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第4話 C97冬 設営日 昔の顔なじみ

 設営日。

 それはコミマで使われるホールの机椅子を並べる作業だけを行う会期の前日。

 人によっては0日目と呼んだり、むしろこれが本番だという人もいる。

 本気の人は朝からビッグサイトに集まり測量を行っているそうだが、さとりはそこまで早く来なくていいと言われていた。

 エントランスホールの端に立っていると、徐々に人が集まって来る。

 見つけてもらえるだろうか、と不安になり始めたところで、さとりに声がかけられた。


「お疲れ、サト」

「おはよう、コタくん」


 さとりの返事を聞いて、小太郎は「ああ」と返事をする。

 

「おはようでもいいんだが、スタッフは『お疲れ様』と挨拶することが多い」

「そうなんだ。ありがとう」

「いや……」


 感謝の笑みを向けると、ふいと視線を逸らす小太郎。

 素っ気ない態度に見えるが、決して嫌っているのではないとなんとなく分かる。

 

 やがて設営部のスタッフが登場し、参加者たちに設営に関する説明や注意をする。

 気づけば参加者の数はエントランスホールの半分を埋めるほどにまで増えている。

 百人は超えているだろうが、いったい何人ぐらいいるのかさとりには数えられなかった。

 並行して配られる『設営マニュアル』に目をやると、見覚えのあるキャラクターが描かれていた。

 

「あ、銀セレ……」


 コミマの設営日に配布される設営マニュアル。そこには設営の手順が流行中の作品をモチーフにして漫画で解説されている。今回の作品は『銀剣のセレナーデ』通称『銀セレ』。少女漫画原作だが、アニメが新進気鋭の制作会社に手がけられ、スマッシュヒット。

 複数の芸能人が原作を読んでいると発言し、一時期掲載雑誌が品薄になるほどの人気となった。

 来夏には映画公開を控えており、今最も注目度の高い作品のひとつだ。

 

「サトも銀セレは知ってるのか?」

「うん。原作は読んでたから」

「意外だな」

「私だって漫画は読むよ。ほら、覚えてる? 鉄工所の裏の……」

「ああ、漫画置き場」


 その昔、ふたりが一緒になって遊んでいた町の片隅にあった鉄工所。

 なぜか建物の外に作られていた離れが、工員の休憩所になっていた。そこには工員のささやかな憩いだったのだろう。そしてその離れの裏がゴミ捨て場になっており、その片隅に週刊少年誌が捨てられていたのだ。

 最初に誰がそれを見つけたのか分からないが、数人の子供でこそこそと漫画の回し読みをしていたのだ。

 今になって思えば毎週捨てられる曜日が決まっていたり、しかし雨の日は捨てられていなかったり、他のゴミと混じらないよう分けられていたり、ひもで縛られていなかったりと、どうも子供たちへの配慮があったように感じる。


「懐かしいな。まだあるのか?」

「うーん。さすがに最近は行ってないから」


 お世辞にも綺麗とは言い難い鉄工所の裏は、年頃の女の子が遊びに行く場所ではない。

 小学生も終わりごろには色々と分別が付きはじめ、またお小遣いをもらい始めたことから自分で本を買えるようになり自然と足が離れた。

 その頃にも下の学年の子が来ていたが、今でも後輩の小学生がたまり場にしているかもしれない。

 

「まあさすがにそうだよな。ずっと通ってたのが懐かしいな」

「うん、懐かしいね……」


 あの頃。

 何も考えずに漫画雑誌を読んで一喜一憂していたあの頃。

 感想を言い合い、これからどうなるかを予想し、絵を模写したり、セリフを真似たり。

 何も約束がない中で、漫画を中心に友達が集まり一通り話をして、そして帰ってゆく。

 世の中への恐れや不安もなく、心躍る漫画の世界に飛び込めていたあの頃。

 あの頃が、一番幸せだったかもしれない。

 

 設営の説明が終わると、締めの挨拶となった。

 

「よろしくお願いします!」

「「「よろしくお願いします!!!」」」

 

 その大号令を合図に、それぞれが好きなホールへと散ってゆく。

 

「……じゃあ、西に行くか」

「うん」


 少ししんみりした空気を横に置き、小太郎が軍手を差し出した。

 目指すは西1ホール。

 今回さとりが担当するホール。




 

「うわあ、何もない」

「そりゃそうだろ」


 まず目に入ったのは高い天井。

 そして、がらんとした明るく広いホール。

 西1ホールと書かれた看板に目が行くが、それ以外に何もない。

 小太郎は地面に貼られた赤いテープを確認しながら、ホールの端に目をやる。

 言葉にはしていないが、どこか高揚しているようだ。


「ユウさんは?」

「ちょっと遅れて来る。姉ちゃん、設営日にはあんまり早く来ないんだ」

「そうなんだ」


 聞けば、前回は机椅子の設営がほとんど終わってからやって来たのだという。

 そんなに遅くて大丈夫なのかと思ったが、スタッフは机椅子の設営以外にもやることが多いらしい。


 ふと目をやると、有志の一般参加者が集まって体を動かしていた。

 それなりの数だ。五十人はいるだろう。

 

「体操してるね」

「まあ、準備運動は大事だからな」


 誰かが持ち込んだであろうスピーカーから流れてくるのは、お馴染みのラジオ体操の曲。

 それに合わせ、全員が黙々と体を動かしている。

 がらんとした展示ホール、乾燥した空気、ラジオ体操、体を動かす人たち。

 年齢も様々で、比率としては少ないが女性も混じっている。不思議な光景だ。

 

 やがて体操が終わると、トラックが入って来るであろうシャッター方面へと移動し始める。

 その中でひときわ体の大きな男がいたが、こちらを見て手を上げた。


「ああ、歌島弟。お疲れ様。今回も『やゆよ』ブロックでしたね」

「大門さん、お疲れ様です。今回もよろしくお願いします」


 丁寧にあいさつをする小太郎。

 どうやら小太郎の知り合いらしい。よく見れば首からスタッフ証を下げていた。

 

「お、お疲れ様です……?」


 隣にいるさとりも無視するわけにいかず、慌てて挨拶をする。

 しかし、相手の顔……正確にはその顔にある傷跡に見覚えがあった。

 こんなところで会うはずもない相手なのだが……

 

「大門さん?」

「ええ。大門ですが……おや? もしや、深川のお嬢、ですか?」


 お互いに目を見開く。

 紛れもなく、昔の知り合いだった。

 

 その武骨な男は頬にうっすらと傷跡がある。

 昔にあった修羅場の思い出だとさとりに語っていたのは、何年前だろう。

 

「お嬢、どうしてこんなところに?」

「大門さんこそ」

 

 先ほどのラジオ体操にもさまざまな風貌の人はいた。だが。

 大柄な体、刈り上げられた髪、鋭い目つき、そして頬の傷。

 どうあっても堅気には見えない。年のころは四十過ぎだが、大門こそ、この場所に縁の無さそうな風貌である。

 

「え、大門さんと知り合いだったのか?」

「あー、えっと」


 小太郎の声にハッと正気に返る。

 さとりはどう答えたものかと考える。

 確か……本業は警備業だったはず。

 長らくさとりの地元に住まい、実家の神社のお祭りに度々顔を出し、屋台を出したり神輿を引いたりとしていた。

 その特徴的な容貌と誰にでも丁寧に話すその態度は一度見たら忘れないと思うが、当時の小太郎とは面識がなかったらしい。


「昔世話になりましてね。あれから何年……五年? いや、すっかりお綺麗になりましたね、お嬢は」

「あ、ありがとうございます……大門さんは、お元気ですか?」

 

 お元気ではないように『みえる』。

 さとりは言い出せないが、大門の右肩に何か良くないものが乗っている。

 少し右肩を気にしているように見えるが。

 

「ふふ、さすがに年なのか体力の維持でいっぱいですが。まあまあ元気ではおりますよ」

「知らない間におられなくなったので、どうしたのかと思ってました」

「千住の方に事務所を移しましてね。門仲もたまに顔を出してはいたのですが、タイミングが合いませんでしたね」

「そうだったんですか」


 昔に神社の仕事で関わった大人たちは、みんな自分のことを可愛がってくれた。

 大門のようにいつしか姿を見せなくなる人がいるのが常だったが、やはり寂しい。そんな中、こんな場所で再会できるとは夢にも思わなかった。

 

 右肩に視線を送るさとりに気づかず、大門は話を続ける。

 

「歌島弟といるということは、もしや『やゆよ』ブロック?」

「そうです。うちの新人スタッフです」

「ほう、それは。ああ、人ごみへの対処の良い勉強になるかもしれませんね」


 ひとりうんうんとうなずく大門。

 そんな様子を見て、さとりはまだ迷っている。

 払おうと思えば、払える。

 でも、妙に思われるかもしれない。

 

「大門さん、少しお疲れですか」

「……昨日はしっかり寝たんですが。年のせいか疲れが中々取れなくて」

 

 小太郎の言葉に苦笑いし、右肩をぐるぐるとほぐすように回す大門。

 

「今日は温存してくださいよ。本番は明日からなんですから」

「ええ、そうですね。万全の体調で臨まないと」

 

 万全……そんなものをくっつけたままでは、万全とは言い難いだろう。

 きっとそれは、大門にとっても不本意に違いない。

 全く知らない人ならともかく、久しぶりに会った知り合いのことを見過ごせるほど、さとりは薄情ではなかった。

 

「あ、あの……大門さん、ちょっとしゃがんでもらえますか」

「ん? ええ」


 不思議そうな顔をしながら、言われるままに膝を折る大門。

 さとりはその右肩をじっと『みつめる』。

 憑りついている、というよりは乗っているだけに見える。

 それの意図や感情は見えないが、逆に言えば何か理由があるわけでもなさそうだ。

 事故のようなものだろう。

 それなら、自分が手を出しても「たまたま」それに当たってしまっただけとも思える。

 

「肩にゴミが……」

 

 そう言って、二度三度と大門の肩の上を手で払う。

 決して乱暴にはせず、ゆっくり押し出すような手つき。

 

「ああ、申し訳ありません」

 

 大門は不思議そうな顔をしていたが、じっとさとりにされるがままにしていた。

 

 それは思ったよりもあっさりどいてくれた。

 少し手が触れたような気がしたが、それらに対する触感はない。

 そこにいて欲しくないというさとりの思いが通じたようだ。

 それはひょいと大門の肩から降りると、アトリウム方面に向かってひょこひょこと去っていった。


「……取れました」

「ありがとうございます」

 

 しばらくしたら大門の肩も調子が戻るだろう。

 心なしか顔色も良くなったように見える。


「よし、じゃあ設営を始めましょうか。歌島弟、お嬢をよろしくお願いします。お嬢は、お怪我はなさいませんように」

「ありがとうございます」

「大門さんも気を付けて」


 荷下ろしが始まったトラックに向かって、大門が大きく歩き出す。

 ふたりは並んでその背中を見送っていた。

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