられた。

 

「あ、いえ。みなさんこそ大変なのに」

「大変?」

「その……本をたくさん買うと重いじゃないですか」


 それなりの容量のリュック、本が入った紙袋。どちらもまだまだ余裕があるが、これから時間が経つにつれ重くなっていくことはすぐ想像できた。

 さとりの目線に気づいた参加者は「ああー」とつぶやいて破顔した。

 

「楽しいんで重さは感じないっていうか、重いのも楽しいうちっていうか……幸せの重みなんで全然問題ないですね。これもスタッフさんたちのおかげですよ。ありがとうございます」

「えっ、いえ。あの、頑張ってください」


 少し列が進み、自然とその参加者との会話が途切れた。

 残った水を飲み干して、さとりはじわじわと実感する。自分の働きに向けられた、感謝の言葉。

 これは思った以上に、自分の力になる。背中を支えてくれる。

 そして……

 

「大丈夫か?」


 さとりの代わりにパケットを送り続けてくれていた小太郎も。

 

「うん。少し休んだら元気出た。ありがとう」

「ん。そうか。じゃあ案内に戻る」


 するりと出た感謝の言葉。

 小太郎はどこか照れくさそうに目をそらしてから、炎天下の道案内に戻って行った。

 目を細めてその背中を見送っていると、

 

「……スタッフさん? 先に行っても?」 

「あ、すみません! 四人の方どうぞ!」


 パケット送りのことが抜け落ちてしまっていた。危うく失敗するところだったさとりだが、苦情ではなく労いの言葉がかけられる。

 

「無理しないように」

「ありがとうございます!」

「お疲れ様です」

「はい、お疲れ様です」


 このイベントには良い参加者が多い。そうでない人も混じることはあるが、良い人の方が多いとわかる。

 少し強めの風が吹いた。さとりだけでなく、汗ばんだ全員が一服の清涼を感じた。

 はっと振り返ると、布状の異形が気持ちよさそうに空を飛んでいた。


「ありがとう、ございます……」


 届くかどうかわからない言葉。だが、感謝は口にしなければ伝わらない。

 どうやら人だけではないらしい。この場所には、いい異形もたくさんいるようだ。

 

 


「おー、さとりちゃん、お疲れ様! 補給もままならんかったやろ。水分取ってや!」

「あ、ありがとうございます」


 借受の時間が予定通り延長して終了し、本部に戻ったさとりを由布子が労う。

 

「コタは大丈夫そうやった?」

「元気そうでした。あと、楽しそうでした」

「うーん、ほな大丈夫かな……」


 小太郎も同じ時間に終了のはずなのだが、外周の混雑対応が楽しそうだとそのまま居残ってしまった。


「今回補給要員の人がえらい少なくてな、何か外におるスタッフに行き届いてないみたいなんよ」

 

 言われてみれば、さとりは最初に自分で持ち出した二本を飲みきり、小太郎が分けてくれた水で何とかしのぐことができた。本来ならばもっと頻繁に飲み物を持ってきてくれていたということなのだろう。


「じゃああの、私が持っていきましょうか」

「え、そら助かるけど……」


 由布子の手元にいくつかのメモがある、まだまだやることが残っているということは誰が見てもわかる。

 

「うっ……」

「ほら重たいやろ……」

「これくらいなら、大丈夫、ですっ」

 

 心配そうな由布子に向かって、強がってみせる。ペットボトル満載のバッグ……から数本抜いて担いでみたが、思った通りなかなかの重さ。


「行ってきます」


 先ほどまで外にいたさとりだからわかる。飲み物がないと、本当につらい。

 成年向けの本のチェックや混雑対応の手伝いができないなら、こういうことで力になりたい。

 ふうふう言いながら運んだ飲み物は、思った通り……いやそれ以上に喜ばれた。


「飲み物です」

「おお、ありがとう!」


 思った通り、外周にいるスタッフ、特に本部から遠いところにいるスタッフには行き届いていないようだ。


「助かる、ありがとう」

「いえ、頑張りましょう」


 あれほど重かったバッグも、すっかり軽くなってしまった。残りはたったの一本。

 早く誰かに渡して、もう一度回った方が良いかもしれない。そう思ってホールの中に入る。

 多少冷房の気配を感じるが、かなり暑い。


(これは体調崩す人も出るかも……)


 引く気配のない汗をさっと拭いてあたりを見回す。人の多さに少し気圧されながら、ふと足元に気配を感じた。

 異形だ。

 四本脚で何やら恐ろしげな顔をしている。だが、前回見たモンスターのコスプレに比べれば、そう驚くものでもない。

 それに異形から敵意や悪意は感じられず、相変わらずたださとりを見上げているだけである。

 

「……どうか、しましたか?」


 暑さと達成感でふわふわしていたからだろうか。さとりは異形につい話しかけてしまった。


「……」


 しかし異形は何も答えず、ただ少し距離を取ってさとりをちらりと振り返った。


「ついて来いってことですか?」


 その先の通路は人が集まっていて、ずいぶん混雑しているように見える。

 あまり行きたくはなかったが、無下にするのもしのびない。

 近づいていくと、何か様子がおかしい。


「え……」


 それは混雑ではなかった。

 倒れそうな巨体のスタッフと、それを支えるスタッフ。誰が見てもわかる緊急事態に、思わず足が止まってしまっているだけだったのだ。


「さとりちゃん!」


 スタッフを支えながらそう声を上げるのは、『むめも』ブロック長、ポエこと百々詩音。そして、支えられた巨体は……


「大門さん!」


 まさかの『にぬねの』ブロック長、大門であった。

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