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第5話 C97冬 設営日 スタッフ業務

 トラックから机の台車が降ろされ始めたようだ。

 重い音がホール内に響き始める。

 大門の背中を見つめたまま、小太郎が口を開いた。

 

「サト」

「うん?」

「大門さんに、何かしたのか?」

「えっと……」


 どう答えたらいいのか迷う。

 小太郎のことを信頼していないわけではない。

 むしろ、小さいころには『みえる』ことを話したこともあった。

 それから小太郎はどうしただろうか。離れたり気味悪がったりはしなかった。だが、人は変わるものだ。高校生にもなってそんなオカルトめいた話を、信じてくれるのか。


「……」

 

 不安に思って言葉を探すさとり。

 

「まだ何か見えるのか」

 

 驚いて小太郎を見る。

 まだ大門のことを見送っているその横顔は、昔と変わらないように見えた気がした。

 

「うん……」


 大門の肩を払った行動。ゴミを払うというには少し違ったように見えたのだろうか。

 昔の話を覚えていてくれたのかと胸が熱くなる。

 そして、小太郎は短く「そうか」とだけ答えて踏み込んでこない。

 ここで「ありがとう」と伝えるのは何か変だろうか。

 

「よし、じゃあ設営マニュアルに図面が乗っているから、机の誘導をするか」

「あ、うん」

 

 話を強制的に終わらせ、目の前のスタッフ業務へと足を踏み出させる。

 小太郎の気遣いを感じたさとりは、心の中で感謝した。



 

 設営日は、その名の通り設営をする日である。

 がらんどうのホールの中に、整然と机椅子が並べられていく。

 その速さは圧巻だった。

 手慣れている者もそうでない者もいる中、あっという間に出来上がっていく。

 マニュアルによる手順の明確化。

 スタッフによる適切な誘導。

 参加者たちの士気の高さ。

 どれが欠けてもここまではできないだろう。

 そして何より、全員が完成のイメージを共有できている。

 誰もが迷わずに、自分のやるべきことを理解し実行できる。


 深川さとりと歌島小太郎は、時にスタッフとして図面を確認しながら必要な机の数を誘導し、不具合のある壊れ椅子や壊れ机を集積し、スタッフ用の机椅子を確保し、と忙しく立ち回っていた。

 あらかた机椅子の設営が終わったのを見届けると、一般参加者はホールを去ってゆく。

 その背中を見送りながら、さとりは小太郎と共にひと息ついた。

 

「疲れた……」


 冬にもかかわらず、汗ばんでいる。

 小太郎のように声を張り上げることはしなかったが、それでもホール内をあちこち歩き回った。


「すごいね……」

 

 今いる西1ホールはL字型に折れ曲がった形をしているため、ひと目で全体を見渡すことはできないが、それでも無数の机椅子が整然と並んでいるのは壮観だった。

 向かいの西2ホールと、東地区の1から6までのホール、さらに奥にある南1南2ホールでも同じように机椅子が並んでいるらしい。

 単純に、この10倍である。想像ができない。

 さらに上の西3西4ホールでは『企業ブース』といって、ゲーム会社やアニメ会社が出展している。そこも今日が設営日らしいが、企業対応部のスタッフ以外は原則立ち入り禁止らしい。


「まだまだこれからだ。とはいえ慣れない作業で疲れただろうし、少し休むか」

「どこか休める場所があるの?」

「あー、ホール本部なら椅子もあるし、そこがいいだろ」




 アトリウムへの出入り口のすぐそばに、スタッフ用の詰め所がある。

 今は机だけが展開されていて、数人のスタッフがのんびりしているのが見えた。

 小太郎の言うようにいくつか椅子も展開されていて、適当に座っても良いらしい。


「微妙に寒いな」

「うん。ちょっとね」


 改めて腰を下ろすと、おしりと背中に椅子の冷たさを感じた。

 そういえば年末だった。寒いに決まっている。

 今日は少し長めのスカートにしたが、明日は足元が寒いだろうか。防寒のためにはズボンの方が良いかもしれないが、あまり持っていない。タイツなら温かいだろうか。

 

「どうだサト、やれそうか?」

「え、うーん、まだちょっとわからない……」


 小太郎は短く「そうか」と答えた。

 さとりはさっきまでのことを思い返す。図面を持っているからだろう。机の本数を何度か確認された。必要に駆られたからにしても、自分が見ず知らずの人から次々に話しかけられるのは少々不安な体験だった。

 だがそれもすぐに慣れてしまったから不思議だ。

 答えのわからない質問もあったが、近くにいた小太郎が適宜フォローしてくれたという安心感もある。

 

「コタくん、どうしてこの……コミマスタッフをやっているの?」

「うーん。姉ちゃんに誘われたのがきっかけだけど、今は『この場所を守りたいから』だな。ここは日本の漫画文化の集積地で、この場所があるから漫画文化のレベルが底上げされていて、その場所を支えることはすなわち日本の文化を支えることになるわけだ」

(急に早口に……)

 

 熱の入る小太郎に、若干引くさとり。

 

「そ、そうなんだ。スケールが大きいね」


 まだ小太郎の言葉に実感がないが、明日の当日を迎えれば少し理解できる部分もできるのだろうか。

 

「サトも同じスタッフになったんだぞ」

「あ、うん。そう、だね」


 言われてみて気づく。

 自分の首から下げたスタッフ証。

 緊張した表情の自分の写真と「館内担当西地区 西1ホール『やゆよ』ブロック 深川さとり」の文字。コミマの担当名と自分の名前が並んでいるのがどうも不思議な感じがする。

 スタッフ証をまじまじ見るさとりに、小太郎が声をかける。

 

「サトは後悔していないか?」

「後悔? どうして」

「いや、この年末の忙しいタイミングで三日も四日も拘束されるだろ」

「……家の仕事はやらなくて良いって言われてるから、全然」


 十二月はフル体制で家業の繁忙に当たっていた。

 去年までは、アルバイトで入ってきた人たちに仕事を教えたり、一部業者とのやり取りを任されたり、境内の掃除や挨拶の手紙の代筆なども任されていた。

 しかし失敗も多く、迷惑をかけているという自覚があった。

 ついに今年からは学業に集中するようにという名目でその任も解かれたわけだが、実際はしっかり者の弟に任せた方が失敗が無いからということは分かっていた。

 

「……そうか」

 

 小太郎は短く答えると、それ以上のことは何も言わなかった。年末年始にさとりの家業が忙しいことは小学校低学年の頃から変わっていないはずなのだが、何かを察したのだろう。

 また、気遣いをさせてしまったような気がした。


「明日の朝はどうするの。朝早いからバスは無いけど」

「えっと、大江戸線と有楽町線、豊洲からゆりかもめかなあ」


 さらっと話題を変えてくれることに感謝しつつ、考えながら答える。

 ここまで来るのに電車を乗り継ぐこともあって、そこそこ電車賃がかかる。

 

「ホテル宿泊スタッフ用の送迎バスがある。大横川を渡ったとこのホテルリングスからなんだが」

「ホテルに泊まってないけど、乗っても大丈夫なの?」

「多分バレないだろ。帽子と腕章とスタッフ証があれば」

「そうなんだ」


 ちょっと気になるが、スタッフであることは間違いない。小太郎も言っているし、スタッフ用のバスに乗っても良いだろう。

 

「リングスまで来れるか?」

「ちょっと歩くけど、そのバスの方が楽だよね」

「コミマの朝の地下鉄はあまりおすすめしないな」

「そうだよね」

 

 大勢の人たちが朝早くから移動すると聞く。

 小太郎に勧められた通りスタッフ用のバスに乗った方が良さそうだ。

 

 ぐるりとホール本部を見回す。

 スタッフは自分たちと同じように周辺でのんびりしている。今のところ、何か仕事があるわけでもなさそうだ。

 次のことを聞こうかとしたところで、小太郎が誰かに話しかけられた。

 

「おう、お疲れ様、歌島弟」

「大塚さん、お疲れ様です」


 渋いおじ様を想像させるような、ダンディでとても低い声だ。

 さとりは無意識に声がした方のやや上を見るが、徐々にその視線を下げることになる。

 ……思ったより小柄だ。

 

「お、お疲れ様です」

 

 その小柄な男性には見覚えがある。

 少し長い髪、黒縁眼鏡なのに筋肉質ながっしりした体。

 小柄な身長なのに低くダンディな声。

 年末にも関わらず青の半そでシャツ。その胸元には大きく「西1」と印字されている。手作りだろうか。

 この西1ホールのホール長、大塚だ。

 

「えっと、新人の人だよね。確か歌島ブロックの深川さん」

「あ、はいそうです」


 名前を覚えられていたとは。

 さとりが見ている限り、胸元のスタッフ証に目をやった様子もない。

 もしかして100人を超すホール員全員の顔と名前を覚えているのだろうか。

 そんな心中を見透かすように大塚が笑う。


「はは。さすがに十代の女の子は珍しいからね。頼りにしてるよ」

「あ、ありがとうございます」


 大塚は満足げに笑うと、他のスタッフに声をかけに行ってしまった。

 アスリートのようなさわやかさを感じさせる。やはり鍛えているのだろう。

 年末にも関わらず半袖なのは、作業が多いからなのか、鍛えた腕を見せるためなのかはわからない。


「格好いいだろ」

「うん。でもちょっとその、意外な声というか」

「それも含めて格好いいんだよ」

「半袖シャツも?」

「……分かりやすくて良いだろ」

 

 コミマスタッフには色々な人がいるようだ。



 それから間もなくして、小太郎の姉の歌島由布子が顔を見せた。『やゆよ』ブロックのブロック長、つまり、さとりのブロックの責任者になる。

 

「おっ、小太郎とさとりちゃん、お疲れさん。ぼちぼち机シール貼るでー」

「はい!」


 このコミマでは、貼るものがたくさんあるらしい。

 見れば数人のスタッフが壁に地図や注意書きを貼っているのが見える。


 さとりが手渡された『机シール』は、その名の通り机の通路側の面に貼るシールで、配置とサークルの名前が三日分書かれている。


「間違えたら大変やから、一応地図で確認しながら貼ってな。コタは『や』ブロックで、さとりちゃんは『ゆ』ブロック頼めるか。私は『よ』ブロックやるさかい」

「分かりました」


 手渡されたシールの台紙。

 その視界の端に、何かが横切るのが『みえ』た。


(また……朝はいなかったのに、人が増えたからかな)


 やけに目と鼻が大きい、だが小人のような小さい男。

 ここまで作業していた中では見えなかったのだが。

 

 場所を確認し、中腰になり、机の側面の真ん中あたりにシールを貼る。

 作業は単純なのだが、ぎょろりとした目がさとりを捉える。


「あっ」

 

 集中を乱され、斜めになってしまった。

 幸い剥がしやすいシールのため、もう一度貼りなおすことができた。

 気を取り直して次の机に移る。番号順だから間違えないと思うものの、念のため確認する。

 よし、貼れた。

 次。また邪魔をされて貼りなおす。

 その次は上手く貼れた。

 

 そんなことを繰り返しているうち、歌島姉弟の作業は終わったようだ。


「さとりちゃん、そんな厳密に貼らんでええで。多少ずれても誰も気にせんから」

「は、はい。すみませんユウさん……」

「姉ちゃんはもうちょっと丁寧にやった方が良いんじゃないか?」

「自分もそんな綺麗ちゃうやろ」

 

 軽く言い合いながら、由布子は自然な仕草でさとりの分のシール台紙をひとつ手に取り、少し先の机へと向かう。


「俺も手伝う」

「あ、ありがとう」

 

 そうしてスタッフ深川さとりは、早速周囲に助けられながら設営日を終えるのだった。

本日はここまで。明日以降は毎日23時に投稿する予定です。

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